ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

憲法

2007年05月20日 | Weblog
どうも今の首相「安倍ちゃん」は、憲法改正したくて
しょうがないようだ。
一人前の国家として、いつでも武力行使できるように
という思いが根本にあることは、彼の思想的背景を考
えれば当然と思われる。
国家主義的な体質は、疑いようはないだろう。
「美しい国」などという陶酔的匂いがする言葉を、恥
ずかしくもなくいえる感覚は、そんな体質がなければ
でてこない筈だ。
彼の姿を見ていると、大して物を考えていないのに、
上手いこと周りから使われているな、と感じる。
行く行くは、徴兵制というものも視野に入れてるのだ
ろう、と自然に推測できてしまう恐さ。
そのくらいのことも考え、「憲法改正」は考えなくて
はならないことだと思うが、どうしても抽象的な議論
というか、「集団的自衛権」という言葉だけが一人歩
きして、今ひとつ本質的なところが見えてこない、そ
う思っている人も多いのではないだろうか。
何となく気分だけで進んでいってしまう状況に、ある
恐さを感じるのは、果たして杞憂だろうか。

街角インタビューなんかでも、言うべきことを言う為
には制約はないほうが良い、その程度の気軽な気持ち
で憲法改正に賛成している人が多いと感じる。
前提として、戦争参戦という具体的な事体はまあない
だろう位の楽観論があっての発言だろうが、今無くて
も道筋をつけるのが憲法であることを考えると、軽い
気持ちで言うべきことではないと思う。
そんな気分を上手いこと利用したい与党は、盛んに攻
められた時どうするのか、と脅しをかける。
やられっぱなしで良いのかということなのだが、過去
の歴史の枠組みでは、やられっぱなしで良いわけない
ということになり、それなりの軍事力は当然整備し、
いつでも出動出来るようにしよう、ということになる。
それが他国であれば、国際貢献という大儀もあるし、
ここで「一人前の国家」というものの姿を見せなくて
は、とどうしてもなってしまう。

基本的には、アメリカの後を付いていくのが日本の外
交戦略だが、この点でも、アメリカに対して言うべき
ことを言うには「一人前の国家」というものが必要で
あり、アメリカ軍に頼ってる限りはいつまでたっても
頭が上がらないよ、つまり発言力の裏づけは結局軍事
力なのだよ、という現実主義が根本にある。
一言で言えば、奇麗事ではすまないよということだろ
う。
結局、旧来の発想から脱却できない現実があるわけだ
が、取るべきは、憲法改正などより、如何に軍事力に
頼らない外交を確立するか、そして事前に戦争を回避
するにはどうしたら良いのかということなのだが、現
実主義を標榜する理念なき政治家は、何の努力もしな
いで手っ取り早い方法を選択し、あまっちょろい理想
論と、その考えを一蹴するのである。



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