北関東にまだ乗っていなかった上信電鐵があった。
下仁田はよく知っているがそこに行く鉄道があったなんて、すっポリ頭の中から抜けていた。
高崎は八高線で高崎に出て、両毛線に乗り換えて小山まで、そして水戸線で水戸までに抜けたことがあった。
北関東のローカル鉄道ではわたらせ渓谷鉄道というのにも乗ったし、網羅したかと思っていた。
何かの広告に上信電鐵が出ていたのだ。
さっそく日和が良かったので向かいました。
土曜日の快晴だから早め行動と思い、7:30に車を出して100mもいかないうちに交通情報が流れてきた。
関越道が嵐山を先頭に32kmの渋滞です、、、!
この時間で32kmだったら、そこに着く頃には40km、50kmの渋滞に伸びているだろう。
考えるもなく、すぐに引き返して電車で行くことにしました。
ローカルの私鉄なんで運行車両がバラバラです。
この日はこのホームで上信電鐵のお偉方さんや、もしかするとさらに地方の鉄道会社の方々なのか、大勢が車両を吟味していた。
上信電鐵の車両を売るのかしら???
高崎についたら、いの一番で1日フリーパスをゲット。
往復したり、途中下車して富岡製糸工場を見学したらすぐに元は取れます。
それに、無人駅が多いローカル線はフリーパスがないと、気楽に乗り降りができない。
東京を出る時に時間がかかったので高崎までは新幹線で飛ばしてきた。
新幹線はやはり速いなー。
在来線の1/3の時間です。
湘南新宿ラインは速いけど、走っている速度以上に18駅も停車したら時間がかかります。
高崎駅の上信電鐵のホームは端っこに追いやられています。
何処にローカル線でもそうですが、JRの立派な駅舎から遠ーーーい所にホームがあります。
しかも高崎駅で上信電鐵の線路は1本しかない。
これも案外ローカル線私鉄のデフォだったりして。
意外だったのは上信電鐵の駅のトイレはキレイだったこと。
これが僻地のローカル線のトイレは、、、お化け屋敷になることがある。
これは何かの時にイベント列車にでもなるのかな?
沿線案内です。
上信電鐵は高崎から富岡、下仁田に向けて長い谷をさかのぼっていきます。
富岡あたりまでは比較的にひらけていて、富岡製糸工場が世界遺産になったので、そこら辺まではけっこう観光客が多い。
ちょうど中間にある富岡は古い町並みが残っていて、製糸工場が手つかずに残っていたので世界遺産になった。
観光地じゃなかったのが幸いしたんでしょう。
富岡製糸工場の工場内の古い機械は、、、そりゃ世界遺産になるくらい整然と保存されていた。
工場ひと棟は100mぐらいはありそうだが、映画のシーンのように古めかしい空間になっていた。
ある意味では、忘れ去られていた北関東の一画だったから手付かずだったんだろう。
再開発や観光とは無縁だったんだろう。
上信電鐵の富岡駅は駅舎は小さいけどお洒落な造りになっていた。
高崎を出るとしばらくは市街地だったが、すぐに田園風景が広がってきます。
空が広いな―――。
あの橋は木造橋なのかな?
下仁田行の下り電車はガラガラじゃないか。
帰りの高崎行の登り電車は立つ人がいるくらいホボ満員だったが。
この写真は途中下車した富岡から浅間山を見ました。
浅間山はちらっとしか見えなかったが妙義山は大きく見えます。
浅間山から白い噴煙が見えました。
富岡駅から下仁田方向です。
上信電鐵では新型車両なのか。
思ったより新しい車両を使っています。
北関東のほうが茨城や千葉の私鉄よりも経営状態が良いのか???
銚子電鉄やいすみ鉄道は経営がたいへんだと聞いていますから。
銚子電鉄は鉄道の運賃で持っているんじゃなく、濡れ甘煎餅の売り上げで経営が成り立っていると有名な話ですからね。
実りの秋です。
下仁田駅に着きました。
なんだーーー何にもないぞ。
とはいえ、何にもないローカル鉄道を目指してきたんだから、何にもなくて正解なのだが、、、。
しかし、生活臭のある下仁田駅だなーーー。
令和というか、平成と言うか、昭和というか、戦後昭和初期みたいな生活じゃないか。
やっつけ駅とでも言いましょうか、おおよそ整理整頓のないローカル臭満載な下仁田駅だった。
駅の待合室では「じゃりン子ちえ」でも走り回っていたんだろう。
おばさんは行商に出かけてな、、、大きな荷物はおばさんの頭の上まで積みあがっていて、それでおばさんは背が縮んでな。
下仁田はネギで有名だ。
深谷ネギはまっすぐな普通のネギですが、下仁田ネギは太くて短くて鍋物に入れるとヌルヌルして美味いのだ。
都内でもあまり売っているのを見ないくらい貴重な下仁田ネギです。
帰りの上信電鐵のシェードが日焼けしていてうーーーん、漫画みたいないいお味を出していた。
煮しめ昆布シェードとでも言いましょうか。
近くて遠かった上信電鐵だった。
下仁田と富岡製糸工場のお話は次回に!