peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市幸町のスイセン「ナルシッサス・バルボコディウム」

2010年04月21日 | インポート

P1940314

2010年4月20日(火)、一関市立山目小学校(一関市幸町    )付近の民家の庭に植えられた珍しいスイセン(水仙)「ナルシッサス・バルボコディウム(ナルキッスス・バルボコジウム)」が花を咲かせていました。

P1940309

P1940313

P1940316

スイセン「ナルシッサス・バルボコディウム」 ヒガンバナ科 スイセン(ナルシッサス)属 Narcissus bulbocodium(図鑑によっては、「ナルキッスス・バルボコジウム」と表記する。 )

高さ10~15cmほどのミニ水仙。花の形から「ペチコート水仙」とも呼ばれているようです。

http://iyashi.midb.jp/detail/5100 [ナルシッサス・バルボコディウム/癒し憩い画像データベース]

http://aquiya.skr.jp/zukan/Narcissus_bulbocodium.html [草木図譜:ナルキッスス・ブルボコディウム(ペチコートスイセン)]

http://ohana2005.fc2web.com/sikinohana_suisen.html [ちょっと!写真を撮りに”水仙の花特集”]

スイセン(ナルシッサス)属 Narcissus:は、スペイン、ポルトガル、地中海沿岸、北アフリカに約50種分布する耐寒性の球根植物。1959年イギリス王立園芸協会はスイセンの園芸分類を行い、1969年に修正されて現在、以下の分類体系が用いられている。切花、鉢物、花壇用に使用される。

スイセンの園芸分類

1.ラッパズイセン(1茎1花で、副花冠が花被片と同長かそれより長いもの)。

2.大杯スイセン(1茎1花で、副花冠が花被片の3分の1以上で花被片より短いもの)。

3.小杯スイセン(1茎1花で、副花冠が長くても花被片の3分の1あるもの)。

4.八重咲きスイセン(あらゆる系統の八重咲きのもの)。

5.トリアンドラス・スイセン N.triandrus(以下、5.~9.までは種の特徴を中心としたもの)。

6.シクラミネウス・スイセン N.cyclamineus

7.ジョンキラ・スイセンN.jonquilla

8.フサザキスイセン

9.クチベニズイセンN.poeticus

10.野生種

スプリットコロナ・スイセン(副花冠が3分の1以上裂けるもの)。

以上のどこにも入らないもの。

ナルシッサス・バルボコディウム(ナルキッスス・バルボコジウム)は、野生種に属するスイセンである。


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都46:宇治平等院(4)

2010年03月17日 | インポート

P1870170

(上と下)宇治川の中州「宇治公園」から宇治神社の方に渡る橋「朝霧橋」。この頃は未だ雪がちらついていて、風が吹いていたが、いつの間にか止んで、太陽が顔を出していた。

P1870172

 2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の第3日目。この宇治平等院で終わりである。昼食後、自由行動になったが、ほとんどの人が一緒に行動した。みんな宇治神社まで行く気のようなので、私も従いて行くことにした。

P1870190

(下)宇治川の中州「宇治公園」の東側。この中州(島)が無ければ、とても幅広い大河である。

P1870176

P1870230

(下)宇治川の中州「宇治公園」から宇治神社方面に渡る橋「朝霧橋」の上から、宇治公園など西側(平等院がある方)を望む。

P1870179

(下)「源氏物語・宇治十帖モニュメント」

P1870220

P1870188_2

 「源氏物語 宇治十帖(うじじゅうしょう)」:紫式部が11世紀に書いたといわれる源氏物語は全体で54帖からなっていますが、45帖から54帖までは、宇治を主要な舞台にしていることから「宇治十帖」と呼ばれています。

 物語の前半部分は華やかな宮廷生活を舞台に、光源氏と彼をとりまく女性たちの織りなす様々な人間関係が華麗に描かれていますが、これに対して「宇治十帖」は、光源氏亡き後、子の薫、孫の匂宮(におうのみや)と大君(おおいきみ)、中君(なかのきみ)、浮舟の三人の姫君の切なくもはかない悲恋の物語が描かれており、「橋姫」「椎本(しいがもと)」「総角(あげまき)」「早蕨(さわらび)」「宿木(やどりき)」「東屋(あずまや)」「浮舟」「蜻蛉(かげろう)」「手習(てならい)」「夢浮橋(ゆめのうきはし)」の各帖で構成されています。

