Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

劇場の見事な人流整理

2021-08-17 | 文化一般
承前)7月31日の新制作「トリスタン」楽日の生中継ストリーミングヴィデオを入手した。とてもありがたい。ざっと音楽以外の部分に目を通した。最初のゴッチャルクの司会からあって、幕間にカウフマンとバッハラーのそしてブランゲーネを歌ったフォンデアダメラウの楽屋にも押しかけている。背後の窓外からの風景でどのあたりの楽屋かが分かる。実際にマクシミリアンシュトラーゼでは歌手の発声練習が聞こえる。その楽屋の並ぶ廊下は一昨年の見学の際に覗いたことがある。

最初の指揮者登場から楽員の表情がとても見もので、とても変化に富んだ表情をしている。普段以上に指揮者の一挙一動を凝視しているのは客席からでも窺えたのだが、皆が覚醒しているというのがむしろ言い得ている。

しかし何といっても知りたかったのは幕尻からパブリックヴューイングへの流れとそこでの挨拶などである。先ずはお別れの曲「ムシダン」が演奏されて、流石にカメラからはキリル・ペトレンコの表情が克明に映し出されている。客席からは想像でしかなかったものが記録されている。正確にはその部分はオンデマンドから綺麗に切り取られた。時間的に殆ど編集無しながらそこが切り取られているという意味は。

そして支配人席にスポットが当てられて、バッハラーの表情がアップされる。ヴィーン時代の最初から引き立てた人物であり、これでそうした直接擁護するような立場から離れる。いつものスタイルを保ちながらも感無量の表情であった。

そして「ばらの騎士」のヴァルツァーが演奏されて、ペトレンコが躍ることを嫌がるまでの表情もある。そして幕が閉まる。カメラはパブリックヴューイング会場に切り替えられて、出演者を待つのだが、思ったよりも早く出て来た。新館との連絡通路を使って皆が出て来た。舞台からは矢張りそれが一番近回りだったのだ。

その間の時間を計ると5分ほどで出て来て舞台上でカウフマンが挨拶している。舞台裏でのインタヴューでもあったのだが、この期間を越えてその日に至ったことの感激を語っていて、初日からまだ何回かトスカなどを歌ったことでより自由に歌えるようになったと、初日の批評よりもいいだろうということだ。実際に初日には無理していた点はカウフマンだけでなく他の歌手にも言い得て、楽団も大分こなれて来ていたことも間違いない。

今後のミュンヘンとの関係にもおいてもこれまで程ではなくても出るような様子である。又バイロイトとの比較にも質されて、より楽なバイロイトと比較でもペトレンコ指揮では蓋無しでより明快でも抑えられているなどとのそちらを強調していた。

一幕後のインタヴューで三幕まで通してからでないととしていたが、明らかに楽に歌っていて、それだけの歌唱が13日の収録日に出来ているのかどうか。またトリスタンを歌うことで他の役が歌えなくなるという様な副作用は今のところないとしていた。バイロイト音楽祭のトリスタンも無いことはないだろう。

結局我々が劇場内で待っていたのは12分ぐらいだろう。外での挨拶は必要十分に終えていて、トーキーでの連絡は表に出る前に取られていたぐらいになる感じで、出演者が劇場へと戻って来て、バッハラーがそこに居残っていた。ゴッチャルクがパブリックヴューイングの椅子は今回の経験から今後も続けるべきだと話し掛けていた。

それにしてもカメラアングルも素晴らしく、劇場の全体の作り方や臨機応変の人の整理もとても見事だった。ペトレンコに髭が生えているように感じたのは、その髭剃りから伸びたもので、確かだったと分かった。(続く)



参照:
持続的ライフスタイル 2021-08-10 | 料理
初めてのガラコンサート 2021-08-05 | 音
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ミサ典礼文の表情

2021-08-16 | 
金曜日のトリフォノフピアノリサイタルのお勉強を始めた。メインに「フーガの技法」を持って来るという真っ向勝負のプログラムである。ザルツブルク音楽祭と同じである。バーデンバーデン祝祭劇場が短期間に決めたものとしてはホームランではなかろうか。

調べるとザルツブルクの前に入れ込んでいる。演奏者にとってはいい練習になる。直後にコペンハーゲン、10月にベルリン。

先ずこの作品には疎遠だった。理由は楽器指定が無い総譜で書かれている為に、そのアプローチの方法が不明だった。手元には室内四重奏団による演奏のもらい物のCDがあるが、殆どまともに聴いていない。子供の頃に放送で流れる時にその解説などを聴いた記憶がある。その主題にはなじみ深い。

こうした作品の場合はどうしてもグレングールドがどうしているか、確かオルガンを弾いていた筈とLPを探すとあった。調べてみると、ヴィデオに残っているのがピアノ演奏でのそれだったが何曲弾いているのかよく分からない。先ずこの二種類を聴いてしまわないとお話しにならないかもしれない。

しかし何と今年の春にバルセロナでトリフォノフが同プログラムを弾いている客席での違法録音があった。流石に音は遠いのだがとても面白い。想定していたよりも興奮させるぐらいなプログラムだ。恐らく生で聴くとその対位法における音のぶつかり方に工夫があると想像する。

バッハが最後に暗い闘病の部屋で創作していた曲。今迄思っていたよりも遥かに重要な曲だと今頃になって漸く分かった。如何に詰まらない編曲や演奏が多いことか。

日曜の朝に生中継されたザルツブルク祝祭大劇場からの「ミサソレムニス」を聴いた。お目当てはソプラノを受け持つローザ・フェオーラの歌だったが、ムーティ指揮の演奏は想定以上に良かった。なによりもミサ典礼文のその表情とか表現が入り細に音楽化されていて、拘りを聴かせた。

クレドにおける「私たちの為に十字架に掛けられて」を受けて「死に埋葬される」となるところの情感などが自然に溢れていて見事だった ― 作曲の粋と思わせないところがまたマエストロ。サンクテュスのホザンナ、こういう聴かせ所はカラヤンの得意としたものなのだが、ムーティの歌ほどの自然さは無かった。

その反面キリエにおいても、そのベートーヴェン的なアーティキュレーションが効かずに些かホゲホゲ気味の印象があり、同じことがアニュスデイでの軍楽が入るところからフィナーレでも感じられた。独墺音楽の特徴的なアウフタクトからのアゴーギク表現の欠如でもあろう。

それでも二重フーガになっても歌のラインをふっくらとふくらまし、その歌が有機的に響く様に、やはり中欧においても文句無しの説得感があるのはそういう所である。こういうところは域外の音楽家には敵わないところだ。

既に上で暗示したように最後に生で聴いたキリル・ペトレンコ指揮の様な音楽構造やその創作意思に迫るような説得力はなくても、少なくともミサ典礼を軸にして作曲された楽曲を振るということでは決して無駄なものではなかった。

その歌のラインにも関係するのだがフェオーラをはじめソリスツも立派な歌を歌っていて、合唱が上の特徴を漏れなく体現していた。やはりムーティ指揮は歌物も素晴らしい。ホーネックのソロヴァイオリンも悪くはなかった。



参照:
利いているか男の勘 2020-12-25 | マスメディア批評
秋の公演の先行予約を出す 2021-07-08 | 文化一般


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国境沿いの宿を新たに取る

2021-08-15 | 生活
ルツェルン行の新戦略である。最初の一日の催し物を捨てる。現時点ではキリル・ペトレンコ指揮の二回の演奏会に狙いを絞る方が確実である。初日を捨てて、9月1日からにすると、最低一泊でも9月2日目のプログラムを聴ける。

