2013年9月12日(木)、奥の細道を訪ねて(第14回)2日目~白山神社の芭蕉句碑&エノキ(榎)
この日は、玉屋跡(芭蕉宿泊の地)を見学した後、白山神社の参拝(見学)です。白山神社は能生(のう)駅の北東約1.2㎞、能生海岸を前面にひかえた、小高い丘の中腹にあります。旧郷社で、奈良時代の大宝2年(702)の創建と伝えられています。のち、”越の大徳”こと泰澄大師(682~767)が来往して社殿を造立し、修験道の道場として社観を整えたといわれています。延喜式内社の奴奈川神社はこの白山神社のことといわれています。[ツアーの参加者に配布されたプリントより]
(下)白山神社の鳥居をくぐると直ぐ左側(社務所前)に「曙や霧にうづまく鐘の声」という芭蕉翁の句が刻された句碑が立てられています。文政5年(1822)岡本姫山が建立したもので、それから岡本家の人々やお寺のお坊さんなどの間に俳句が盛んになったといわれています。
この句は、元禄2年(1689)7月11日、能生の玉や五郎平衛に泊まった芭蕉は名鐘「汐路の鐘」のことを聞き詠んだ句といわれています。
http://www.noumachi.com/tamaya/yukari.htm [ゆかりの人]
(上と下は下記のような文章です。)越後能生社汐路の名鐘:むかしより能生社にふしぎの名鐘有 これを汐路の鐘といへり いつの代より出来たる事をしらす鐘の銘あるしかと幾代の汐風に吹くされて見へさらしと常陸坊の追銘とかや此鐘汐の満来らんとて人さはらずして響こと一里四面さる故に此浦は海士の児までも自然と汐の満干を知り侍りしば名應の頃焼亡せり されどもその残銅をもって今の鐘能登国中居浦鋳物師某鋳返しけるとそ猶鐘につきたる古歌などありしといへども誰ありてこれを知る人なし 芭蕉 曙や霧にうづ満くかねの声
(上)白山神社拝殿:この拝殿の傍にエノキ(榎)の木が葉を茂らせていました。実と思われるものも付いていました。
(下)白山神社拝殿前の新しい灯籠
(下)拝殿の裏側にある本殿に向かっています。
(下)白山神社の本殿(国の重要文化財)
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