夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

皮鯨筒茶碗 加藤土師萌作

2011-01-30 09:36:52 | 陶磁器
皮鯨筒茶碗 加藤土師萌作
共箱 口径104*高さ95

サッカー、アジアカップ優勝おめでとうですね。
日本は守りきって、カウンターで点を取るというパターンでフィジカルで劣る面をカバーしていく戦い方が定着してきたようです。

仙台時代に現場で一緒に仕事をした女性の方から、このブログを偶然見られたという葉書、そしてまもなくおいしいイチゴが届きました

青森時代に一緒に仕事をした女性は、結婚後、仕事を退職とか、来月青森で送別会のお誘い・・都合が悪くて行けそうにないですが・・・

きりたんぽを送った同僚からは、使わなくなった半新品のゴルフのアイアンセットがお返しに送られてきました


友人からは健康のためにと折りたたみ式自転車が・・

今日は今からゴルフの練習と自転車のならし運転・・

皆さんの心遣いに感謝!!


母校の甲子園初出場、日本サッカーのアジアカップ優勝・・徳のない政治家のもとで日本経済は暗いですが、少しずつ周りが明るくなってきました

さて、縁に鉄釉などで縁取りした酒器や茶碗を総称して「皮鯨」と呼んでいます。一般的には唐津焼のことをさすようです。



鯨の皮に似ているからのようです。

本作品は小振りな端正な筒茶碗で、姿がいいことから購入した作品です。

浜田庄司の作品では「皮鯨」と表現せず「縁黒」と表現しています。





「像黒茶碗」ではありませんよ

「縁黒茶碗」です。一番廉価か・・簡素な茶碗です。

さらに簡素になると縁の鉄釉もなくなり「地釉茶碗」となります。


加藤土師萌:(1900―68)色絵磁器の世界に一作風を確立した。愛知県東春日井(ひがしかすがい)郡瀬戸町(現セ年西本町)生まれ。本名一(はじめ)。1914年(大正3)に瀬戸の千峯園に陶画工として雇われ、以後陶磁の意匠家としても活躍することとなった。

古窯址(こようし)を調査して古陶磁への見識を高め、中国・朝鮮古陶磁に対する技術解明へと追究は進み、晩年にはとくに色絵磁器、金襴手(きんらんで)、青白磁など中国陶磁を技術の手本として作陶を独創的に展開することとなった。

55年(昭和30)東京芸術大学の初代陶芸科主任教授になり、61年には「色絵磁器」の重要無形文化財保持者に認定された。





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5 コメント

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良いこと! (さくら)
2011-01-30 23:43:54
私も最近周囲で良い事がありました。
同期仲良し6人の4人目の結婚が決まりました(^^)
やはり、同期のめでたい出来事は何より嬉しいですねぇ。
サッカーも素晴らしかったです。
大興奮で応援のあまり、缶ビールをいつの間にか
2本あけ父親は呆れてました(>_<)
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缶ビール (夜噺骨董談義  )
2011-01-31 08:10:24
4人/6人・・残り二人。日本がゴールするのもヒヤヒヤもの。さくらさんの結婚が決まるのもヒヤヒヤもの?・・大丈夫、延長戦もあるから??? 
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縁黒 (くらふと)
2012-05-30 03:38:19
恐れいいりますが浜田庄司の縁黒の茶碗を横、そして後ろからの写真も見せていただけますでしょうか?これは井戸ですね?
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緑黒 (夜噺骨董談義)
2012-05-30 08:01:48
この浜田庄司のお茶碗は知り合いの方の所蔵の作品ですが、撮影した写真がありますので機会がありましたら投稿しましょう。浜田庄司の「縁黒茶碗」はかなりの数が制作されたようです。

この茶碗は井戸の特徴と似通っていますが、井戸とは呼ばないと思います。基本的に風合いが違うようの思います。
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縁黒ー浜田庄司 (くらふと)
2012-05-31 01:06:10
お返事有難うございます。
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