予約を整理した。ルツェルン近郊の280ユーロのアパートをキャンセル、国境手前の小さな町のアパートもキャンセル。前者は未だキャンセルには余裕があったが、最早接種証明無しでスイス内に寝泊まりする意味は無くなった。そこで取った国境前の三泊140ユーロのアパートも月曜日までの期限だったのでキャンセルした。月末にかけてスイスの状況が悪くなって高リスク地域に指定されればもう使えないからだ。

そこで国境前に二泊とすれば、無理をせずに、1日に早朝から出かければキット・アームストロングのマティネーに間に合う。宿泊に陰性証明書が必要となる場合は午前中に国境手前でテストを受ければいい。それが同時に必要になる可能性のある宿泊の証明書にもなる。宿泊に陰性証明が必要でベルリナーフィルハモニカ―に争点を当てれば、こちらで水曜日に出かける前に陰性証明を取ればよい。

二泊120ユーロで、キッチンのあるアパートメントで、夜中でもチェックインできる。その場合22時過ぎにはチェックインが出来る。そこで持参したピクニック材料などで夜食と出来る。翌日は昼までゆっくりと部屋で過ごして、ソワレ―に出かける。帰りも危険地域に認定されていない限り24時間以内の遠足で証明書無しに帰国可能である。もう一泊して金曜日に帰宅の途に着く。

もし月末までに危険地域に指定されるとなれば30日にまでに宿をキャンセルすればよい。演奏会には行けなくなるが旅費や宿泊費で損失は出ない。イザとなればゲリラ的訪問で五日間の自己隔離もあり得る。その場合に二回目の接種に間に合わせてテストを受けなければいけない。陽性になって仕舞えば二回目の接種の手間が省けるかもしれないが、有効期間は半年と短くなる。

最大捨てるティケットは、チェロ12奏団57フランケン、28.5フランケン二枚で114フランケン、即ち108ユーロほど。宿代は160ユーロ安くなり、国境から二回走って余分には180㎞ほど走ることになる。燃料代で精々20ユーロぐらいか。差し引き140ユーロであるからティケット代を引いてまだ30ユーロと駐車料一日分が浮く。50ユーロほどは安くなるだろうか。その残預金でイザとなれば有料のテストを支払ってもまだ予算内に収まる。

もう一つ計画しなければいけないことがあって、23日から26日までにお湯のボイラーを取り換えたいというのだ。来年になったものと思っていたが、これは驚きで、晩夏に珍しく暑い日が続きそうなのでと思い切ったのだろう。残念ながらルツェルン旅行も長くすることは出来ず、その間にザルツブルクへ向かっても仕方がない。実質シャムプーは一回飛ばすぐらいで済むかもしれない。上手く行けば26日には使えると見込めば、実質三日間ぐらいなので山小屋に行く時とあまり変わらない。溜めた水が温まっていれば使えないこともない。出来れば24日ぐらいにどこかに泊まりに行って戻ってこればそれで足りるかもしれない。

月曜日から木曜日であるから、月曜日早朝に洗髪や洗面などを済ましておいて、火曜日を考えれば良い。お泊りから帰ってくるのが水曜日で、冷たい思いをして、木曜日。他所の音楽祭に出かけることも考えないではないのだが、オーストリアは客を入れ過ぎているので、皆が証明書を出していても危なっかしい。ドイツ側からはそのように思われていてどこでも券が余っている。

涼しい所に泊まるだけでもと思っても、会場に出かけて感染するようなことになると翌週のルツェルン行きが駄目になる。この点は接種証明を持っていればテスト無しで切り抜けれた。

近所で衛星写真で見てロケーションの良さそうなところを探してみる。安くて部屋の立地が良いアパートメントなら間に二泊して帰って来ればそれも悪くはない。周りの広々としたところが有ればそれだけで気持ちよい。部屋自体はそれ程広いものは要らないが、使えるテラスかバルコンがあればそれで十分だろう。以前泊まったところで比較的いいところもあったのだが、さてどうだろう。食料も持ち込めば二泊三日ぐらいならばあまり他人と接触することもないのであまり問題が無い。



参照:
へったくれも何もなく 2020-12-03 | 雑感
漸く見えてきた今夏の状況 2021-05-06 | 文化一般 
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接種一回目の風景

2021-08-14 | 生活
接種一回目を終えた。13日金曜日13時で、完璧だった。その前に洗濯屋によって二着のシャツを回収する。12時30分を過ぎていたが、まだ開いていた。その近くに13時45分に出頭しなければいけなかったので、幸運だった。

車を大駐車場に乗り入れると州の接種場と誘導してあって、普段よりも容易に近くに駐車可能だった。あそこまで書いてあると用の無い人は避けて止めるのだろう。駐車したのが38分頃で二三分待った。書類を持ったお兄さんが前を通るので直ぐに分かった。

車を降りると50メートルも歩かないところに臨時のテント受付があって、予約をしているだけに待ち時間無しで、インタヴューの女医さんのところまで行った。最初から書類チェック二回と体温一回測定だけだった。消毒液で手をこするだけの余裕も与えられなかった。

希望していたような新米の若い女医さんではなかったのが残念だったが、想定していた問答よりも、ワクチンの効果のシステムを早口で説明した。紙に書いてあるものよりも新しい情報、つまり感染は二本目を打ってもすることはあるが、重病化を避ける効果はあるとしていた。こちらは証明書が欲しいだけだとは流石に言えなかった。

それ以外には最後にワクチンを打ったのは40年以上前だと答え、昨年全ての症状が出て10月まではあったので疑問に思っているというと、「今はそう思っていない」と言われて終わり。アレルギー無しもチェック無しで通されてしまった。それだけでは不安なので献血の時に過敏症で問題になったことも告げたのだが、彼女が何かを言う前に「まあ関係ないか」と言ってしまうので、何時も何も引っ掛からない。決して健康優良児ではないのだが、ただの医者嫌いだけで、問題の無いような人間に見えるのだろう。

そして一人で待っていると奥から打ち手が出て来た。袖をまくってこれで充分かと訊ねた。消毒でぱっちっと打つのだが、刺さったのはなんとなく分かっても液が注入されるのは全く分から無かったので、「用が足りたのか」と訊ねた。挿入感もへったくれもなかった。液量が少ないので針も凄く細いのだろう。歯医者で歯茎の注射に慣れているとなんともないことだ。

そして何時も写されている様に何人かの人が座っている待合室に出た。アレルギー症状が無いか座って15分待つところだが、結局腕を伸ばしたりして暫くしてから自分で時計を見て計ってチェックアウトするのだと気が付いた。時計を見た時からじっくりと15分間待っていた。兎に角何も感じないので切っ掛けをつかむのが難しかった。不安なので長めに居たのだが、後に来たお兄さんが先に出て行ったので、それに続いた。

何故か出口には保安員がいる。一体どういうことを想定しているのだろうか。あんなところで暴れる人がいるのだろうか。帰りに念のために車内クーラーを最強にして左腕を冷やした。モデルナではないので、更に一本目なので何もないとなると、これまたいつから出て来るのかも分からない。

