2018年11月15日(木)、登米懐古館(宮城県登米市登米町寺池桜小路103-9)で開催中[平成30年9月8日(土)~11月25日(日)]の秋の企画展「戊辰の役と登米伊達家」を観に行って来ました。
とよま観光物産センター「遠山の里」の駐車場に車を駐めて、登米懐古館には寺池城址公園入口から入り、階段を登って入りましたが、正式な出入口が、別の場所にありました。
http://toyoma.co.jp/facilities-kaiko/ [登米懐古館:とよま振興公社]
この企画展は、戊辰の役(戊辰戦争)がテーマとなっていますが、直接関係する資料は火縄銃(銘:仙台登米住、高橋彦四良靖恒)1挺、英国製エンフィールド銃(管打ち式銃、1861年製造)1挺、管打ち式銃 1挺、十三代藩主・邦教愛用の鞭 1点、登米藩士・戊辰の役連判状(戊辰の役、出陣の時当主に忠誠を誓った血判状 5巻、戊辰の役感状(慶応4年閏4月御霊櫃口の戦いに手柄を立てた書き付け)の6点ほどしかありませんでした。
その外に、この戊辰戦争のときの登米伊達家十三代藩主・邦教について書かれた説明の文章が印象に残りました。
”登米伊達家の「最後の殿様」、十三代領主邦教(くにのり)は、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍が敗れ、明治維新の激動が続くなか、八千石余の領地を家臣に開放し、多くの武士を帰農させた。農地を持たぬ家臣にも年貢の対象にならない自分の蔵入れ地を残らず分与した。他の領主が領地没収に遭うなか、こうした施策により登米の暮らしと文化は守られることになった。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊達邦教
http://ooakagera.da-te.jp/e868284.html[オオアカゲラのチャンネル2:2月16日(月)の日記:伊達邦成公の北海道開拓の話]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます