今年は長雨の影響、鳥害の影響、義父の入院で思うに任せないブルーベリーの収穫となりました。それでも義母が朝早くから頑張って同僚らに少しですが配ることができました、
さて本日は呉州餅花手の作品の3作品目の紹介です。幸運にも数少ない呉州餅花手の作品において3作品目を入手できています。
明代から清朝にかけて中国の漳州窯で焼成された作品は大きく呉須赤絵(青絵)・呉須染付・餅花手の3種に分類されますが、その中では餅花手が圧倒的に数が少なく、インターネットオークションにも滅多に出品されませんし、骨董店でも見かけたことは未だにありません。もし見かけたら多少無理しても購入したほうがいいでしょう。無傷の作品はその中でもかなり少ないと思われます。
*上記写真左と中央は無傷の完品で発色も申し分のない作品。すでに本ブログで投稿されている作品です。本日は左側の作品の紹介となります。
本ブログでは今までに無傷の作品を2点紹介しましたが、本日紹介する作品は残念ながら口縁周りに補修跡のある作品です。これでも状態のいいほうかもしれません。傷のあるせいか購入金額は8万円なり、安いか高いかは小生にはよくわかりませんが、餅花手のいいつくりの作品は入手困難です。
呉州餅花手 その3 瑠璃地白花花卉文盤 その2
口縁に補修跡有 合箱(その1と同箱)
口径382~388*高台径190~193*高さ84~88
この手の作品について興味ある記事を見つけましたので紹介します。
北陸の小松の蔵から「呉州餅花手 瑠璃地白花花卉文盤」が発見される。(2009年11月)
「餅花手」と「古九谷」の関連性への考察
上記写真:餅花手の作品を見る北出不二雄さん(左)(北国新聞から)
下記の記事の内容は今までの「餅花手」で繰り返された内容もありますが、引用しておきます。
*なお作品の写真は本日紹介している作品です。
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江戸時代には多くの中国陶磁器が日本に輸入されたが、「餅花手」(もちはなて)に関しては現存するものが少ないといわれています。その作品の中でこれまでのところ数多くの美術品を所蔵していた加賀藩にかかわる「餅花手」には、「前田育徳会所蔵品」と、「金沢の広坂遺跡(武家屋敷跡)で、寛永8年(1631)、元禄3年(1690)、宝暦9年(1759)に起きた金沢城下の大火で焼け捨てられたとみられる陶磁器の中に含まれる餅花手の破片」が、また、「加賀藩や大聖寺藩の江戸藩邸があった東京本郷の東大構内遺跡の少ない中国陶磁器の中に餅花手の破片が見つかっている。」だけです。見つかった「餅花手」はとても貴重な作品といえるでしょう。
前田家が、高級で貴重な美術工芸品を将軍家、公卿、諸侯、寺社との交際のために、また、家臣及び領内寺社への下賜、寄進などに使わったことがわかっており、今回発見された作品が“下賜”された品ということは大いに有りうることであろうと推察されます。詳しくは寛永16年(1639)に小松に隠居した加賀藩第3代藩主 前田利常(1593-1658)によって、「餅花手」の大皿が旅館の主人に下賜された可能性があるということです。
*「餅花手」:中国・明時代末期の呉須手の一種であり、粗い胎土の上に白濁釉をかけ、さらに器全体へ瑠璃釉(藍地)あるいは茶褐釉(柿地)をかけて素地を覆い、その表面に白濁釉やコバルト顔料で絵付し、白泥で点を連ねて表現された文様が特徴で、その独特の文様が正月飾りの餅花のように見えることから日本で名付けられた呼称で、藍呉須とも呼ばれています。