少なくとも六時間経過しても打ったことを知らなければ何も気が付かない ― しかし筋肉のこり感は分かって来た。心拍計もして行くのを怠ったが、毎分54まで落ちていて、午後にしてはとても低い。どちらかというと反交感神経が効いている感じであるが、顔が青くなるような感じでもない。暑い筈が結構涼しくて気持ちよくなって座りながら居眠りする。この傾向ならば熱は出ないだろうか。

夕飯は弱いアレルギーの出る燻製マスを食してリースリングを飲みたい所だが、涼しくなるまで様子を見ようかと思う。一日二リットル以上のハーブティーを昨日から飲んでいる。チックアウトのところで外国でも通じる黄色の接種カードについて質問した。受付では取りに行くようなことを聞いたのだが、アマゾンで購入しても同じことも分かった。金だけの問題である。

スイスの指数が上がってきている。週末に危険地帯に指定された時のケースも考えて宿などももう一度洗い直しておかなければいけない。



参照:
なかなかいい味わい 2021-08-13 | ワイン
接種予約を取ってみる 2021-08-12 | 歴史・時事
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なかなかいい味わい

2021-08-13 | ワイン
午前中にワインを取りに行った。来週になるとどうなるか分からないからである。9月初めに試飲会を予約したが、証明書類まで持って行ってというのは論外だ。そこでまだ試していなかった2020年物を二種類取りに行った。その他にも2019年物の雑食砂岩リースリングの売れ残りがあったので、6本購入しておいた。全部で18本と支払っていなかった2019年物のグローセスゲヴェックス3本分の支払いを済ませておいた。これで両年の出来に関しても抑えることが出来る。

幹線国道が込んでいたので、帰りはワイン街道を北上して戻って来た。時間も掛かるが時々観光道路のような鄙びたワインの村を通って走ってくるのも悪くはない。アルザスのコルマー周辺の街道とよく似ていてそれよりも鄙びている。同じ街道筋でもこちらが住んでいるところは矢張り大都会にも近く、風景も何もかも都会的である。戻ってくると分かる。

朝をしっかりとっていなかったので、残っていたレンズマメソースのシュペッツェレを食した。浅めに火を通していたのでモチャモチャせずに快適に食せた。折角であるから冷蔵庫に入れたばかりのリースリングを昼から開けた。短く午睡である。

東京都や政府の専門家の会見を見ていると嘘ばかりが耳につく。政府の尾身先生ももはや目標を出して国民に呼びかける気持ちも失ったようで、話していることが殆どホゲホゲの爺さんの内容になっている。人流五割低下で何を目指すかというと最早実行再生産数を一以下にすることでは無く、政府との間での妥協案としての落とし所を示している。

問題は新陽性者数の抑制では無くて、崩壊している医療に支援をして行く方法としての施策である。医療崩壊によって失われる命が増えてくることは認めていて、災害としている。まさしく人災なのだが、昨年から何もしていないのだから幾ら吠えても意味が無いことは分かっている。皆が期待している様に死者数が数倍にもならなければそれでよしということなのだろう。

更に感染の仕方からある程度でピークアウトするとみているようだが、ドイツでは昨年の待降節から新年にかけて感染爆発で最終的には死者数が十倍へと跳ね上がった。津々浦々までウイルスが広がると自ずから死者数は増える。日本の程度の接種率では殆ど影響は生じない。

接種の晩は走る元気が無いかもしれないので、走っておいた。結局30分も走った。日中は摂氏29度ほどになったが、20時過ぎには22度まで下がっていて寒いぐらいだった。谷筋はいつも涼しいが上部に行くと熱が残っている。今晩は時刻が遅いこともあり冷えていた。これが何を意味するかというとその下のワイン地所の葡萄の酸が効くということだ。ドイツで最も価格の高いリースリングの出来る地所はフォルストのキルヘンシュトュックなのだ。

帰って来てから、先ずはヴァイツェンビーア、そして昼に開けた「オェコノミラート」リースリング。酸味が緩い分若干渋みが感じられるが、これが中々いい味わいなのだ。



参照:
アルコールも欲しくなる 2019-09-13 | 試飲百景
暖かく且つ拘束感も無い 2019-11-06 | ワイン
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接種予約を取ってみる

2021-08-12 | 歴史・時事
試しに最寄りの接種センターで予約を取ってみた。すると電話が掛かって来て、今日でもいいからという。それはということで13日の金曜日に入れた。現在はビオンテチしか扱っていないというので二本ともそうなるということだった。地元の企業でありドイツ向きの配給も直接マインツからコントロールしているのでそれはそれで悪くはないだろう。

一本目はアストラゼネカでもよいかと思ったが、在庫は既に海外に流しているのかもしれない。更に今頃は年寄りはあまり打たないので問題の無い二本で揃えている方が効率がいい。モデルナの効きは良さそうだがやはり副反応が強そうなので、特別他所まで出かけて打つ必要はない。州内では既にジョンソン社のも打っているようなので、期日が迫っていて待てない場合はとも考えた。

なによりも打っても良いかと思わせたのは、二本目の期日が四週間後で、丁度時間が空きそうな週で、証明書が有効となるその二週間後を計算すると9月25日からテスト無要となる。その一週間後でもよかったかもしれないが、ぎりぎりになりそうなので、二回目を遅らせずにそれでいいとも思った。四週間の間隔が空いていればそれ程無理にならずにまあじっくり効果が出ると思う。

そうなると来週のトリフォノフリサイタル前のテストが最終になるだろうか。既に近所で予約してあったのだが、祝祭劇場前のそれも開いているようで、最終18時55分前に予約を入れておいた。やはりそこでやると一時間以上前に駐車場に入れられて、其の侭劇場に入れるので便利である。

やはりテストの面倒がその料金以上に悩ましい。10月11日までは今の体制は続くとしても、その後は明らかに不便になる。そもそも抗原検査自体に感染予防の意味は殆ど無い。社会心理的なものだろう。その意味からは行動量の多い人が接種証明を持って動き回るのは悪影響でしかない。テストをPCR検査にするというのなら価値がある。

今回の政府方針で最も興味を持ったのは、現行の新陽性者指数で35までの地域ならば、これらの所謂3G規制が運用されないのと並んで、病院のベットの切迫度でこれに当たらないとしているところだった。勿論秋にかけては更なる上昇が予想されていて、下降傾向になってからのことである。

そこで気が付いたのは、月末ドイツ側に宿泊するとしても陰性テストが必要になることだ。現在はその地域は指数21なので、月末までは35以下であるかもしれないが、適当な時刻にその街で予約を入れておこうと思う。それで日帰りで帰って来ても先ずは証明書もある。二泊三日だからそれで済む筈だ。要するにドイツ内に宿泊していても検査をしているから日帰りしてもそれで通るとしても網は張ってあることになる。

用心にもう一度調べてみた。スイス側の説明でしか見つからなかったのだが、ドイツ政府の説明が見つかった。殆ど隠してあった。つまり、国境線に住む人の往来に付け足しで日帰り旅行について書いてある。つまり国境両方向から出入りできるというものだ。昨年もネットでも話題となっていたのだが国境領域は住んでいないとその運用がよく分からないことがあって、今春でも往復した人の報告で初めてわかることがあった。

本来はスイス国境はオーストリア国境などと比較すれば複雑なのだが、ドイツ側が検査するということで二重に複雑になっている。昨夏バイエルン政府がザルツブルクに行く者はスポーティーでなければ危ないと語ったが、今年は遥かにトリッキーで、とても細かな規定がある。

