夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

青い本を読む婦人 木下孝則画 1966年頃 その17

2024-01-22 00:01:00 | 洋画
帰京した最初の休日には義母は美容院へ、家内と息子は初釜に出かけました。小生はひとり留守番・・。息子は小生の着ていた着物を着ていきましたが、おそらく今年で着納かな? 取り残された小生はのんびりと作品整理。なにしろひとつの作品を整理して、資料をまとめて、この原稿を書き上げるのに半日はかかります・・、ふ~。



本日の作品紹介です。当方で所蔵する木下孝則の作品はそれほど多くありませんが、その中でもお気に入りの作品の紹介です。



題名は「婦人」としかありませんでしたので、こちらで「青い本を読む婦人」と仮題にしております。

青い本を読む婦人 木下孝則画 1966年頃
油彩額装 左下サイン 黄袋+タトウ
額サイズ:縦630*横560 画サイズ:縦455*横380 F8号



本作品で本ブログに投稿している木下孝則の作品は17作品目となり、画歴は何度も紹介していますが、改めて画歴は下記のとおりです。

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木下孝則:1894年2月24日~1973年3月29日。日本の洋画家。東京市四谷区生まれ。同じく画家の木下義謙は実弟。父の友三郎は明治大学総長。母方の叔父の児島善久雄は西洋美術史家。学習院中等科を経て学習院高等科を卒業する。京都帝国大学法科大学政治経済学科および東京帝国大学文科大学哲学科をいずれも中退。このころに小島善太郎など複数の画家と知り合い、油絵を開始。1921年、二科展に入選。その後フランスに留学。帰国後に二科会展で樗牛賞および二科賞受賞。1936年に二科会と一水会創立会員になった。1920年代エコール・ド・パリの雰囲気を吸収し日本に紹介した「1930年協会」の主要メンバーのひとり。

木下孝則は一貫して婦人像を描きつづけ、穏健な写実派の作家として知られていた。戦後、一連のバレリーナの作品によって注目されたが、その他の婦人像も、すべて、都会の洗練された若い女性をモデルとして、明快単純な色調、優れた描写力が独自の作風を創り出していた。作品は殆ど女性像でそれもコスチュームが多かった。

1919(大正8)年 東京帝国大学も退学し、この頃に油絵を始め、後に1930年協会を設立する小島善太郎、佐伯祐三らと親交を重ねる
1921(大正10)年 第8回二科会展で入選し、渡仏留学に出る
1923(大正12)年 帰国後は二科展で活躍する
1926(大正15)年 1930年協会を前田寛治、佐伯祐三らと設立し、また東京朝日新聞連載の山本  有三『生きとし生けるもの』の挿絵を担当する。
1927(昭和2)年 春陽会会員に推挙されるが昭和5年には退会する
1928(昭和3)年 再渡仏し、サロン・ドートンヌに出展
1935(昭和10)年 帰国
1936(昭和11)年 一水会の創立に参加
戦後も1948(昭和23)年に朝日新聞連載の船山馨『人間復活』や毎日新聞連載の永井竜男『さくらんぼ』(昭和28年)などの挿絵を描き、一水会展を中心にバレリーナをモデルとした作品を発表し、日展などにも精力的に作品発表を続けた
1973(昭和48)年3月29日没 79歳

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木下孝則の作品は「なんでも鑑定団」でも何点か出品されているので、ご存知の方も多くなったのではないかと思います。



木下孝則は明快な色調と優れた描写力で、踊り子を含む洗練された女性像を数多く描いたことで知られています。

昭和25年に第12回一水会展に「N君像」、第6回日展に審査員として「バレリーナ」出品しており、この年からバレリーナをモデルとした作品を描きつづけました。一貫して婦人像を描きつづけ、穏健な写実派の作家として知られています。戦後、一連のバレリーナの作品によって注目されましたが、その他の婦人像も、すべて、都会の洗練された若い女性をモデルとして、明快単純な色調、優れた描写力が独自の作風を創り出していた。作品は殆ど女性像でそれもコスチュームが多いようです。また木下孝則は、岸恵子、野添ひとみなどの女優や、美輪明宏などをモデルにした絵も描いています。

木下孝則は女性を描き続けた、それも自分が見初めた、美しいと思ったものを描く意欲がたいへん深いとされます。良い意味で筆の止めどころを知っているセンスを持った作家とされ、例えば腰掛けている作品の背景は明るめのグレーや白というトーンですーっとなんのためらいもなく描いています。本作品もリズミカルで軽快な筆遣いで、その良く特徴が出ている作品ですね。また、対象の中で気に入った細部を見出すのが特徴とされ、本作品で目が行くのは手の綺麗さでしょうか。あとはなんといっても品格のある作風でしょうか。



1966年(昭和41年 72歳)の描かれた最晩年の作のようです。

昭和43年には3月に個展開催(日動サロン)、5月には木下孝則展(名古屋日動画廊)を開き、滞欧作2点を含めた40点を出品しています。この時の出品作かもしれません。





シールにある梅田画廊については詳しくは知りませんが、下記のような記事があります。

梅田画廊:1942年大阪市北区梅田の毎日新聞ビル内に創業、洋画を専門に扱うギャラリー。主に印象派以降の近現代の美術を中心に、国内外の作家の作品を常設、企画展示。



正直なところ、木下孝則の作品にはいいもののあれば、それほどとも思われる作品もありますが、この作品は小生の好きな作品のひとつですね。



窓のあるところに飾って愉しむ・・・。






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