*餅花:柳の細長い若枝に小さく丸めた餅や米粉のだんごを刺したもので、五穀豊穣や繁栄を祈願して小正月に神棚に飾り付けるもの。
日本には、16世紀から17世紀に中国・漳州で焼かれた「餅花手」が輸入されましたが、製品にするまで手間もかかり、高値な呉須も大量に使用され、独特の藍色の陶磁器であったことから、まだ伊万里が登場したばかりのころに茶人や支配層の武士に大いに所望されました。
前田利常が、当時海外よりもたらされる貴重な文物を収集するため、肥前鍋島藩の肥前平戸や長崎に家臣を常駐させ、陶磁器(中国、朝鮮の陶磁器のほか、東インド会社を通じオランダのデルフト陶器も含まれる)などを買い集めています。利常は、藩主にあったときと同様に小松に隠居した後も、貴重な美術工芸品を収集しましたが、単に収集のためだけに買い集めたのでなく、加賀の地に伝統工芸文化を終生希求したために収集を続け、同じく、美術工芸を中心に当時の名人・名工を数多く小松城に招いたと言われています。特に“やきもの”についても、越中瀬戸焼を保護し続け、また仁清を育てたとされる宗和流の金森宗和、小堀遠州などの茶人と交流をもつなど、茶陶を求める一方で、当時有名となっていた肥前鍋島藩の伊万里を知り、至高の美と高度な技術を形に表現する彩色磁器を求めたと考えられています。
「餅花手」盤の高台裏の写真では、高台を除く全面に白釉をかけ、さらにその上に瑠璃釉をかけていて、高台裏の釉薬のかかっていない素地が真っ白でないのを見ると、素地全体に釉をかけ絵付けして仕上げた、塗埋手の青手古九谷の作風を連想させます。明暦元年(1655)に、前田利常の隠居領に隣接する大聖寺藩で彩色磁器の至高の美を表現したとされる古九谷が、利常の探求心から肥前長崎で集められた「餅花手」の作風も手本にして焼かれたという可能性が十分にあるように推察されるでしょう。
呉須手には、呉須手赤絵・呉須手青絵・餅花手などの独特な作風があり、特に日本の茶席で重宝されたこともあり、必ずしも二級品の扱いとは言えず、むしろ後の日本の陶磁器に大きな影響を与えた陶磁器として評価されています。ちなみに特に赤絵は、京焼の奥田頴川、永楽和全、九谷焼の春日山焼等、日本の陶磁器に多大な影響を与えたとされています。
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古九谷と餅花手の作品の関連性を推察していますが、なかなか面白い記事だと思います。
数の少ない餅花手の大皿ですが、なんでも鑑定団には2回ほど出品されています。
主に所蔵している博物館は東京国立博物館などです。
他には京都国立博物館や九州国立博物館などにも同類の作品が所蔵されています。
文様については楼閣が描かれているなど各種の文様があります。釉薬については藍釉や褐釉以外に白釉薬をベースとした作品もあり、さらに同じ瑠璃釉や柿釉でも濃いものや薄いものなど色合いについても多様の作品があります。
下記の作品は東京国立博物館所蔵の柿釉薬の餅花手の作品です。
こちらの作品は京都国立博物館所蔵の瑠璃釉の餅花手の作品です。
類品が江戸の信州高遠藩四谷屋敷跡から出土しています。「餅花手」の初期の頃はその文様は餅花を描いたものが主流で、その後に雲龍や楼閣など文様が多様化したように推察されます。
*本日紹介している作品以外に後日、龍の文様の餅花手の貴重な作品を入手しましたので近日投稿する予定です。
下記の作品は九州国立博物館で所蔵している作品です。
やはり餅花の文様の作の出来が群を抜いているようです。他の文様や器形の違う作品はどうも性に合わない??