結論として、宿に泊まる時にテストが必要かどうかは現時点では分からないが、そこから三日間ルツェルンへと遠足に出かける。それには証明書は要らない。しかし近道であるフランスを通ろうとすると、トランジットであることを証明しなければいけない。少なくとも往路には危なくて使えない。


写真:オーストリアへのフッセンの国境トンネル前



参照:
ビアーガルテンの規則 2021-08-09 | 料理
月末から月初めへの目算 2021-08-04 | 生活
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鼻を噛む余裕もない

2021-08-11 | 雑感
ワイン試飲会、一件目は3Gが必要となった。つまり何らかの証明書類がいる。そこまでして行く必要などはない。先ず先に発注して取りに行って、未払い分をそこで払うだけだ。何も無理してグローセスゲヴェックスを試飲して買う必要はない。

あと二件ほど申し込んでみる。7月の時点ではテストは要らず席についてマスクを外してとなっている。先ずは問い合わせて、その様子を見るだけだ。一年や二年外れてもそんなに問題ではない。そもそも一年間殆ど開けていないので飲み頃でどこかで帳尻を合わせられる。

床屋に行くとやりて婆が愚痴っていた。休暇中ということで手が無くて一人で電話予約もなにもかもこなさないけないということだ。こちらは先日若い見習のような女の子を見たので、てっきり彼女が頭を洗ってくれると思っていた。飛んだ見当違いだった。

結局、新たなコロナ対応の話しになったのだ。僕は昨年全ての症状が出たからもう接種で副作用は嫌だといったら、婆さんは旦那と一緒に打ったけど大したことが無かったとかだった。アストラゼネカを二回打ったようだった。半年ぐらいに打たないとねとも話して、結局科学では無くて政治だからと話した。婆さんは全部で17週間も休んだんだと話していた。もう結構だ。

更にスパン保健相の様に床屋にもテスト義務とか馬鹿なことを言いだすとそれだけで大変になる。いい加減によせである。自分のことは自分で守るそれだけだということに。

床屋に行く前にルツェルンの券が発売になったので二枚ほど予約しておいた。毎年無料で市民に開いている夕方のミニコンサートである。ベルリナーフィルハーモニカーツアー公演第一プログラム前に40分ほど新しいルツェルン音楽祭現代楽団の練習である。ベルリンに向かってそこのフェスティシュピーレでも演奏する。その前にもコンサートがあるのだが、それは有料なので、また午後から一日中演奏会は神経がもたない。

そして前日にもあって、そもそも宿のチェックインなどが遅れるとどうなるか分からないと思っていたが、今度は作曲家サウンダースに注目しての同様の演奏会があるので、また晩の演奏会自体が12チェロ奏団のものでエンタメに近く休憩無しでは態々往復150㎞走る価値が危ぶまれたので、無料であり付け足しておいた。両方行ければ価値がある。

机の上を見たら鼻紙の包みがある。ミュンヘンの劇場で最終日に貰った。その時支配人バッハラーのお別れにと聞いて貰ったので、記念品にしてはけち臭いなと思っていた。しかし新聞にお別れに白い布をと書いてあったので、楽団員はブルーの布だったと思っておかしいと思っていた。そしてよく見ると書いてあった。

「ニコラウス・バッハラーとキリル・ペトレンコのお別れに際して、バイエルン国立管弦楽団は小曲を演奏してお別れとします。どうぞ白い布を振って参加してください。」とあるではないか。二人には内緒で準備していたと思うが、バッハラーは既にパブリックヴューイング会場に向かっていたのではなかったか。そもそも手渡されるときにペトレンコにと言われていればそれをしっかり読んで確認していたと思う。

どちらにしてもあの印象的な光景をヴィデオに納める方が遥かに重要だった。少なくとも最前列周辺では誰もやっていなかった。その光景に吸い込まれてしまっていたと思う。



参照:
山の向こうに越していく 2021-08-08 | マスメディア批評
屹度戻って来るからね 2021-08-01 | 文化一般
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持続的ライフスタイル

2021-08-10 | 料理
来週の抗原検査の予約をしておいた。バーデンバーデンの劇場上ではやっているのかどうか分からない。直前に連絡があるのかもしれないが何もない場合に備えて出かける前に近所で予約を入れておいた。トリフォノフのリサイタルである。

祝祭劇場のホームページには秋の公演の需要に応えられていないことが書かれていて、四分の一の収容なので数が足りない事と、プログラム冊子の発送が遅れたことで、時差を以って需要が膨らんだとある。

具体的にはトリフォノフなのででまだまだ遠めの席は余っている。流石にベルリナーフィルハーモニカーの二回のコンサートはウェイティングルームが開かれているが、料金も高めの「マゼッパ」コンサートは同じように売れ残っている。

そこで気が付くのは、価格もあるが「マゼッパ」のオペラ公演を購入していた人も必ずしも購入していないということで、如何にオペラ公演というのが通常の音楽会の聴衆層とは異なるところが大きいかというのがよく分かる。

実際には友の会などには先行予約があって、また情報をリサーチしている層にはそれ程遅れは無かった筈だ。個人的にはトリフォノフリサイタルは早めに見つけられた訳だが、パトロン以外では最初に購入したぐらいで、少々遅くとも充分に好みの席が買えた。

ミュンヘンの最終日「トリスタン」楽日は17時始まりだった。既に前日にテストを終えていたので、ゆったりと定宿から出かければよかった。それを見越して前日金曜日にはダルマイヤーでお惣菜を調達しておいた。劇場内のレストランでもトリスタンメニューがあったのだが結構しっかりした肉があって、現実的に三幕長丁場をこなすにはしっかり食事をしておきたかった。トリスタンの牧童が捌いてくれた羊である。

選んだのは羊のラグーでこってり似てあって、そこに野菜の若干中華風の付け合わせを、そして家から持って行ったスペッツレとした。逆にヌードルにソース物が欲しかったのだが、それで完璧だった。惜しむらくは昼食時なのでアルコールを入れる余裕はなかった。19時始まりならばひと眠りできたかもしれない。

初めてそこでお惣菜類を購入したが、アルミの容れ物に入れてくれるので其の侭鍋で温められた。ヌードルも問題は無かったが笊が無かったので水切りは蓋で押さえてやるしかなかった。自宅からサラダ洗い機を容器代わりに持って行くのも良かったかもしれない。二種類購入しただけで12ユーロしていたので結構なディナーであるが、勿論これだけに質と量をそこで食せば25ユーロは優に超える。

またしても安くはないと思いながらこれもまた大満足のお味だった。ご近所にこの程度のお総菜屋さんがあったなら頻繁に買ってしまうだろうと思う。矢張り大都会である。こういうのを来られて温めて出されて、それに合せていい赤ワインを頻繁に出しているようでは幾ら夫婦共稼ぎで稼いでいても家庭の予算は膨らむばかりである。幾らでも消費のしどころがあるのも大都会だ。やはりひっそりと郊外に住むのが持続的で一番良い。



参照:
ビアーガルテンの規則 2021-08-09 | 料理
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
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ビアーガルテンの規則

2021-08-09 | 料理
9月に入るとワインの試飲会が開かれる。昨年は全て流れたが、今年はやるようだ。結構危ないと思うが、試してみるつもりだ。その後にテストを受けるような機会は10月中旬辺りまでないので別に感染しても問題はない。但し濃厚接触者になるのは嫌である。どのように行うかに依るだろう。それも見てみたい。

