当方の展示室もウクライナ支援です。黄色に青の頼山陽の書、そして頼山陽像ですが、この作品らは後日紹介予定です。
本日は当方の郷里出身の画家、倉田松濤の作品の紹介です。同じく当方の郷里出身の画家、平福穂庵を師とした画家であり、当方での蒐集は本日の作品にて46作品となりました。多作の画家ゆえ駄作も多くあり、当方では本当の気に入ったものだけを蒐集するようにしています。
お気に入りの大作 児戯之図 倉田松濤筆 その46
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横1110*縦2305 画サイズ:横933*縦1730
この作品はインターネットオークションにて家内が見つけたものです。家内は帰郷した際には郷里の骨董店でも倉田松濤のいい作品があると、購入することがしばしばあります。
実にユーモラスに勢い良く描くので小気味よい作品が多いですね。
極彩色の作品もあるのですが、俳画と称して勢いよく描くのが倉田松濤の真骨頂なのでしょう。
この作品は雨漏りのようなシミがあり、また虫食いもあるので改装が必要のようです。家内には「落札金額(約一万五千円)より改装費用が高いよ。」と伝えたのですが、作品は実に倉田松濤らしくていい作品です。
これだけ大きいと普通の床の間には掛かりませんね。掛け軸を飾るためにはひとつくらいは高さ3メートルはある床の間が必要です。
この作品は賛に「牛込」という地名のあることから大正の初めに倉田松濤が上京し牛込横寺町の新居を構え、近所に住んでいた尾崎紅葉らと親交があった頃の作と推定されます。
賛には「東都(東京のこと)牛込戯画□禄山俳畫禅寺□住 来世菩薩松濤道者云々」とありますが、いつもながら倉田松濤の作品では賛が難解で他はほとんど残念ながら読めません。
子供らが元気に遊ぶ姿を実によく描けています。
倉田松濤については「匂いたつような濃厚な筆」と称される宗教画の評価が高いですが、倉田松濤は化け物や子供らの姿に実に愛嬌のあるユーモラスな作品が当方では好きですね。
なお俳画に興味を持ち、永平寺や総持寺の賛助を得て、自ら俳画禅寺を建立する計画を立てていたようですが、目的を果たせずに他界しています。永平寺や総持寺と関連があったらしいということは曹洞宗になんらかの関係があったのかもしれません。
当方は実家も男の隠れ家も家内もすべて曹洞宗で、男の隠れ家の菩提寺は二つの寺の住職が骨董仲間のような付き合いです。
なにはともあれ好きな作品は好き・・・。
じっくりと鑑賞してから改装へと・・。
本日は当方の郷里出身の画家、倉田松濤の作品の紹介です。同じく当方の郷里出身の画家、平福穂庵を師とした画家であり、当方での蒐集は本日の作品にて46作品となりました。多作の画家ゆえ駄作も多くあり、当方では本当の気に入ったものだけを蒐集するようにしています。
お気に入りの大作 児戯之図 倉田松濤筆 その46
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:横1110*縦2305 画サイズ:横933*縦1730
この作品はインターネットオークションにて家内が見つけたものです。家内は帰郷した際には郷里の骨董店でも倉田松濤のいい作品があると、購入することがしばしばあります。
実にユーモラスに勢い良く描くので小気味よい作品が多いですね。
極彩色の作品もあるのですが、俳画と称して勢いよく描くのが倉田松濤の真骨頂なのでしょう。
この作品は雨漏りのようなシミがあり、また虫食いもあるので改装が必要のようです。家内には「落札金額(約一万五千円)より改装費用が高いよ。」と伝えたのですが、作品は実に倉田松濤らしくていい作品です。
これだけ大きいと普通の床の間には掛かりませんね。掛け軸を飾るためにはひとつくらいは高さ3メートルはある床の間が必要です。
この作品は賛に「牛込」という地名のあることから大正の初めに倉田松濤が上京し牛込横寺町の新居を構え、近所に住んでいた尾崎紅葉らと親交があった頃の作と推定されます。
賛には「東都(東京のこと)牛込戯画□禄山俳畫禅寺□住 来世菩薩松濤道者云々」とありますが、いつもながら倉田松濤の作品では賛が難解で他はほとんど残念ながら読めません。
子供らが元気に遊ぶ姿を実によく描けています。
倉田松濤については「匂いたつような濃厚な筆」と称される宗教画の評価が高いですが、倉田松濤は化け物や子供らの姿に実に愛嬌のあるユーモラスな作品が当方では好きですね。
なお俳画に興味を持ち、永平寺や総持寺の賛助を得て、自ら俳画禅寺を建立する計画を立てていたようですが、目的を果たせずに他界しています。永平寺や総持寺と関連があったらしいということは曹洞宗になんらかの関係があったのかもしれません。
当方は実家も男の隠れ家も家内もすべて曹洞宗で、男の隠れ家の菩提寺は二つの寺の住職が骨董仲間のような付き合いです。
なにはともあれ好きな作品は好き・・・。
じっくりと鑑賞してから改装へと・・。