 源氏物語はフィクションですが、宇治川の周辺には源氏物語を愛する人々によって、いつのころからか宇治十帖の各帖にちなんだ古跡が設定され、当時と変わらぬ宇治川の清流や木々の緑、静かなたたずまいを見せる周辺のまちなみとあいまって、訪れる人々を源氏物語の世界へ誘ってくれます。

 宇治十帖モニュメントは、浮舟と匂宮が小舟の上で愛を語りあう場面をモチーフに、宇治十帖の象徴として平成7年3月に建てられたものです。宇治十帖散策モデルコース

P1870194_2

P1870198_2

(上)源氏物語の主人公・光源氏の名前を付けられたツバキ(椿)が植えられていた。

http://blog.goo.ne.jp/pea2005/s/%B8%F7%B8%BB%BB%E1

P1870211

 (上)狛犬(阿形=あぎょう):口を開けている。

P1870201_2

 (上)狛犬(吽形=うんぎょう):口を閉ざしている。

P1870181_2

P1870184_2

(上)宇治神社

P1870203

P1870204_2

宇治市の史跡紹介 宇治神社:宇治神社は、日本書紀に「応神(おうじん)天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」と記されている。悲運の皇太子莬道稚郎子(うじのわきいらつこ)の等身大の坐像を祀っており、付近は莬道稚郎子が造営した桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)跡と伝えられています。  また、明治維新までは、宇治上神社と二社一体で、それぞれ、離宮上(かみ)社、離宮下(しも)社と名付けられていました。現在の本殿及び外陣の狛犬は鎌倉時代につくられたもので、狛犬は開口する獅子(阿形=あぎょう)と一角を持つ狛犬(吽形=うんぎょう)で一対とされ、格調高い作品として極めて貴重なものです。  当社の祭礼である離宮祭は、田楽等の芸能が催され、平安後期から鎌倉時代には多くの人々が集まり大いに賑わいました。

P1870185

(上)この先には、世界遺産の宇治上神社や源氏物語ミュージアムがあるようだが、同行者たちは皆、ここから帰るようなので、一緒に帰ってきた。

P1870212_2

 宇治神社のそばにクチナシ(梔子)の果実が沢山ついていた。

P1870216_2

P1870215_2

P1870218_2

 クチナシ(梔子) アカネ科 クチナシ属 Gardenia jasminoides

山地に自生するが、庭木としてもよく植えられている常緑低木。高さは2~3m。葉は対生し、長さ5~15cmの長楕円形で光沢がある。6~7月、芳香のある白色の花を開く。花は直径6~8cm。果実は長さ2~3cmで、6稜のある長楕円形で、萼に包まれたまま橙色に熟す。果実はクロシンという色素を含み、染料にしたり、キントンなどの食品の着色料などに利用される。八重咲きのヤエクチナシ、大輪八重咲きのオオヤエクチナシなどの園芸品種がある。分布:本州(静岡県以西)~沖縄。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑2・夏の花」ほかより]  下記のWebサイトにクチナシの花の画像が掲載されています。2010年3月17日(水)

http://1bks.jp/big/103/11-20/10317.jpg [日刊「西表島フィールドニュース」(毎日配信)]

P1870240_3

(上)宇治川の中州「宇治公園」と平等院の東側道路をつなぐ橋「橘橋」

P1870243_2

(上)中州の「宇治公園」と喜撰茶屋がある辺りの道路を結ぶ「喜撰橋」

P1870238_2

(上)中州の「宇治公園」の喜撰橋の近くにある時計塔。ここでの予定時間は14:40時だったが、未だ13:50時だった。

P1870260

(上)駐車場に駐車していたバスに戻る。

P1870262

(上)近鉄京都駅/JR京都駅に到着。(下)3日間お世話になったバス(手前)。

P1870268_2


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都5:寂光院

2010年02月09日 | インポート

P1840368

建礼門院大原西陵に寄り道している間に、仲間たち一行の姿が見えなくなってしまいました。行き先がわかっているのであわてませんでしたが、このタクシーが停まっている所の右側の方に、寂光院の入口がありました。