そのこともあって、その前のルツェルン行きの旅程も考えてみた。最終日9月2日は既に売り切れているツアーの第二プロでスークの曲が演奏される。19時30分始まりで休憩が無いから21時過ぎには終り21時30分には帰宅の途についている。つまりチューリッヒ往復と変わらない。むしろ殆ど片道だけなので、往復より楽に帰宅可能だ。最長二泊で用を足す。

それで一日短くして部屋を探すとむしろ高価になっていて割が合わない。それならば三泊して最後の午後まで寝ていて、ルツェルン往復後に直接帰宅しても午前一時過ぎには帰宅可能となる。走行距離も往復するよりも短いので楽である。更に昼まで寝ていられるのが良い。帰宅すればぐっすり眠れるのでその週末が一杯一杯使える。

なによりも三回のドイツ入国時に宿泊住所が国境沿いにあると停車させられて抜き打ち検問されても日帰り旅行を説得しやすい。恐らく、小さな検問所なので、車の番号から停止させられるだろうが。

土曜日の夕刻二週間ぶりに頂上まで往復した。夕方寒いぐらいだったが、雨も止んで陽が出たために若干気温が上昇、特に谷から上部に出ると夕日がまだ射していて汗を掻いた。24度近くまで上がった。いつもよりは一時間以上早い時刻だったが、完走出来ただけ良しとしよう。心肺数も久しぶりに171まで上がったのでトレーニング効果はあった。

時計とタブレットのメニューを何とか元に戻したのでバイエルンでバッテリー切れで途中までしか計測出来なかった分も分析可能となった。それによると距離も3キロも走っているかどうかで、精々20分ぐらい走って汗を流した様だった。但し想定外は現地の標高でこちらで頂上領域の海抜560メートルを越えたところを走っていた。やはりオーヴァーバイエルンは標高が高い。しかし気温は28度もあったようだ。

宿に戻って汗を流して食事に出かけたのだが、結局探した挙句街の中の路地を入ったようなところのビアーガルテンで食事も出来た。サラダにカツのサクサクの筋切りが乗っていて、衣が本当にサクサクに上手に揚がっていた。

ビアーガルテンで雰囲気がいいところは沢山あるのだが、食事が美味いところはやはりビアホールのやっている中庭などが多い。ここはどうも違うようで、形態が分からなかった。それでも如何にも近所の人が突っ掛け履きの娘さん二人連れでも来ていたので、馴染みがあるところなのだろう。

最初に入った時にマスクをしていなかったので店のお兄さんに「忘れたい気持ちは分かるけど駄目なんだよ。」と言われた。こちらはバイエルンのビアーガルテンの規則までは知らない。

ヘレスやらヴァイツェンやらを充分に楽しんだ。少々に飲み喰いしても安いのがなんといってもいい。翌日に最後の抗原検査が控えていたので慎重に慎重を重ねた木曜日の一日だったのだ。ザルツブルクの券を捨てても安全性を選択したのだった。



参照:
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活

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山の向こうに越していく

2021-08-08 | マスメディア批評
床屋の予約を取った。これで来週からの最後の夏らしい天気を気持ちよく過ごせる。こんなに寒い夏は初めてだ。兎に角陽射しを避けていると裸ではジンジンと冷えて風邪引きが治らない。気管支の調子は良くなったが、それでも数週間は軽い風邪引き状態が続いている。来週の暑さで一度吹き飛ばしておきたい。

南ドイツ新聞の評が出ている。最終の二日間の様子を伝えているが、本当の最後については報告していない。二人体制で挑みながらどうも最後の最後には劇場に誰もいなかった様である。音楽ジャーナリズムとしては落第である。

報告の最後は、「鳴り止まないスタンディングオヴェーションで、それでも緞帳は上がらず。」は明らかに誤報。ジャーナリズムが何をどのように伝えるかはあるのだが、この場合は大きな徴も逃していている。通っている筈の記者が、マルテ・クラスティングのシグナルを見逃している筈はないのだが、恐らくプレス席にいつも座っていて、聴衆をも充分に観察出来ていないのだろう。ある意味玄人意識を持った藤四郎に成り下がっている。これではジャーナリストとしては失格なのである。

音楽芸術に関しては限定的であっても、全国的な日刊紙で書く限りはそういうところは基本であり、特にドルニー新体制になるとそれこそが劇場の本質となるところだ。端からほとんど期待できないことになる。要するに南ドイツ新聞の程度が低い。

先ずガラコンサートは、この会のタイトルとなっている「転換」から始まるリルケの「オルフェリウスのソネット」を辞める支配人バッハラーが行う朗読へと連なっていった。

DIE SONETTE AN ORPHEUS
von
RAINER MARIA RILKE
ZWEITER TEIL
XII
Wolle die Wandlung. O sei für die Flamme begeistert,
drin sich ein Ding dir entzieht, das mit Verwandlungen prunkt;
jener entwerfende Geist, welcher das Irdische meistert,
liebt in dem Schwung der Figur nichts wie den wendenden Punkt.

Was sich ins Bleiben verschließt, schon ists das Erstarrte;
wähnt es sich sicher im Schutz des unscheinbaren Grau's?
Warte, ein Härtestes warnt aus der Ferne das Harte.
Wehe—: abwesender Hammer holt aus!

Wer sich als Quelle ergießt, den erkennt die Erkennung;
und sie führt ihn entzückt durch das heiter Geschaffne,
das mit Anfang oft schließt und mit Ende beginnt.

Jeder glückliche Raum ist Kind oder Enkel von Trennung,
den sie staunend durchgehn. Und die verwandelte Daphne
will, seit sie lorbeern fühlt, daß du dich wandelst in Wind.

リルケのソネットにバッハマンの「猶予された時間」を間に挟んだ。
INGEBORG BACHMANN
Die gestundete Zeit

Es kommen härtere Tage.
Die auf Widerruf gestundete Zeit
wird sichtbar am Horizont.
Bald mußt du den Schuh schnüren
und die Hunde zurückjagen in die Marschhöfe.
Denn die Eingeweide der Fische
sind kalt geworden im Wind.
Ärmlich brennt das Licht der Lupinen.
Dein Blick spurt im Nebel:
die auf Widerruf gestundete Zeit
wird sichtbar am Horizont.

Drüben versinkt dir die Geliebte im Sand,
er steigt um ihr wehendes Haar,
er fällt ihr ins Wort,
er befiehlt ihr zu schweigen,
er findet sie sterblich
und willig dem Abschied
nach jeder Umarmung.

Sieh dich nicht um.
Schnür deinen Schuh.
Jag die Hunde zurück.
Wirf die Fische ins Meer.
Lösch die Lupinen!

Es kommen härtere Tage.

ヤホの歌う修道所アンジェリカから「母の無い子」に続く。

ニナ・シュテムメの歌う「ブルュンヒルデの自己犠牲」の後
XXIX
Stiller Freund der vielen Fernen, fühle,
wie dein Atem noch den Raum vermehrt.
Im Gebälk der finstern Glockenstühle
laß dich läuten. Das, was an dir zehrt,

wird ein Starkes über dieser Nahrung.
Geh in der Verwandlung aus und ein.
Was ist deine leidendste Erfahrung?
Ist dir Trinken bitter, werde Wein.

Sei in dieser Nacht ans Übermaß
Zauberkraft am Kreuzweg deiner Sinne,
ihrer seltsamen Begegnung Sinn.

