本日紹介する作品は、味があるという理由で購入した作品です。そう単に「味がある」・・。
李朝? 窯変? 白釉? 会寧窯?・・・、既成概念で李朝から観るのちょっとやめてみました。作り方から観てみましょう。
氏素性の解らぬ作品 灰釉窯変八面取壺 李朝後期?
高台廻り補修跡あり 誂箱
口径110*最大胴径203*高台径*高さ158
上の釉薬に交じって、青い部分と茶色のような色合いが見えますので、ちょっと見た感じでは、呉須と鉄釉を塗った?後に灰釉を全面に掛けて焼成されたと思われる作品で、いわゆる海鼠釉に似た感じとなっています。しかしよく見るとどうも李朝の飴釉の上に白の灰釉薬(白釉)を掛け合わせたように見受けられます。
この感じは当方の知っている作り方だと呉須と鉄釉をスプレーのように胎土に掛けて、上釉に白釉というより灰釉を掛けた作り方ですね。
下記の作品は小生が平野庫太郎氏の保戸野窯で同様の作り方で作った俎板皿の部分写真です。
本作品のフォルムは李朝に相違ないでしょう。口縁や高台の作り方は飴釉面取壺に近似しています。
胎土も李朝後期と考えていいと思います。
当時は貴重とされていた呉須(コバルト)系の顔料の代わりに用いた鉄釉や辰砂で絵付けをした作品は李朝には数多くあります。
しかし下絵付けでなく、全体に掛かっての呉須の発色は珍しいですね。窯で飛んだようでもなく、しかも白釉ではなく灰釉で海鼠釉の焼成、窯変とさえ思える味わいになっています。やはり呉須の発色ではなく、飴釉と白釉の掛け合わせのせいだとするのが正しいようです。
高台廻りには雑な補修の跡が残っています。
おそらく高台廻りから漏水していたのでしょう。不要な接着剤を除去してみました。全部ではありませんが、結構きれいになりました。
なんとも訳の分からない作品ですが、会寧窯のような、李朝のような・・、単に味わいだけならいい作品だと思います。筆立てなどにはもってこいですね。
私は会寧焼ではないかと推定しましたが、会寧窯では難しいとされる面取りの作品を作っていたかどうかは小生には解りません。やはり飴釉薬の上に白釉薬(灰釉)を掛け合わせて焼成時に色がこのように青っぽく変化したのだろうと推測しています。
ところで幾つか本ブログでも会寧焼の作品を紹介していますが、下記の作品がそのひとつです。ちなみにこの作品はオフィスで筆立てに使っています。
会寧焼(李朝後期?) 会寧斑染付壺
誂箱
口径*胴径150*高台径*高さ118
李朝白磁の全体的な特徴は、底が厚いことです。そのために筆立てにはもってこいなのですが、その理由は器形の焼成安定化と使用時に中に入れた食品が冷めない為の工夫であると思われています。特に王様の食器である分院の作品は重いのが特徴であり、高台の中が深くえぐられているのも高級な作品の特徴だそうです。ちなみに「高台の中が深くえぐられている。」のは食器がメインのようです。
最後に蛇足です。似たような形の作品がなんでも鑑定団に出品されています。
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参考作品
辰砂面取壷 李朝中期
2017年10月10日放送 なんでも鑑定団出品作
評価金額:500万円(実際は一桁違う?)
評:18世紀、朝鮮王朝時代中期から後期にかけて作られた面取壺に間違いない。形や雰囲気からみて朝鮮王朝の広州官窯で作られた物と考える。真ん丸な果物を包丁で、すぱっ、すぱっ、すぱっと切り取ったような典型的な11面取壺で、これだけの面を取るということは、元になる丸い壺をよっぽど厚く作らなければ不可能。ところがその厚みを全く感じさせない。そして下部分に行ってかすかに膨らんでいる安定感といい非常に上品な物。銅を呈色剤とした辰砂という顔料は大変に不安定で、窯に入れると緑色になったり、黒くなったり、色が飛んでしまったり、ほとんど上手くいかない。仮に白磁の面取壺、染付の面取壺が100個あるとすると、辰砂は1個あるかないか、それくらい数が少ない。かつての日本人は、自分の心の中に失われた古き良きものを感じて限りない郷愁を持った。一つの文化遺産として貴重な品物。
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「かつての日本人は、自分の心の中に失われた古き良きものを感じて限りない郷愁を持った。」というのと「500万円」という評価額が気になりますね~、これらは本当の蛇足ですが、500万円という金額をこの作品につぎ込みますかね?
