
刈田神社(登別・中央町)前編 参拝日 2011.1.29(土) [Yahoo!ロコ]

・こちらは登別市中央町の市役所そばにある刈田神社境内の駐車場。そこから一旦境内を出て、正面入口へと向かう。

・敷地角の看板には「登別市総鎮守」の文字が。別な場所に『登別神社』も存在するのですが、なぜこちらが総鎮守となったのか、その経緯はよく分からず。

・境内の正面入口の様子。

・おそらくは境内の禁止事項が記されていたと思われる看板と、「奉祝天皇陛下御在位六十年記念」の文字が刻まれた社号標。

・参道の奥に見える第二鳥居と門の様子。境内の前は昔から時々通りかかっていましたが、その中に足を踏み入れるのは今回が初めてです。

・参道脇にたつ、古い社号標などの石碑。

・立派な台座付きの石灯籠。

・第二鳥居の下には「正中を汚すべからず」という立て札が。

・由緒書きの刻まれた石碑。創立年代は不詳で、「道内最古」の記述も見えます。

・こちらも由緒が記された木製看板。

・参道脇のちょっとした広場と、その奥にたつ神楽殿らしき小屋。

・立派な屋根付きの手水舎。中には全国あちこちで見かける "手水ガール"(?) の看板が。

・ちょっと変わった、船の形をした大きな水盤。水は龍の口から注ぎ出しています。

・社務所の建物。

・社務所の玄関前では、ガラス張りの部屋で神輿が展示されています。

・これまであれこれ神輿を見てきましたが、「ここまで豪華な神輿はそうそう見たことが無い」というくらい立派な神輿です。
(中編に続く)
[Canon EOS 50D + EF-S17-55IS]


・こちらは登別市中央町の市役所そばにある刈田神社境内の駐車場。そこから一旦境内を出て、正面入口へと向かう。

・敷地角の看板には「登別市総鎮守」の文字が。別な場所に『登別神社』も存在するのですが、なぜこちらが総鎮守となったのか、その経緯はよく分からず。


・境内の正面入口の様子。



・おそらくは境内の禁止事項が記されていたと思われる看板と、「奉祝天皇陛下御在位六十年記念」の文字が刻まれた社号標。


・参道の奥に見える第二鳥居と門の様子。境内の前は昔から時々通りかかっていましたが、その中に足を踏み入れるのは今回が初めてです。



・参道脇にたつ、古い社号標などの石碑。


・立派な台座付きの石灯籠。


・第二鳥居の下には「正中を汚すべからず」という立て札が。


・由緒書きの刻まれた石碑。創立年代は不詳で、「道内最古」の記述も見えます。


・こちらも由緒が記された木製看板。


・参道脇のちょっとした広場と、その奥にたつ神楽殿らしき小屋。


・立派な屋根付きの手水舎。中には全国あちこちで見かける "手水ガール"(?) の看板が。


・ちょっと変わった、船の形をした大きな水盤。水は龍の口から注ぎ出しています。

・社務所の建物。

・社務所の玄関前では、ガラス張りの部屋で神輿が展示されています。




・これまであれこれ神輿を見てきましたが、「ここまで豪華な神輿はそうそう見たことが無い」というくらい立派な神輿です。
(中編に続く)
[Canon EOS 50D + EF-S17-55IS]
登別市(当時は登別町)に改称したのは1961年からで、それ以前は幌別町でした。
昔、この一帯はホロベツと呼ばれ、江戸時代には松前藩によって和人とアイヌ民族が交易を行うホロベツ場所も開かれていました。
このため和人の人口も多く、既に戦国時代には刈田神社は存在していたと伝えられているそうです。
刈田神社が登別市の総鎮守とされるのもそういう理由からでしょう。ご参考までに。