Und wenn dich das Irdische vergaß,
zu der stillen Erde sag: Ich rinne.
Zu dem raschen Wasser sprich: Ich bin.

カウフマンの歌う「死の街」フィナーレに続いて、
V
Errichtet keinen Denkstein. Laßt die Rose
nur jedes Jahr zu seinen Gunsten blühn.
Denn Orpheus ists. Seine Metamorphose
in dem und dem. Wir sollen uns nicht mühn

um andre Namen. Ein für alle Male
ists Orpheus, wenn es singt. Er kommt und geht.
Ists nicht schon viel, wem, er die Rosenschale
um ein paar Tage manchmal übersteht?

O wie er schwinden muß, daß ihrs begrifft!
Und wenn ihm selbst auch bangte, daß er schwände.
Indem sein Wort das Hiersein übertrifft,

ist er schon dort, wohin ihrs nicht begleitet.
Der Leier Gitter zwängt ihm nicht die Hände.
Und er gehorcht, indem er überschreitet.


ピエチョンカの歌う「時間のモノローグ」に続いて、
XIII
Sei allem Abschied voran, als wäre er hinter
dir, wie der Winter, der eben geht.
Denn unter Wintern ist einer so endlos Winter,
daß, überwinternd, dein Herz überhaupt übersteht.

Sei immer tot in Eurydike—, singender steige,
preisender steige zurück in den reinen Bezug.
Hier, unter Schwindenden, sei, im Reiche der Neige,
sei ein klingendes Glas, das sich im Klang schon zerschlug.

Sei—und wisse zugleich des Nicht-Seins Bedingung,
den unendlichen Grund deiner innigen Schwingung,
daß du sie völlig vollziehst dieses einzige Mal.

Zudemgebrauchten sowohl, wie zum dumpfen und stummen
Vorrat der vollen Natur, den unsäglichen Summen,
zähle dich jubelnd hinzu und vernichte die Zahl.

そしてゲルハーハーの歌う「別れ」で、その歌詞の通りバッハラーは山荘へと向かい、暫く籠ってからミュンヘンを引き上げてヴィーンへと引っ越す。住み続けようと思っていたミュンヘンにいると後任に影響を与えてしまうという配慮からの様である。

新聞にあるように翌日最終日には反センチメンタルのバッハラーが再び劇場の支配人席に座って、ペトレンコが送られる様子を感慨深げに見下ろしていた。



参照:
Furioses Finale, Jutta Czeguhn und Egbert Tholl, SZ vo, 1.8.2021
照らし出されるその髭 2021-08-07 | 雑感
初めてのガラコンサート 2021-08-05 | 音
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照らし出されるその髭

2021-08-07 | 雑感
ポストにカールツルーヘ行政首部から手紙が入っていた。何か表彰される事でもあったかなと思ったら、6月29日のスピード違反の写真付きの聴取書だった。何か赤く光ったところだった。7月初めに通った時に確かめると固定カメラは無かったので、あるとしてもネズミ取りだと分かり、またそこが時速100㎞制限で、その後の工事現場やトンネル前の60㎞などではないことを確認していた。

そもそも光った場所が横過ぎたので自分が写ると思っていなかったのだが、写真は前右方から撮られていて、顔が左前方を見ているので明らかに気が付いていない。運転手特定ということで罰金扱いで罰点が付く。しかし幸いなことの誤差を引いて21㎞超過なので、減点1点と70ユーロで免停などはない。25㎞以上超過ならば一年以内の繰り返しならば免停の可能性があった。

漸く2018年7月のオペルンフェストシュピーレの「三部作」帰りに居眠りで映されたのが三年で、減点が消えた所だった。恐らくそれが加点されることはないと思うが、減点三点までは全く問題が無い。基本的には金で済む。

先ずは写っている運転手を明らかにして、その時にこちらの言い分を書いておこう。通るものかどうかは分からないが、少なくとも100㎞制限が坂を上って下りるところでまた右側にトラックが連なっていたので、左のラインから右に寄る時に目に入る筈がないとしておきたい。実際に気が付かなく、ナヴィが警告を出す前にネズミ取りに引っ掛かった。向こうにも後ろめたさがある筈だ。

承前)キリル・ペトレンコがミュンヘンの奈落で最後のアコードを振り終わった時、楽員は何時もに無くその様子を凝視していた。拍手も始まっていた。反対側から写しているヴィデオで確認するととても短い時間で、いつものように楽譜の周りといつものハンカチを片づけたりしていたが、楽員の表情が違ったのでもっと長い時間に感じた。だからカメラを向ける時間があったのだ。なにか一言声を掛けていたように記憶している。声にならない言葉だったかもしれない。

その後通常のカーテンコールがあって、パブリックヴューイングに皆が顔を出して緞帳が堅く閉まった。多くの人が名残惜しそうにスタンディングオヴェーションを続けていたが、明らかに何人かの人は続けそうだった。しかし何分ほど掛かるか分からないところでどれほどの人が残って呉れるか自信が無かった。15分も何もないところで拍手を続けられるだろうか?

サイドのローゲに入っていたドラマテュルギ―のマルテ・クラスティングがこちらにも分かりやすいように拍手を鼓舞する様な感じで大きく拍手をして見せた。そして姿を消した。私は彼が何を考えて、ドラマの専門家だと知っているので間違いなく連れ返してくれると確信を持った。それでも他の人は知る由もないので続くか如何かが不安だった。また暫くすると、反対側の支配人席でトーキーを持った進行係が連絡していたので、これは他の人の目にも入ったかもしれない。

そして先ずは外で挨拶を終えた歌手陣が戻って来て緞帳が開けられて、時間を繋いでくれて、そして最後にキリル・ペトレンコが戻って来た。100人程の人が手を叩き続けた終幕だった。そこで最後の最後に会釈して貰ったので価値があった。初日の時のように上階にいると会釈は難しい。最後まで通った甲斐もあったが、本人もいいフィナーレを迎えられたのではないか。

ビールを引っ掛けて、小一時間して車を出して間違ってPV会場の方に左折しようと思うと、劇場の方から歩道橋を歩いて来る人影に気が付いた。何やら派手なスポーツウェア―風で如何にも風呂上がりの感じだった。ヘッドライトに照らされるのは髭のついたキリル・ペトレンコの顔だった。髭を剃っている筈なのに髭が見えたのだった。

方向からすれば出演者の集まる打ち上げの会場に向かう、劇場関係者と挨拶を交わしてさっぱりしたところの前音楽監督だったに違いないが、まさかあそこまで遅く劇場に残っていたのだろうかと思った。少なくとも嘗てからそうやって一人で動く人だとは知っているが、不思議に感じたのだった。まるで夜の道路工事から帰る現場監督のような感じで、まさしく劇場の音楽監督のその最後に相応しいイメージだ。それとも幻覚だったのか?(続く



参照:
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活
ヘルマン・レヴィの墓の前で 2021-07-06 | マスメディア批評
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若年寄りも結構使える

2021-08-06 | ワイン
外国から再入国時の検査が話題になっている。帰国前に外国で検査をすると金が掛かるからだ。それも100ユーロほどする国もあって旅行中に時間を費やすだけでも大変である。事実上接種証明が無ければ外国で滞在できないということになる。