(下)寂光院の門前にある漬物店「翠月(すいげつ)」:シソの香りの高い生しば漬けなどを売っている。

 建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないじ)は、院の前の草生川を渡った所の墓で静かに眠っている。この阿波内侍が里人の貢ぎ物の夏野菜(ナスやキュウリなど)を、シソ(チソ)の葉と一緒に漬け込んだ漬物が「しば漬」の始まりとされ、みやげ物として茶店などで売られている。

P1840370

P1840375

P1840376

 謡曲「大原御幸」と寂光院:文治2年(1186)4月、後白河法皇が壇ノ浦で平家が滅びた後、洛北寂光院に隠棲された建礼門院(徳子・高倉帝の皇后)を訪ねられたことは「平家物語の潅頂巻」にくわしく、また謡曲「大原御幸(おおはらごこう)」にも謡われている。当時、法皇は鞍馬街道から静原を経て江文峠を越え大原村に入り、寂光院を尋ねられているが、ここ寂光院の本尊は聖徳太子御作の地蔵菩薩で、その左に建礼門院の木像や阿波ノ内侍の張子の座像が安置されている。謡の詞章にそって緑羅の垣、汀(みぎわ)の池などが趣をそえ、うしろの山は女院の御陵域になっており、楓樹茂り石段は苔むし、謡曲をしのぶことが出来る。謡曲史跡保存会

P1840377

P1840378

P1840381

寂光院の受付

P1840383

P1840385

 参道の長い石段を登ると山門があり、潜るとすぐ前に本堂(書院)がある。本堂は平成12年(2000)、放火で焼失したが平成17年(2005)に再建された。

P1840409

寂光院:天台宗の尼寺で、山号は清香山(せいこうざん)、寺号は玉泉寺(ぎょくせんじ)という。推古2年(594)に、聖徳太子が父・用明天皇を弔うために建立したと伝えられる。初代住職は、聖徳太子の御乳人(めのと)であった玉照姫(たまてるひめ)[敏達十三(548)年に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人で、慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが法灯を守り続けてきた。第二代の阿波内侍(藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家後に入寺し、証道比丘尼となった。建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされている。第三代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、 文治元年(1185)9月入寺し真如覚比丘尼となった。そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされた。閑居御所とされた。それ以来、御閑居御所、また、高倉大原宮とも称されている。

 翌文治2年(1186)、後白河法皇が御幸したことは、平家物語や謡曲で有名な大原御幸(おおはらごこう)として知られている。 旧本堂は、内陣及び柱が飛鳥様式、藤原時代及び平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で慶長8年(1603)に豊臣秀頼が、片桐且元を工事奉行として修理させたという歴史的に貴重なものであったが、平成12年(2000)5月9日の火災により全焼し、その姿は永遠に惜しまれるものとなった。ともに焼損した聖徳太子の作と伝えられる旧本尊、六万体地蔵尊は重要文化財の指定が継続されているが、損傷が甚だしいため、収蔵庫に安置されている。

現在の本堂及び本尊は平成17年(2005)6月に古式通りに忠実に復元したものである。また、江戸時代には、豊臣秀頼や徳川家康、淀君らが再興に手を尽くした。

本堂前西側の庭園は、平家物語当時のままで、心字池、千年の姫小松、苔むした石、汀(みぎわ)の桜などがある。この姫小松は、平家物語潅頂巻の大原御幸に「池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」の松として伝わるもので、文治2年(1186)の春、翠黛山(本堂正面に対座する山)から、花を摘み帰った建礼門院が、後白河法皇と対面するところに登場する。この樹齢千年の名木も、本堂の火災によって痛みが激しくなり、遂に平成16年夏に枯死した。この庭園は幽翠で哀れに美しく、当時の余韻を残している。

本堂前北側の庭園は、回遊式四方正面の庭で、林泉・木立・清浄の池として表現され、特に石清水を引いた三段の滝を玉だれの泉と称し、一段一段高さと角度が異なり、三つの滝のそれぞれ異なる音色が、一つに合奏するかのように作庭されている。

