世界遺産になった富岡製糸工場を見学。
下仁田に行くついでに途中下車しました。
なかなか来る機会がありませんから。
駅前は群馬県が整備しているのだろう、富岡の街並みも統一感を持たせている。
富岡駅からは歩くと15分と聞いたので、軟弱にもタクシーを利用。
600円なので、あっという間に正門についた。
富岡は歩いても面白そうな町です。
電車で来る人よりも車の方がはるかに多そうです。
土曜日だったので駐車場はいっぱいだそうです。
レンガを使っているので東京駅と似た雰囲気です。
正門を入ってすぐの建物が絹の資料館。
絹やシルクと聞いても私には馴染みがないので、どこに価値があるのかよくわからない。
わからないと言うのは残念なことです。
観覧順序が資料館や倉庫が最初なので、ジミーな印象を受けた。
それに倉庫だけなんでSNS受けしない。
ここに展示物があって触れて記念写真が撮れれば面白いのに。
建造物だけじゃ世界遺産の迫力はない。
立派な木造建築なんだが、江戸時代やもっと時代が遡る木造建築などザラにありますから。
日本の近代化の夜明けなんですね。
この時代の日本の貿易は98%が絹だったそうで、他には輸出して金目になるものはなかった。
いわば絹が日清戦争や日露戦争の戦費を稼ぎ出していたってわけです。
あんなキレイだが細くて華奢な絹が大砲を買うくらいの産業だなんて考えられません。
世界遺産ですが観光資源の潜在力は大きいと思うが、なんだかもったいない気がします。
これくらいの建造物だったら、世界中のそれこそフィレンッエや東欧には全てがそうというくらいありふれている。
絹の出荷です。
木造だけだと木をかじるネズミの害は防げない。
それで倉庫にはブリキ版のような金属で囲っていた。
これだったらネズミは入れない。
この工場の動力源の蒸気機関を復元したもの。
単気筒の蒸気機関で7馬力あったと言います。
改良を重ねて最後の頃は15馬力ぐらいにアップしたそうだ。
産業革命は蒸気機関があったからです。
汽車も蒸気船も発電だって蒸気の力を使っていた。
実際に富岡製糸工場が世界遺産になれたのは、当時使っていた製糸機械がそのまま保存されていたからです。
それはすごいものなのだが、、、残念ながらほとんどがビニールをかぶせて保存されている。
これらの機械が一番カッコよく見える場所と仕掛けを作ってよ〜〜〜。
これは手前に並んでいる機械ですが、奥の方にもズラーと並んでいるのだがビニールをかぶせてあり、しかもずっと手前に柵があって近寄れない。
これらの機械は世界ではまだ現役で使われているそうです。
アナログな製造機ですが、世界を探せばこれぐらいの機械は残っているかもしれない。
だからこそ、もっと見栄え良く見せて欲しい。
この機械は昭和61年あたりまで実際に使用していたが、今は停止ししています。
あれより先には入れません。この機械1個で30mを越えますが一体奥にどれくらい連なっているか見えません。
もったいない!
この自動繰糸機は日産自動車が作ったそうです。
これくらいの機械は私が20代の頃によく見かけました。
今みたいなロボットラインじゃないし、えらく時代がかったアナログ・ラインです。
当たり前と言っては当たり前。
でも考えようによっては、これらの自動繰糸機が日清戦争や日露戦争の戦費を稼ぎ出したと考えれば、、、大した機械なんです。
ある意味では当時最先端の文明の利器だった。
今のスパーコンピューターみたいな存在だった。
女工さんたちが働いていた。
あぁ野麦峠も女工さんの話ですが、ここ富岡では官制の女工さんたちがいた。
明治の頃は日本は男尊女卑だったが、結局貿易で世界からお金を集めたのは女工さんの力だった。
このイラストは女工さんたちがキレイすぎやしないか?
女学生みたいだよ。
働く女工さんは着物の裾をタスキできりりと締めていたんじゃないか。
これじゃ正月の正装みたいだ。
入場料金は1000円。
もっと見せ方を考えてエンターティメント性を加えれば面白いものになるのに。
日本の観光事業には、、、若干がっかりさせれます。
富岡は製糸工場ですが、機織り機も展示して実演して製品で売ったらいいのに。
体験機織りとか体験製糸とか体験お蚕様とかいろいろ考えられる。
なんとも工場跡だけでは物足りないというのが実感です。