上記は無傷の完品。発色がいいものはさらに希少ですね。
上記は本日紹介した作品。
裏側のこってり感がなんともいい。
あらためて本日の作品の細部をご覧ください。
餅花手の白の勢いのある描き方が餅花手の真骨頂でしょう。
ひとつとして同じものがない・・・。
この傷が惜しいのですが、共色できちんと直っているよりいいかもしれません。
三作品揃うと壮観です。
明末呉須赤絵の作品の蒐集には欠かせない餅花手の作品です。
赤絵と共に根強いファンもいることでしょう。
餅花手もまた奥が深い・・・。
さて本日は呉州餅花手の作品の3作品目の紹介です。幸運にも数少ない呉州餅花手の作品において3作品目を入手できています。
明代から清朝にかけて中国の漳州窯で焼成された作品は大きく呉須赤絵(青絵)・呉須染付・餅花手の3種に分類されますが、その中では餅花手が圧倒的に数が少なく、インターネットオークションにも滅多に出品されませんし、骨董店でも見かけたことは未だにありません。もし見かけたら多少無理しても購入したほうがいいでしょう。無傷の作品はその中でもかなり少ないと思われます。
*上記写真左と中央は無傷の完品で発色も申し分のない作品。すでに本ブログで投稿されている作品です。本日は左側の作品の紹介となります。
本ブログでは今までに無傷の作品を2点紹介しましたが、本日紹介する作品は残念ながら口縁周りに補修跡のある作品です。これでも状態のいいほうかもしれません。傷のあるせいか購入金額は8万円なり、安いか高いかは小生にはよくわかりませんが、餅花手のいいつくりの作品は入手困難です。
呉州餅花手 その3 瑠璃地白花花卉文盤 その2
口縁に補修跡有 合箱(その1と同箱)
口径382~388*高台径190~193*高さ84~88
この手の作品について興味ある記事を見つけましたので紹介します。
北陸の小松の蔵から「呉州餅花手 瑠璃地白花花卉文盤」が発見される。(2009年11月)
「餅花手」と「古九谷」の関連性への考察
上記写真:餅花手の作品を見る北出不二雄さん(左)(北国新聞から)
下記の記事の内容は今までの「餅花手」で繰り返された内容もありますが、引用しておきます。
*なお作品の写真は本日紹介している作品です。
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江戸時代には多くの中国陶磁器が日本に輸入されたが、「餅花手」(もちはなて)に関しては現存するものが少ないといわれています。その作品の中でこれまでのところ数多くの美術品を所蔵していた加賀藩にかかわる「餅花手」には、「前田育徳会所蔵品」と、「金沢の広坂遺跡(武家屋敷跡)で、寛永8年(1631)、元禄3年(1690)、宝暦9年(1759)に起きた金沢城下の大火で焼け捨てられたとみられる陶磁器の中に含まれる餅花手の破片」が、また、「加賀藩や大聖寺藩の江戸藩邸があった東京本郷の東大構内遺跡の少ない中国陶磁器の中に餅花手の破片が見つかっている。」だけです。見つかった「餅花手」はとても貴重な作品といえるでしょう。
前田家が、高級で貴重な美術工芸品を将軍家、公卿、諸侯、寺社との交際のために、また、家臣及び領内寺社への下賜、寄進などに使わったことがわかっており、今回発見された作品が“下賜”された品ということは大いに有りうることであろうと推察されます。詳しくは寛永16年(1639)に小松に隠居した加賀藩第3代藩主 前田利常(1593-1658)によって、「餅花手」の大皿が旅館の主人に下賜された可能性があるということです。
*「餅花手」:中国・明時代末期の呉須手の一種であり、粗い胎土の上に白濁釉をかけ、さらに器全体へ瑠璃釉(藍地)あるいは茶褐釉(柿地)をかけて素地を覆い、その表面に白濁釉やコバルト顔料で絵付し、白泥で点を連ねて表現された文様が特徴で、その独特の文様が正月飾りの餅花のように見えることから日本で名付けられた呼称で、藍呉須とも呼ばれています。
*餅花:柳の細長い若枝に小さく丸めた餅や米粉のだんごを刺したもので、五穀豊穣や繁栄を祈願して小正月に神棚に飾り付けるもの。
