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東日本大震災の被害のあと*宮城県亘理

2022-04-04 14:06:23 | 日記・エッセイ・コラム

東北へ行ってきた。

11年前の大震災に翻弄された方がお亡くなりになって、その葬儀のあとに被災地を見てきました。

早いもので、東日本大震災からもう11年と1ヶ月たった。

今、遠い地球の果てでは人類滅亡のような戦争がある。

自然からの災害で人は痛めつけられているけど、核戦争のような人類滅亡危機までは至らない。

不条理ですね〜〜〜。

自然災害の死者よりも、、、戦争死・国内粛清の方が桁違いに悲惨なんだから。

帰路6号線を走っていたら震災遺構の看板が出てきたので、立ち寄ってみた。

小学校が海岸線から500mのあたりにあって、津波でボロボロになっていた。

校舎を建てるときに2mほど盛土をしていたので、なんとか校舎は全壊を免れたようです。

それがなかったら屋根の上まで津波が覆っていた。

校舎の2階フロアーの窓の上に、津波がきた高さのマークがありました。

青い目印が上の方にあります。

盛土していなかったら屋根の上に船が乗っかっていたかも知れない。

流れてきた鉄骨が柱の巻き付いている。

この小学校の生徒さんたちは、全員避難していて無事だったそうです。

2011年4月 震災後の片付けに行った時の写真

(海岸線から1km以上あったと思う)

家屋があったところは土台だけ残して跡形も無くなっていた。

(常磐線が通っていたところ)

常磐線の線路があったが、レールと枕木ごとちぎれて500mほど先で見つかった。

レールガ流されると質量が大きいので破壊力があったそうです。

(常磐線がどこに通っっていたかわからない)

震災から数十日経っていたが海水の水溜まりでぬかるんでいた。

6号線に近いところだったが、津波に流された漁船がいっぱい。

放射線量が高くて立ち入り禁止区域には、元の住人なのか境界線を無視して入る方もいた。家畜の衰弱が目を当てられないくらいかわいそうだった。

送電線の鉄塔ですが、この赤い鉄塔は隊長鉄塔で丈夫な作りなんですが、ひとたまりもなく津波に壊されていた。

原発への送電がこれでストップして、原子炉の冷却ができなくなり、原子炉が爆発した。

原子炉自体が壊れなくても、安全装置が壊れれば本体が壊れるという、自明の理なんだが予定外の事故になった。

自然の災害はさておき、人工の災害や、人類同士の戦争は絶対に避けたいものです。

カメラ:ニコンD5300

コメント
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