これによって昨年のような外国から持ち込まれたウイルスなどが問題にならなければ価値がある。しかしそれだけでなくてバイエルン知事が言い出したように接種への圧力を掛ける。更にベルリンでもレストランなどでの証明書類の提示条件を付けて、証明書類の無い者にはロックダウンという議論にまでなって来た。本当に接種の比率を上げて集団免疫が出来上るというのならば心配は要らないが、その目的に至るところか接種者を通しての感染拡大の可能性も証明されてきているので、最早接種が変異を進めるものでしかない事にも成りかねなくなってきている。やはり接種は重病化を防ぐためのだけと割り切るべきだろう。既に集団免疫案は英国やスェーデンを始め最初から頓挫している。健康で若い人などはそれ以上付き合う必要などはないのである。もう充分である。

旅行に持って行った時計が一つはブルーテュースオン状態のタブレットと繋がっていて、もう一つは外していたので脈拍計が活きていたのかで完全に上がって仕舞っていた。それで現地で走ったのが記憶されておらず残念だが、昨日のものもどうなっているのか。今後はそうした旅行にどのように扱えばいいのかなど検討が必要になった。

その時にはかる体重は落ちて来て75キロを越えようかとしていたが72.2まで落ちて来た。原因は明らかだ。パン屋でのケーキ購入と摂取が無くなったからだ。アルコールも太るがやはりスイーツは直ぐにくる。アルコールに関しては秋シーズンに備えて本格的に復帰しようかと思っている。

しかし先ずは本店で購入してきたコーヒーを愉しんでいる。朝は飲んでいたのだが午後にも一二杯飲むようになって、胃が荒れそうになって来ている。それでも不味くないので、プロド-モとエティオピアクラウンを使い分けて淹れる。

価格は間で購入する標準価格の倍、安売りの四倍になったが、新鮮な価値はあっておかしな苦みとかはどちらも無い。但しそれ程強く淹れないので、深みまでは出ていないのだが、香りも良くて上手い。決してコーヒーの専門店とは思っていないのだが、ここでも失望させてくれることはなかった。やはり、ミュンヘンに出かけると散在してしまうお店である。次回は11月初めだろうか。

定宿でのこともあって、バイエルンは他のドイツとは異なることも徐々に分かりだした。一言でいうと可成りいい加減で、同じカトリック圏でも他とはまた異なる。おおらかと言えばおおらかである。

初めてのレシピ―で鮭に杏子茸ソースで食した。下拵えの塩が多かったのと、期限切れのミルクを捨てる前に大量に使ったので若干緩くなり過ぎた。大体分かったので、ソース自体は肉の場合も同じ感じで行ける。

リースリングは、2018年産のフォルストのヴィラージュもので酸が薄い年でも熟成が良かったのか玄武岩のミネラルが早く開いていて、その味を楽しめた。もう少し追加で購入しよう。日常消費には高価であるが、料理に合わせてこの若年寄りも結構使える。



参照:
デルジェスの音を堪能 2020-06-02 | 文化一般
月末に際しての想い 2020-01-28 | 雑感
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初めてのガラコンサート

2021-08-05 | 
金曜日のガラコンサートの中継映像がオンデマンドになった。そもそもレパートリーオペラなんかには興味が無い者としては尚更ガラコンサートなんて記憶が無い。昔NHKで正月にやっていたそれのくだらなさとも結びついている。その点今回は筋がある程度通してあって、昨年のスカラ座でのそれ程こってはいなかったがそれなり観れた。但し230ユーロの価値に見合うのはキリル・ペトレンコが四曲振ったからであり、支配人バッハラー体制を振り返る企画だったからでしかない。

だから多くの歌手は馴染みでもあるのだが、その舞台では初めて聴く人もいた。例えばガランチャなどはコンサートで聴いているだけでオペラ舞台では聴いたことが無かった。そしてドニゼッティ―を歌っても声量もあって舞台での存在感もあって想定以上だった。もしかすると新体制でユロスキーの指揮で聴くことがあるのかもしれない。ペトレンコ指揮でバーデンバーデンでよりも可能性は高いだろうか。

翌日の「トリスタン」では楽屋連絡口から出て来たのはニナ・シュテムメだった。これは旦那と一緒だったが、ハイヒールを履いていたのかウロウロしていたが舞台よりも大きく感じた。来年その役を受け持つので舞台を観ておこうということだったのだろう。「愛の死」を歌ったがやはりこの劇場には声が無くて厳しい。一曲だけを歌ってもあれだから最初から歌うと最後は声が出ないかもしれない。

初めてはフォンオッターというメゾで、日本ではとても有名らしいが、DGの宣伝でしか見たことが無い人である。もしかすると昔ザルツブルクで聴いているかもしれないが記憶にない。しかしモーツァルト指揮者カリディスのピアノでモーツァルトを歌ったのだが、なるほどあの発声とやさしさは日本で人気がある筈だと納得した。

その他ではゲルハーハーがモンテヴェルディを歌っても流石で、伴奏を劇場以外の古楽グループをボルトンが指揮したが、こちらも様になっていた。アイヴォ―ル・ボルトンは一昨年の「アグリピーナ」でも素晴らしいヴェルヴェットサウンドを座付楽団から引き出していたが、ダムロウの歌った伯爵夫人以外もどの楽曲でも見事で、ある種のレパートリーではペトレンコを補い前支配人のヨーナスの遺産を引き継ぐにメータと共に最も重要な客演指揮者であったことを再認識した。

前音楽監督のナガノは神経質と言われる指揮をしていたが、楽団が自身がやっていた時とはランクが変わっていて当惑していたと思う。ハムブルクでやれないことを当時やれなかったのだから仕方がない。

ペトレンコの兄弟子とされるフィッシュの指揮が悪いことは分かっていたが、やはり何を振っても駄目だった。だから歌った歌手も含めて全く印象に残らない。その意味からはナガノが振ったツェッペンフェルトの「無口の女」は得意の曲かもしれないが聴かせた。やはり安定していて言葉の明晰な歌手である。

ペトレンコ指揮では、前奏曲から始まりコッホが「マイスタージンガー」の三幕を歌い、その二日前に圧倒的な上演のあったヨハナーンの首を「サロメ」のペーターセンが持って来て、フィナーレを歌い、彼女がマリオネッタとして残りながらヨーナス・カウフマンが「死の街」のフィナーレを歌い始めるという見事なリレーがなされていた。前半ではヤホの修道女アンジェリカから「フィデリオ」演出の四重奏曲へと繋ぐなど通っている人には想い出のアルバムとなっていた。

ペトレンコ指揮の演奏自体は、面白いことにこうやってばらで出されても乗ってこないのが座付楽団の性のようなものが感じられて、逆に如何に舞台があるからこそ楽団は入ってくるのだというのがよく分かった。

ペトレンコ指揮で最後に歌ったのがピエチョンカで、彼女は「影の無い女」で成功してカーネーギーホール公演でマルシェリンを歌ったが、想定以上に声もあった。北米からゲストで呼ばれる価値があり、ニームントなんかより本格派である。復活祭に呼ばれても不思議ではないと思うが、それは分からない。その背後に新「ばらの騎士」の時計が現れたが、まさに新体制へと繋ぐターニングポイントであった。

最後に歌ったゲルハーハーだけでなくて伴奏を務めたフーバーのピアノがこれまた圧巻だった。



参照:
首でも指揮の「トリスタン」 2021-08-03 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
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月末から月初めへの目算