日本には、16世紀から17世紀に中国・漳州で焼かれた「餅花手」が輸入されましたが、製品にするまで手間もかかり、高値な呉須も大量に使用され、独特の藍色の陶磁器であったことから、まだ伊万里が登場したばかりのころに茶人や支配層の武士に大いに所望されました。
前田利常が、当時海外よりもたらされる貴重な文物を収集するため、肥前鍋島藩の肥前平戸や長崎に家臣を常駐させ、陶磁器(中国、朝鮮の陶磁器のほか、東インド会社を通じオランダのデルフト陶器も含まれる)などを買い集めています。利常は、藩主にあったときと同様に小松に隠居した後も、貴重な美術工芸品を収集しましたが、単に収集のためだけに買い集めたのでなく、加賀の地に伝統工芸文化を終生希求したために収集を続け、同じく、美術工芸を中心に当時の名人・名工を数多く小松城に招いたと言われています。特に“やきもの”についても、越中瀬戸焼を保護し続け、また仁清を育てたとされる宗和流の金森宗和、小堀遠州などの茶人と交流をもつなど、茶陶を求める一方で、当時有名となっていた肥前鍋島藩の伊万里を知り、至高の美と高度な技術を形に表現する彩色磁器を求めたと考えられています。
「餅花手」盤の高台裏の写真では、高台を除く全面に白釉をかけ、さらにその上に瑠璃釉をかけていて、高台裏の釉薬のかかっていない素地が真っ白でないのを見ると、素地全体に釉をかけ絵付けして仕上げた、塗埋手の青手古九谷の作風を連想させます。明暦元年(1655)に、前田利常の隠居領に隣接する大聖寺藩で彩色磁器の至高の美を表現したとされる古九谷が、利常の探求心から肥前長崎で集められた「餅花手」の作風も手本にして焼かれたという可能性が十分にあるように推察されるでしょう。
呉須手には、呉須手赤絵・呉須手青絵・餅花手などの独特な作風があり、特に日本の茶席で重宝されたこともあり、必ずしも二級品の扱いとは言えず、むしろ後の日本の陶磁器に大きな影響を与えた陶磁器として評価されています。ちなみに特に赤絵は、京焼の奥田頴川、永楽和全、九谷焼の春日山焼等、日本の陶磁器に多大な影響を与えたとされています。
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古九谷と餅花手の作品の関連性を推察していますが、なかなか面白い記事だと思います。
数の少ない餅花手の大皿ですが、なんでも鑑定団には2回ほど出品されています。
主に所蔵している博物館は東京国立博物館などです。
他には京都国立博物館や九州国立博物館などにも同類の作品が所蔵されています。
文様については楼閣が描かれているなど各種の文様があります。釉薬については藍釉や褐釉以外に白釉薬をベースとした作品もあり、さらに同じ瑠璃釉や柿釉でも濃いものや薄いものなど色合いについても多様の作品があります。
下記の作品は東京国立博物館所蔵の柿釉薬の餅花手の作品です。
こちらの作品は京都国立博物館所蔵の瑠璃釉の餅花手の作品です。
類品が江戸の信州高遠藩四谷屋敷跡から出土しています。「餅花手」の初期の頃はその文様は餅花を描いたものが主流で、その後に雲龍や楼閣など文様が多様化したように推察されます。
*本日紹介している作品以外に後日、龍の文様の餅花手の貴重な作品を入手しましたので近日投稿する予定です。
下記の作品は九州国立博物館で所蔵している作品です。
やはり餅花の文様の作の出来が群を抜いているようです。他の文様や器形の違う作品はどうも性に合わない??
上記は無傷の完品。発色がいいものはさらに希少ですね。
上記は本日紹介した作品。
裏側のこってり感がなんともいい。
あらためて本日の作品の細部をご覧ください。
餅花手の白の勢いのある描き方が餅花手の真骨頂でしょう。
ひとつとして同じものがない・・・。
この傷が惜しいのですが、共色できちんと直っているよりいいかもしれません。
三作品揃うと壮観です。
明末呉須赤絵の作品の蒐集には欠かせない餅花手の作品です。
赤絵と共に根強いファンもいることでしょう。
餅花手もまた奥が深い・・・。