さて、いよいよ選挙ですが、どうしたらいいものかと迷います。正直なところこれだという政党がいない。
まずは女性が代表の政党は見込みなし・・、反対だけで肝心の経済対策が見えていないし、できるとも思えない。共産党は無論ダメ。公明党は政策を打ち出す政党ではない。民主党は政策を誤った。小沢、蓮舫、前原というパフォーマンスのみのスタンドプレーによってずたずた・・。野田総理そのものは正直な人物のように思えるが・・。
そうすると自民党か維新か・・。たしかに憲法改正は必要かもしれません。日本を中国、韓国などの他国が攻めてこないというのは妄想といのは現実味がある。少なくても経済的には侵略してくる。
ただ、維新が役人をボロボロいうのは間違い。政権をとると自分の手足となる人達である。うまく使うのが上策。蓮舫の二の舞・・、とすると維新もダメ・・。自民党しかない・・、そうしかないか。消去法というのも寂しいものです。
さて、大津絵はその図柄に各々意味があるというのは今まで記述したとおりです。今回は「源頼光の酒呑童子退治」の大津絵です。略して「頼光」と呼ばれる図柄です。
大津絵初期にはこの図柄は見られず、中期にいたって現れた図柄です。しかし残っている作品の数は非常に少ないものです。
大津絵 その12 頼光
酒呑童子を討ち取った源頼光を描いた図で、酒呑童子の首が切り離された後も頼光の兜に噛み付いています。
頼光とその四天王が酒呑童子を討ちとるお話は、江戸期には大変な人気がありました。
酒呑童子は日本最強の鬼と言ってよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化したNHK大河ドラマの「平清盛」でおなじみの崇徳天皇と並んで、日本三大悪妖怪と謳われるようになったそうです。
酒呑童子日本に数多くいる妖怪のなかでも万人に知られた存在の≪鬼≫。桃太郎の鬼退治などと並んで、有名なのがこの大江山に居たという酒呑童子です。
一条天皇(在位986~1011年)のころ、都に鬼が出没し、多くの金銀財宝を奪い、娘たちをさらっていきました。高位高家の娘たちも次々行方不明になるに及び、帝は剛勇を謳われた源頼光を召しだし、鬼討伐を命じます。
源頼光は、配下の平井保昌や、四天王と呼ばれた渡辺綱、碓井貞光、卜部季武(末武)、坂田金時と鬼討伐の計画を練り、石清水八幡、住吉神社、熊野権現にそれぞれ分かれて祈念した後、山伏に変装して丹波と丹後の国境にある大江山へ潜入します。そこに鉄の御所という館を構え、大勢の眷属を従えていたのが酒呑童子という鬼の首領でした。
山中でさらわれてきた姫たちに出会った頼光一行は、鬼の館に客人としていりこみ、神々から授けられた≪神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ。神の意にかなったものが飲めば薬となり、鬼が飲めば毒となるという酒)≫を飲ませ、鬼たちが酔ったところをめでたく退治したことになっています。
『御伽草子』には、頼光らが酒呑童子らの不審を招かぬように、童子に供された切ったばかりの人肉を肴に人の血の盃を干したことや、さらわれて来た姫たちの中にも悲惨な犠牲者が出ていたことなどが細かに書かれています。このあたりの描写はスプラッター映画さながらの凄まじさです。『戻橋』『茨木』に登場する茨木童子は、この酒呑童子の配下の鬼で、この頼光たちの襲撃の生き残りといわれています。
非常にいい状態で残っていた作品で、入手できたのは運がいいかと思います。表具は紙表具ですが、なかなか面白い表具です。
大津絵の製作は家族により流れ作業で作られていたらしいです。版画部分をする人、部分に色をつける人などお土産の製作のようなものであったらしいです。
この本は大津絵の図柄のバイブルのような本です。興味にある方は是非・・。
恨みつらみというか、執念が強いのは恐ろしいものです。でもそのくらいの執念がないといまの日本は立ち直せないとも思えます。会社も同じか・・。消去法でないその執念のある政治家は誰か?? 会社の陣容も消去法で選んでいるようでは危うい。