 また、本堂手前右側にある大きな南蛮鉄の雪見燈籠は、太閤豊臣秀吉の寄進で桃山城にあったものを移した。

本堂の右手裏山には、建礼門院大原西陵が所在し、五輪塔の仏教式御陵として珍しいとされている。さらに翠黛山には、阿波内侍をはじめとする5人の侍女の墓地群が所在する。

[受付で頂いたパンフレットの「寂光院略縁起」より]

P1840388

 寂光院の山門

P1840389

P1840390

 (上)と(下) 寂光院の本堂(書院):平成12年(2000)5月に放火により全焼した本堂は復元され、平成17年(2005)6月に一般公開された。往時の姿を取り戻した内陣は、漆塗りの黒い柱に赤、青、金色の極彩色で唐草模様が描かれている。中央には、高さが2mを越える鮮やかな色の地蔵菩薩像が安置されているほか、建礼門院の像と建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないじ)の像が祀られていた。

P1840392

P1840391

本堂左手の庭園に一本の桜の木がある。「汀の桜(みぎわのさくら)」といい、そばの池を「汀池(みぎわいけ)」という。これは、後白河法皇(夫・高倉天皇の父)が建礼門院を見舞ったとき、法皇が詠われた「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛りなりけり」に因んで名付けられたとされる。

P1840394

 本堂右手前に、伏見城から移されたという南蛮鉄で造られた大きな雪見燈籠が置かれていた。

P1840411

 本堂右の北庭園は「四方正面の庭」で、岩清水の流れる滝と泉がある。

P1840410

P1840418

P1840397


シュウメイギク(秋明菊)

2009年08月31日 | インポート

 一関市山目のシュウメイギク(秋明菊)   2009年8月25日(火)

P1070303

P1610911

P1070324

2009年8月25日(火)、一関市山目の旧県立磐井病院の近くにある民家の庭で、シュウメイギク(秋明菊)が花を咲かせていました。

P1070278

P1070280

P1070284

P1070327

P1070328

P1610913

P1070290

P1070296

キンポウゲ科 イチリンソウ(アネモネ)属 Anemone

北半球の温帯から亜寒帯にかけて約120種が分布し、日本にはニリンソウA.flaccidaやイチリンソウA.nikoensis、シュウメイギクなど12種が自生している。根茎または塊茎をもつ多年草。

シュウメイギク(秋明菊) / キブネギク(貴船菊) Anemone hupehenss

var.japonicaは、ヒマラヤ地方、マレー半島、中国、台湾、日本に自生する耐寒性多年草で、庭などによく植えられている。日本(本州、四国、九州)に野生状態で生育しているものは、古くに中国から渡来したものと考えられている。和名は、キク(菊)の花によく似ていることによるが、京都市北部の貴船山に古くから野生種が多く栽培も盛んだったことからキブネギク(貴船菊)の名もある。アネモネなどと同じ仲間。

草丈50~150㎝ほどで、地下茎をもつ。株全体に白い伏毛があり、根もとの葉は長い柄のある3出複葉で、小葉は3中裂する。茎につく葉は3裂し、ほとんど柄がなく、互生する。

8~10月、茎頂から数本の花柄を長く伸ばし、直径5~7㎝の花を1個ずつつける。野生種は紅紫色で八重咲きの平らな花をつけるが、現在出回っているのは交配されたもので、多くの品種があり、花色は紅紫、ピンク、白など。この花弁のように見えるのは萼片で、20~30個ある。

今日では多くの園芸品種があり、紅色の八重咲き種のほかに、セプテンバー・スプリットcv.September Spritなど白色の一重咲きがある。一重咲きの花びらは萼片が変化したもの、八重咲きのものは、さらに萼片と雄しべが変化したものである。また、大輪や小輪、高性や矮性(チャボシュウメイギク)などバラエティーに富んでいる。鉢植え、庭植え、切り花、茶花として利用される。

[栽培]容易で、繁殖は株分けによる。鉢植えは日なたに置き、夏は風通しのよい半日蔭に移す。乾燥させないようにたっぷり水やりする。