ランシモ

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篠山紀信展*後楽園

2019-09-09 12:07:32 | 日記・エッセイ・コラム

篠山紀信さんは80歳にならんとするけど、活動的だし今でも前に進め進めと前進しています。

お元気そうで嬉しい限り。

何を隠そう、篠山さんはご近所の兄ちゃんだったので、私の学生の頃からご近所の方たちの噂話に上がっていました。

デビューの頃は知らないけど、3年ぐらい経ってからはよく存じ上げていました。

何しろご近所の大久保通りにあった写真屋さんに行ったら、裏のお寺のボンボンが、、、有名になっちゃってさーと、話してくれました。

そう話すその方の容姿も、、、篠山さんそっくりだったのは、、、なんだったんだろ〜〜〜。

図録の表紙なので書籍の案内として出してもよかろう。

篠山さんの写真家として一流なのは、ジョンレノン&オノヨーコの現場に立ち会えたことが証明しています。

世界の出来事、有名人の最前線に立会いできること、、、さぞかし写真家冥利につきるのではないか。

私ごとで言えば、スティーブジョブスさんにお会いできたことが一番です!

この写真展でも言っている事ですが、自分(篠山紀信)の撮った写真は、額縁に入れて美術館や写真館で展示されるものじゃない。

自分の写真は時代に消費されるものだ!と常々おっしゃっている。

多くの人が通りすがるようなところで、巨大な大きさにプリントした写真を、あるいは発行部数の多い書籍で、多くの人に見て感じて欲しい、、、といいう事だろう。

有名人、時代の表層に出てきた人、時代を象徴している人を撮っているので、見る人の大きさを超えた大きさで、彼ら彼女らのさまを見て欲しい。

篠山が言わんとする言葉は、ビリビリと感じ入ります。

案内パンフレットですが、なんでこんなに文字が小さいんだーーー。

見る人に失礼だと思うよーーーデザイナーて何で文字を小さくしたがるのだろう???

60歳以上の高年齢者が日本は多いんだから、、、、制作デザイナーさんたちの独りよがりが目につく。

篠山の写真は、同時代の森山大道や荒木などとは違う普遍的な大衆性がある。

いわゆる「お芸術」じゃない、雑誌の巻頭を飾って読者に喜んでもらう写真なのだ。

篠山の写真はスタイルじゃない。

写真スタイルで言えば森山大道の写真は真似ができます。

あれはスタイルだからです。

だけど、篠山のそれは、あまりにも社会的であり、時代性があり、通俗的だから、その現場に立ち会えなければ撮れない写真です。

だから真似ようにも、その時にその場所にいなきゃ撮れない写真です。

もしかすると、篠山は世界的じゃないかもしれない。

日本の有名人を撮ったのだから、篠山の名声の範囲は日本国内に限られるかもしれない。

日本のある時代の象徴なんでしょう。

反対に森山大道や荒木はスタイルだから、世界のどこにでも通用する。

私はどちらが好きかと言えば、圧倒的に篠山紀信の写真が好きです。

何がいいかというと、見たいものを撮るのが篠山さんで、見たくないものを撮るのが森山大道であり荒木だからだ。

だから、写真界で大手を振って出回っている方たちのは、「お芸術写真」で限られた方たちの賞賛の対象になる。

私は見たくないよーーー。

業界人の慢心さえ感じます。

きつい言葉で言えば、傷口を互いに舐め合っている業界人!

現実は美しくもあり残酷で、それだけでいっぱいですね、私はーーー。

ネットから写真を拝借。

館内撮影禁止だったんでねー。

東京ドームに足を運ぶのは滅多な事じゃない。

水道橋から徒歩10分ぐらい。

美術手帖から

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/396

コメント
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