夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

琉球壺屋焼 白化粧地呉須絵縞文大皿

2022-01-05 00:01:00 | 陶磁器
昨年末の帰省では郷里は大雪・・。新幹線で順調に新青森に到着するも奥羽本線は大雪の影響で運休となっていました。駅を出てバスやタクシーの状況を観に行く途中で身長130センチの息子は駅前でラッセル状態。



同じ方向に向かう人とタクシーに乗り合わせて奥羽本線が走っているという弘前に向かいました。むろん高速道路は通行止めで時間をかけてなんとか弘前に着き、そこから電車に乗って予定よりだいぶ遅れて郷里に辿り着きました。

さて本日の作品紹介です。壺屋焼の大皿の作品のようです。琉球における壺屋焼での40センチを超える大皿は金城次郎の作品以外では少ないように思われます。ともかく大きな皿で資料的にも貴重?で、また呉須などによる輪線文様が非常に美しく魅力的な作品となっていることに惹かれて入手した作品です。

琉球壺屋焼 白化粧地呉須絵縞文大皿
誂箱
口径458~464*高台径236*高さ88



壺屋焼においては呉須などによる輪線文は祭壇に対で飾られる瓶子(ビンシー)と呼ばれる器にはよく見られる文様で、このような瓶子では白磁釉の上に呉須と鉄絵で太目の線条文が廻り、畳付き部は無釉ですが高台内部は白釉が掛けられています。



残念ながら窯疵と思われる割れが表面上にあり、金繕いされています。

琉球王府時代に窯業関係を所管した行政組織である「瓦奉行所」には多くの職人たちの中に「洩壺修補細工」という職人が配属されており、焼成で生じた傷・ひびを補修して市場に出すことは一般的であったとされています。

近代期においては壺屋の製品は、通常は東町の焼物市場で売買されますが、歪みや傷が生じた作品は別の専門の市場で売買されていたようです。金城次郎の無銘時代にもそのような作品が多くあり、焼成による窯疵のある失敗品でも売買することについて金城次郎においても抵抗感はなかったようです。金城次郎はむしろ窯の中で生じる変化に、積極的意義を見出そうとしているかのように思われます。



裏面の濃い柿色の釉薬は当方の所蔵作品から推定すると金城次郎の無銘時代(壺屋時代)と共通する釉薬と思われ、可能性としては金城次郎の初期の作の可能性があるかもしれません。もしかしたらの推測です。

このような呉須などで輪線のある皿や花入れは古くからある作品ではなく、近代になってからデザインされたようです。



なお高台内には窯で焼成する際に浮かせ焼いた治具の跡が残っています。



当方の瓶子(ビンシー)と呼ばれる作品との比較です。雪原を漂う息子のよう・・



このように本作品と同じような作行である瓶子(ビンシー)と呼ばれる作品はよく見かけますが、本作品のような大きな皿の作品は非常に珍しいと思います。小鹿田焼など九州地方にはよくあるデザインの作であり、地域内で影響しあったかもしれません。



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