松林桂月は最後の南画画家と称せられ、1958年には文化勲章を受賞するなど画家として最高位の地位を獲得していますが、現在では知る人も少なくなっているかもしれませんね。
蒼崖飛泉図 松林桂月筆 昭和31年
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1485*横730 画サイズ:縦565*横477
昭和になってからの松林桂月の作品は墨線を基調とした繊細な作品が主流となります。「絹本墨画淡彩」はまさに全盛期の作品と言えるのでしょう。
本作品の賛には「飛泉三百□ □下浪□銀 潭上瀧□□ 巌頭□□人 昭和丙申初夏 併題 桂月散人 押印」とあり、「丙申((ひのえ さる)初夏」は「昭和31年(1956年)初夏」のことでしょう。とすると80歳の最晩年の作となります。
*賛に記事追記(コメントによる)「飛泉三百丈 烈下浪翻銀 潭上瀧□漲
巌頭□見人」(2023年3月19日)
最晩年の代表作には「春宵花影図」(昭和14年墨画・絹本・軸装 119.3×134.5)があります。この作品はニューヨーク万国博覧会(1940)に出品され昭和37年に松林桂月が東京国立近代美術館に寄贈 しています。下記のように展覧秋のポスターにもなっています。
松林桂月の画歴は下記の通りです。
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松林桂月:1876年8月18日 - 1963年5月22日)は、日本画家。山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞(せってい)も日本画家。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山から学んだ精緻で謹直な描写を基礎に、近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風を特色とする。
1894年野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓し、南画界の重鎮と言われる。官展の中心画家で南宗画の正系を継ぐ。日本南画院を創立、初代会長。
1919年帝展審査員、1932年帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員、1944年帝室技芸員。 1947年日中文化協会理事、1948年日本美術協会理事、1949年日展運営委員会常任理事、1954年同理事。
1958年文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、1961年日本南画院会長。死後従三位勲二等旭日重光章受章。 弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる
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疎遠になりつつある南画、それを近代の蘇らせた松林桂月の世界をもう一度味わってみてもいいように思います。