2021-08-04 | 生活
バイエルンの馬鹿政治家のお蔭でスイス行きの予定が変わった。ポピュリストがベルリンの政府の帰国時の検査若しくは接種証明を強く求めたからだ。三泊でルツェルンの近郊に宿泊の心算だったが、それをキャンセルして、国境線沿いから三日間通うことにする。24時間以内の通いならばテスト免除の筈だからだ。幸いルツェルンまで国境から70㎞程しかないので往復140㎞で三回通っても420㎞にしかならない。余分に走行する距離は100㎞程であろう。

国境滞在の問題点はスイスとの出入りをその都度しなければいけないことで、通常でも税関に目を付けられ易いのだが、今回は更に抜き打ちでドイツ入国時にも抜き打ちでコントロールされる。24時間以内滞在は宿泊地と目的地を示すことで証明できるだろう。48時間以内の陰性証明ならばドイツ国内で前日の昼に受けておけばよいことになるが、予定通り三日間通うとなると二回必要になる ― そもそも抗原検査は最初の二日間なんて陽性が出ない。

音楽祭は必要ないので出来れば一度も証明書無しで通うのが良い。スイスの宿泊費用との差額は仮押さえしたところで140ユーロ安くなるので、全体の費用は安くなる。更に食料品も安くなる。重要なのは国境線での渋滞を避けることから、小さな国境を使うことで、出来れば顔を覚えて貰うようなところの方がやりやすい。

16日までは無料キャンセル可能なので、様子を見てから決断すればよい。それでも一件押さえておけば、何とかなる。実際にはスイスなどの問題では無くて、そこを経由してのスペインなどへの旅行が問題になるので、またそういう流れを抑えたいだけなので、実際の運用に関してはよく分からない。あまり明らかにしていないというのが事実だろう。あとは月末、そして月初めと大台100にならない事だけを祈る。そうなると旅行は中止となる。今日現在63.6で既に次の領域に入ってきている。

またフランスはもう頻発地域に入っているのでトランジットも出来なくなっている。態々検問を受けて迄トランジットする価値が無くなってきている。前回バーデンバーデンからの帰りに通った時の十倍に感染が広がっている。

前回ミュンヘンから戻ってきた後で、ヴィーンから持って来て貰ったワインを開けた。2019年産のソーヴィニアンブランとグリューナフェルティーニにシャドネを混ぜて作ったワインだった。その種からしてもそれほど酸が効かないのでサラダに合してみた。ソーヴィニアンブランやシャドネーの青臭さも無かったのでその辺りは上手に作っているなと思わせた。年度では無しにもう少し早い新鮮な時期に呑んだ方が新鮮感があるかとも思ったが、食事にはある程度練れている方がよいのかもしれない。

オーストリアは、土壌の多用さもあまりないので、ワイン作りもどうしても様々な工夫が必要になる。上の場合はフランス風の多種の品種のセパージュであるが、それを進めて、同じ区画で幾つもの品種を混作というのもある。ドイツ語圏の純粋品種を貴ぶ方向とは全く逆の試みである。

8月20日にトリフォノフがバーデンバーデンのリサイタルでバッハを弾くので準備しておかないといけない。そして月末にルツェルンに向かい、シューベルト、オベロン序曲、プロコフィエフ一番、スークの「夏のメルヘン」である。一日目のプログラムはヒンデミート付きで11月に二回聴くのだが、二日目のプログラムはこれが最初で最後になる。

あとは来週ぐらいにまた気温が上昇しそうなので、床屋の予約を取ろう。もう一度サマーカットにしておくと10月頃までもつだろう。愈々秋の支度になる。



参照:
ミュンヘンで決起する覚悟 2021-06-08 | 文化一般
ホームオフィースからメール 2021-05-17 | 文化一般
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首でも指揮の「トリスタン」

2021-08-03 | 
承前)初日でも三幕のあり方が問われた。そこでこちらもフルトヴェングラー指揮の名録音に戻り、その内容を吟味していた。そして二幕のハイライトに対してこの三幕はやはり音楽芸術的にも良く書けていると思った。しかし上の録音は素晴らしい盛り上げ方をする割には最終場面へとカタルシスへと運ばれるだけで、録音芸術乍ら全く描き足りないとも思った。

なによりもダイナミックスをしっかりと付けていない。思い当たるのは、ヴァルター・レッグがディレクターなのかもしれないので、明らかに昔の録音技術のSN比の小ささからppはpへと格上げされていて、その振幅が録音上でも聴き取り易い範囲に抑えられている。今日からすると笑い話のような録音現場の話しなのだが、少なくともアナログ時代に録音現場で活躍した人は皆身に付いている現場の技術のイロハなのだ。フルトヴェングラーも疑い無しにそれに従っている。要するに重要な音楽が実践されていない。

その点でも、キリル・ペトレンコ指揮の拘りの指揮と要求は正しくそういう所にも活きていて、鈍な指揮者なら到底できないような電光石火のパンチをダイナミックスを音楽に加えることが出来る天才の指揮である。23日のコンサートで足首に手が届くところで見ていてその筋肉の動きが分かったから、それが身に詰まされた。

更に「マイスタージンガー」の映像化が十二分におこなわれなかったことから、どうしても残る成果を引き出そうとしたのか、コッホなどに対しては両手を使って指揮をして、その合間にヴィオラに首で指揮をしていた。そうして歌手に特別に指示を与える時にもその音形の特別な山なりやアクセントに注意を与えたり活を入れる訳であるが、それは全く前記のダイナミックスの丁寧な付け方と同じく先ずは楽譜の指示をアゴーギクなどを含めて忠実にこなして行くことにその指揮の真髄がある。それは名指揮者なら皆同じで故ブーレーズでもなんら変わらなかった。只超一流の指揮者だけがその飽くなき実践へと近づけるだけの違いである。

それでもこの三幕のトリスタンの歌唱は、前日にガラコンサートでも指揮された今晩からオンデマンドで無料で何日か提供される「マイスタージンガー」のトネリコの独唱よりもまた複雑な構造を持っていて、今回の演出によってその多層性が音楽的にも明らかにされたところではないだろうか。その可成り音楽的に丁寧に付けられた演出のお蔭で音楽的に整理されて響いたということでもある。

更に付け加えておかなければいけないのは徹底した非パトス化であり、その為に通常期待されるようなイゾルテの愛の死では終わらない。舞台では無くプロジェクターに映されるベットに離れて横たわるトリスタンとイゾルテへと眼が行くように配慮されている。要するに開かれた形で終わっている。これも今回のバッハラー・ペトレンコ体制の終了ということではそれに寄り添う終止形の演出となっていた。

初日公演では音楽の邪魔をしない演出とかの捨てセリフも批評で聞かれたがメディア化されるとそれとは正反対に音楽的に多くの示唆を受けていたことが知られることになるであろう。

また生中継は現場にいたので観れていないのだが、オンデマンドでは短くギリギリに切り取られて編集されたオンデマンド映像をまだ通しては観ていないのだが、少しだけ障りの音などを流してみた。通常は土曜日に生音を聴いて、そして月曜日に中継の音を聴いても失望しかない。しかし今回はオンデマンドと言いながらそのAACフォーマットの音声も違和感が少ない。結構なスピードが出ているようで、同時にラディオ放送されていたバイエルン放送協会のオンデマンドのMP3とは桁違いの音質である。こちらも他の放送局での再放送を強く希望したい。(続く



参照:
緑の原をミストリウムへ 2018-06-29 | 音
大反響のトリスタン21 2021-07-18 | マスメディア批評
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