本日の作品はそのような高価な作品とは縁遠い近代の作品の可能性も大いありますが、下手好みの小生は嫌いではありません。
李朝? 窯変? 白釉? 会寧窯?・・・、既成概念で李朝から観るのちょっとやめてみました。作り方から観てみましょう。
氏素性の解らぬ作品 灰釉窯変八面取壺 李朝後期?
高台廻り補修跡あり 誂箱
口径110*最大胴径203*高台径*高さ158
上の釉薬に交じって、青い部分と茶色のような色合いが見えますので、ちょっと見た感じでは、呉須と鉄釉を塗った?後に灰釉を全面に掛けて焼成されたと思われる作品で、いわゆる海鼠釉に似た感じとなっています。しかしよく見るとどうも李朝の飴釉の上に白の灰釉薬(白釉)を掛け合わせたように見受けられます。
この感じは当方の知っている作り方だと呉須と鉄釉をスプレーのように胎土に掛けて、上釉に白釉というより灰釉を掛けた作り方ですね。
下記の作品は小生が平野庫太郎氏の保戸野窯で同様の作り方で作った俎板皿の部分写真です。
本作品のフォルムは李朝に相違ないでしょう。口縁や高台の作り方は飴釉面取壺に近似しています。
胎土も李朝後期と考えていいと思います。
当時は貴重とされていた呉須(コバルト)系の顔料の代わりに用いた鉄釉や辰砂で絵付けをした作品は李朝には数多くあります。
しかし下絵付けでなく、全体に掛かっての呉須の発色は珍しいですね。窯で飛んだようでもなく、しかも白釉ではなく灰釉で海鼠釉の焼成、窯変とさえ思える味わいになっています。やはり呉須の発色ではなく、飴釉と白釉の掛け合わせのせいだとするのが正しいようです。
高台廻りには雑な補修の跡が残っています。
おそらく高台廻りから漏水していたのでしょう。不要な接着剤を除去してみました。全部ではありませんが、結構きれいになりました。
なんとも訳の分からない作品ですが、会寧窯のような、李朝のような・・、単に味わいだけならいい作品だと思います。筆立てなどにはもってこいですね。
私は会寧焼ではないかと推定しましたが、会寧窯では難しいとされる面取りの作品を作っていたかどうかは小生には解りません。やはり飴釉薬の上に白釉薬(灰釉)を掛け合わせて焼成時に色がこのように青っぽく変化したのだろうと推測しています。
ところで幾つか本ブログでも会寧焼の作品を紹介していますが、下記の作品がそのひとつです。ちなみにこの作品はオフィスで筆立てに使っています。
会寧焼(李朝後期?) 会寧斑染付壺
誂箱
口径*胴径150*高台径*高さ118
李朝白磁の全体的な特徴は、底が厚いことです。そのために筆立てにはもってこいなのですが、その理由は器形の焼成安定化と使用時に中に入れた食品が冷めない為の工夫であると思われています。特に王様の食器である分院の作品は重いのが特徴であり、高台の中が深くえぐられているのも高級な作品の特徴だそうです。ちなみに「高台の中が深くえぐられている。」のは食器がメインのようです。
最後に蛇足です。似たような形の作品がなんでも鑑定団に出品されています。
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参考作品
辰砂面取壷 李朝中期
2017年10月10日放送 なんでも鑑定団出品作
評価金額:500万円(実際は一桁違う?)
評:18世紀、朝鮮王朝時代中期から後期にかけて作られた面取壺に間違いない。形や雰囲気からみて朝鮮王朝の広州官窯で作られた物と考える。真ん丸な果物を包丁で、すぱっ、すぱっ、すぱっと切り取ったような典型的な11面取壺で、これだけの面を取るということは、元になる丸い壺をよっぽど厚く作らなければ不可能。ところがその厚みを全く感じさせない。そして下部分に行ってかすかに膨らんでいる安定感といい非常に上品な物。銅を呈色剤とした辰砂という顔料は大変に不安定で、窯に入れると緑色になったり、黒くなったり、色が飛んでしまったり、ほとんど上手くいかない。仮に白磁の面取壺、染付の面取壺が100個あるとすると、辰砂は1個あるかないか、それくらい数が少ない。かつての日本人は、自分の心の中に失われた古き良きものを感じて限りない郷愁を持った。一つの文化遺産として貴重な品物。
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「かつての日本人は、自分の心の中に失われた古き良きものを感じて限りない郷愁を持った。」というのと「500万円」という評価額が気になりますね~、これらは本当の蛇足ですが、500万円という金額をこの作品につぎ込みますかね?
本日の作品はそのような高価な作品とは縁遠い近代の作品の可能性も大いありますが、下手好みの小生は嫌いではありません。