まずは女性が代表の政党は見込みなし・・、反対だけで肝心の経済対策が見えていないし、できるとも思えない。共産党は無論ダメ。公明党は政策を打ち出す政党ではない。民主党は政策を誤った。小沢、蓮舫、前原というパフォーマンスのみのスタンドプレーによってずたずた・・。野田総理そのものは正直な人物のように思えるが・・。
そうすると自民党か維新か・・。たしかに憲法改正は必要かもしれません。日本を中国、韓国などの他国が攻めてこないというのは妄想といのは現実味がある。少なくても経済的には侵略してくる。
ただ、維新が役人をボロボロいうのは間違い。政権をとると自分の手足となる人達である。うまく使うのが上策。蓮舫の二の舞・・、とすると維新もダメ・・。自民党しかない・・、そうしかないか。消去法というのも寂しいものです。
さて、大津絵はその図柄に各々意味があるというのは今まで記述したとおりです。今回は「源頼光の酒呑童子退治」の大津絵です。略して「頼光」と呼ばれる図柄です。
大津絵初期にはこの図柄は見られず、中期にいたって現れた図柄です。しかし残っている作品の数は非常に少ないものです。
大津絵 その12 頼光
酒呑童子を討ち取った源頼光を描いた図で、酒呑童子の首が切り離された後も頼光の兜に噛み付いています。
頼光とその四天王が酒呑童子を討ちとるお話は、江戸期には大変な人気がありました。
酒呑童子は日本最強の鬼と言ってよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化したNHK大河ドラマの「平清盛」でおなじみの崇徳天皇と並んで、日本三大悪妖怪と謳われるようになったそうです。
酒呑童子日本に数多くいる妖怪のなかでも万人に知られた存在の≪鬼≫。桃太郎の鬼退治などと並んで、有名なのがこの大江山に居たという酒呑童子です。
一条天皇(在位986~1011年)のころ、都に鬼が出没し、多くの金銀財宝を奪い、娘たちをさらっていきました。高位高家の娘たちも次々行方不明になるに及び、帝は剛勇を謳われた源頼光を召しだし、鬼討伐を命じます。
源頼光は、配下の平井保昌や、四天王と呼ばれた渡辺綱、碓井貞光、卜部季武(末武)、坂田金時と鬼討伐の計画を練り、石清水八幡、住吉神社、熊野権現にそれぞれ分かれて祈念した後、山伏に変装して丹波と丹後の国境にある大江山へ潜入します。そこに鉄の御所という館を構え、大勢の眷属を従えていたのが酒呑童子という鬼の首領でした。
山中でさらわれてきた姫たちに出会った頼光一行は、鬼の館に客人としていりこみ、神々から授けられた≪神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ。神の意にかなったものが飲めば薬となり、鬼が飲めば毒となるという酒)≫を飲ませ、鬼たちが酔ったところをめでたく退治したことになっています。
『御伽草子』には、頼光らが酒呑童子らの不審を招かぬように、童子に供された切ったばかりの人肉を肴に人の血の盃を干したことや、さらわれて来た姫たちの中にも悲惨な犠牲者が出ていたことなどが細かに書かれています。このあたりの描写はスプラッター映画さながらの凄まじさです。『戻橋』『茨木』に登場する茨木童子は、この酒呑童子の配下の鬼で、この頼光たちの襲撃の生き残りといわれています。
非常にいい状態で残っていた作品で、入手できたのは運がいいかと思います。表具は紙表具ですが、なかなか面白い表具です。
大津絵の製作は家族により流れ作業で作られていたらしいです。版画部分をする人、部分に色をつける人などお土産の製作のようなものであったらしいです。
この本は大津絵の図柄のバイブルのような本です。興味にある方は是非・・。
恨みつらみというか、執念が強いのは恐ろしいものです。でもそのくらいの執念がないといまの日本は立ち直せないとも思えます。会社も同じか・・。消去法でないその執念のある政治家は誰か?? 会社の陣容も消去法で選んでいるようでは危うい。