peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

飛鳥寺西門跡&蘇我入鹿首塚とレンゲソウ(蓮華草)

2008年05月04日 | Weblog


2006年5/11(木)、奈良県明日香村の飛鳥寺(安居院)のすぐ裏側
にある「飛鳥寺西門跡」とすぐ近くにある「蘇我入鹿の大臣供養塔
(首塚)」を訪ねました。
休耕田と思われる所に「レンゲソウ(蓮華草)」が咲いていました。

 下記の画像の案内板は飛鳥寺(安居院)にあるもの



 上の画像の説明盤には、下記の文章が記されていました。「大化改新」
あたりの歴史がよく理解できそうです。
飛鳥寺西門跡飛鳥寺は西暦588年につくり始められた日本最初のお寺。
塔を中心にその北と東西に3つの金堂が建っていた。北の中金堂に
あった鞍作鳥(くらつくりのとり)作といわれる飛鳥大仏は、今も
その位置を動いていない。

西門は礎石を置いて柱を建てた瓦葺きの門。間口3間11.5m、奥行2間
5.5mの規模だった。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋
まっていた。寺の四方に開いた門の中では、この西門が最も大きい。

寺の西に飛鳥の檜舞台、「槻(ケヤキの古名)の木の広場」があった
からだ。中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と藤原鎌足(ふじわら
のかまたり)はこの蹴鞠の場で出合い、645年に大化改新を成し遂げた。
この時、2人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘橿丘(あまかしのおか)
の蘇我入鹿(そがのいるか)・蝦夷(えみし)の舘をにらんでいた。

672年に壬申乱(じんしんのらん)の時には広場を軍隊がうめつくした。
その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となり、噴水が置
かれ歌や踊りが満ち溢れた。西門はそんな飛鳥の歴史を見守ってきたの
だった。

なお、上の文章にある「蹴鞠(けまり)」が飛鳥寺に飾られていました。







レンゲソウ(蓮華草)マメ科 ゲンゲ属
 Astragalus sinicus
中国原産の多年草(2年草)で、日本に渡来したのは17世紀以前。
田畑、草原、土手などの日当たりの良いやや湿った所に生える。
別名:ゲンゲ(紫雲英)、レンゲ(蓮華)

葉は奇数羽状複葉で、3~5対の小葉があり、全草が柔らかい。茎は
地表を這って広がり、葉の付け根から伸びた10~15cmの柄の先に紅紫
色の蝶形花が輪状に7~10個つく。ひとつの花のように見えるが、1個
の花は長さ1.2~1.5cm。

和名は、その蝶形花の集まった姿がハス(蓮)の花に似ていること
による。豆果は熟すと黒くなる。蜜源植物としても重要。

かつては緑肥や家畜の飼料とするために多用され、田植え前の水田
を紅紫色の花で埋め尽くしたレンゲソウは、春の田園の風物詩だった
が、一時すたれ、今また、その価値が見直されはじめているという。

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