夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

寒江獨釣図 伝釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃

2019-09-28 00:01:00 | 掛け軸
作品の整理を進めている釧雲泉の作品ですが、まだまだ迷路は深いようです。以前に同題の「寒江獨釣図」という構図が同図で製作年代が違うと思われる作品を紹介しましたが、本日は構図の違う同図の作品の紹介です。

寒江獨釣図 伝釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃
水墨淡彩絹本軸装 軸先象牙加工 鑑定上箱入二重箱
全体サイズ:縦1990*横470 画サイズ:縦1090*横300

 

当方の数少ない所蔵作品でさらに少ない製作年が解る作品と比較して調べると、落款は「秋渓蕭散」(享和3年 1803年)という作品の書体に近いようです。「江山肅雨」(文化3年7月 1806年)になると少し違うようになるので、文化初年頃の作と推定されます。

*一応文化2年頃としておきました。

下の印章である朱文白方印「仲孚」は掠れていて断定できませんが真印と思われます。



*その上の6文字?からなる「□聲□□□聲」の白文朱方印は初めての印章で詳細は不明です。むろん他の作品で見かける「嬾生就」の印章とも違う印章です。



享和2年(1802年)には江戸に下向し湯島天神の裏門付近に居住しており、文化3年(1806年)には江戸から大窪詩仏と共に越後に出かけた年ですので、本作品を描いた時期にはまだ江戸に居た頃の作ではないかと推測しています。



当方の所蔵作品に「甲子重陽山水図 釧雲泉筆 文化元年(1804年)」がありますが、この作品より非常に透明度の高いすっきりとした作風となっています。



晩年新潟で描かれた作品になると透明感のある作品を多く描いています。



若年時は荒々しい構図で、晩年は重々しい雰囲気の作風と評されている釧雲泉の作風ですが、すっきりと透明感のあるこのような作品も釧雲泉の魅力でしょう。



表具から箱の誂えまで、かなりの腕の良い指物師に依頼して作ったものでしょう。



残念ながら箱書きした方の由来は不詳です。

*当方ではまだ真作と断定していません。目下調査中の作品となります。



軸先も象牙の加工したものを使っています。この象牙軸だけで本作品の購入費用を超えますね



このような上等な誂えするということが蒐集の者の楽しみでもあったのでしょう。



真贋のこだわりさえなければ、いろいろと楽しめる作品です。


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