ALSについての講義をする機会をいただいた.昨年の同時期にも同じ講義を担当し,その際,感じたことを上記タイトルで綴らせてもらった.その中で「ALSは神経内科医にとってきわめて重要な意義を持つ疾患である」と述べた.もちろんほかにも重要な疾患はたくさんあるのだが,少なくとも私が神経内科医として成長する過程では,(そして現在も)きわめて重要な意義を持つ疾患である.最近は医療政策の影響で,急性期病院に長期療養入院する人工呼吸器を装着したALS患者さんを見かけることはほとんどないが,私が研修医であった頃には何人かのtotally locked-in syndrome(TLS; 閉じ込め症候群.覚醒しており感覚意識はあるが,身体のあらゆる部分の運動麻痺のため外部とのコミュニケーションが取れない状態)の方が入院されていた.夜8時になると当直医は各病室を回診するのだが,薄暗い病室でTLSの患者さんと二人きりで対峙し会話をした.返事をもらえないモノローグではあったが,今まで経験したことのない畏怖の念(恐れと敬意)を抱き,そして「no cause, no cure, no hope」とまで言われる病気に対し自分に何ができるのか真剣に考える時間となった.10年にも及ぶ長期間の入院であるため主治医は先輩から後輩に代々引き継がれた.今でも何かの折りに「あの患者さんは自分が担当した時はこんな感じだった」といった話題になる.各自にとってそれだけ忘れられない患者さんであり,また多くのことを学んだのだと思う.
さて今回の講義も「治せない病気に対し,我々は何ができるか?」というサブタイトルをつけて話をした.椿忠雄先生がおっしゃられた「治らない患者に普通の意味の医学はだめであっても医療の手は及ばないことはない」という言葉を紹介し,実際に医療の現場でその理念がどのように実践されているのかを説明した.告知や人工呼吸器装着の問題についても検討した.告知に関しても,椿忠雄先生の言葉を紹介させていただいた.
「なぜ告知をする必要があるかというと,理由はただひとつですよね.この方が今後,より良い人生を送るため,充実した人生,生きている間にこれもやりたい,あれもやりたいと思うことをやる,それが目的でございます.しかし,そのときの条件,いつ患者さんに言うかということは,診断が確定したときにいうのが常識的.その次の条件としては,患者とこちらの信頼関係ができている.もっと大事なことは,この患者さんと自分とが一体になって生きていこうという覚悟ができていることです.」
一方,人工呼吸器の装着の問題に関しては,学生は,それが生死に直結するきわめて重大な選択であり,本人の死生観のみならず,周囲や経済状況などにも影響を受けうることを理解し,さらに自分が医療者の立場であれば患者さんに装着を勧めるものの,ひとたび自分が患者さんの立場になると装着は望まないかもしれないという二律背反の状態に陥ることも敏感に感じたようである.また私の講義録を見た後輩がとても嬉しい感想を言ってくれた.
「学生の時にはどうしても原因とか病因に目が行きがちでした.もしかすると講義や教科書の体裁がpathogenesis,diagnosisに重きをおき,therapyは少し,careに関してはほとんどないということに起因していたかもしれません.しかしながら,実際の臨床の場においてはtherapy/careが患者さんにとってはもっとも大事なことであり,医療者はそれを解決すべく邁進しています.椿先生の言葉は今の方が重いです.このような視点を学生の頃にも向けられることはすばらしいことだと思いました.自分が指導する立場になればそんなことを伝えていきたいと思いました.」
ぜひ若いみなさんには,人間の生死や医療者の役割について考えいただきたい.そしてひとりでも多くの人が,まだ治せない病気の診療・研究にも取り組むことを期待したいと思う.
最後に以前にも紹介したが講義の参考にしたいくつかの本を紹介したい.
生きる力―神経難病ALS患者たちからのメッセージ (岩波ブックレット)
ALS 不動の身体と息する機械
尊厳死か生か―ALSと過酷な「生」に立ち向かう人びと
新ALSケアブック―筋萎縮性側策硬化症療養の手引き
さて今回の講義も「治せない病気に対し,我々は何ができるか?」というサブタイトルをつけて話をした.椿忠雄先生がおっしゃられた「治らない患者に普通の意味の医学はだめであっても医療の手は及ばないことはない」という言葉を紹介し,実際に医療の現場でその理念がどのように実践されているのかを説明した.告知や人工呼吸器装着の問題についても検討した.告知に関しても,椿忠雄先生の言葉を紹介させていただいた.
「なぜ告知をする必要があるかというと,理由はただひとつですよね.この方が今後,より良い人生を送るため,充実した人生,生きている間にこれもやりたい,あれもやりたいと思うことをやる,それが目的でございます.しかし,そのときの条件,いつ患者さんに言うかということは,診断が確定したときにいうのが常識的.その次の条件としては,患者とこちらの信頼関係ができている.もっと大事なことは,この患者さんと自分とが一体になって生きていこうという覚悟ができていることです.」
一方,人工呼吸器の装着の問題に関しては,学生は,それが生死に直結するきわめて重大な選択であり,本人の死生観のみならず,周囲や経済状況などにも影響を受けうることを理解し,さらに自分が医療者の立場であれば患者さんに装着を勧めるものの,ひとたび自分が患者さんの立場になると装着は望まないかもしれないという二律背反の状態に陥ることも敏感に感じたようである.また私の講義録を見た後輩がとても嬉しい感想を言ってくれた.
「学生の時にはどうしても原因とか病因に目が行きがちでした.もしかすると講義や教科書の体裁がpathogenesis,diagnosisに重きをおき,therapyは少し,careに関してはほとんどないということに起因していたかもしれません.しかしながら,実際の臨床の場においてはtherapy/careが患者さんにとってはもっとも大事なことであり,医療者はそれを解決すべく邁進しています.椿先生の言葉は今の方が重いです.このような視点を学生の頃にも向けられることはすばらしいことだと思いました.自分が指導する立場になればそんなことを伝えていきたいと思いました.」
ぜひ若いみなさんには,人間の生死や医療者の役割について考えいただきたい.そしてひとりでも多くの人が,まだ治せない病気の診療・研究にも取り組むことを期待したいと思う.
最後に以前にも紹介したが講義の参考にしたいくつかの本を紹介したい.
生きる力―神経難病ALS患者たちからのメッセージ (岩波ブックレット)
ALS 不動の身体と息する機械
尊厳死か生か―ALSと過酷な「生」に立ち向かう人びと
新ALSケアブック―筋萎縮性側策硬化症療養の手引き