脳梗塞の治療薬開発に関する共同研究のためクリーブランドクリニック(CC)を訪問した.五大湖の1つエリー湖の南岸に位置するクリーブランドはオハイオ州第2の都市である.以前は重工業で栄えたが,不況により衰退した.しかし現在は医療・ヘルスケア産業や金融などのサービス業により都市が再生し「復活の町」と讃えられている.そのクリーブランドの経済を中心になって支えるのがCCであり,事実,勤務者は3万7千人にも及び,クリーブランド市最大の雇用主となっている.
CCは1921年,「協力」「思いやり」「革新」を3原則として4人の医師により開設された.世界初の「輸血」「心臓冠動脈バイパス手術」「腎臓の人工透析」「血管造影検査」が行われた病院としても有名で,最近でも世界初の「顔面移植(ガンショットで顔の多くを失ってしまった女性に対する移植手術;写真)」が話題になった.セミナー後に院内を見学させてもらい,いろいろ感じたことがあるので紹介したい.
クリーブランド空港に降りてまず驚いたのが,CCの巨大な宣伝が何ヶ所もあることだ.たしかに医療が産業化している.さらに車椅子の方が少なからず見られたのはCCと無関係ではないのであろう.20分ほどのタクシーに乗り到着した病院は,クリニックという名前から想像されるものとはまったく異なり,日本の国立大学顔負けの規模である.用意してもらったホテルはクリニックの敷地内にある2つの高級ホテルの1つであった.部屋は長期滞在用に暮らしやすい工夫がなされ,全米のみならず世界各国から患者を受け入れていることが容易に覗えた.米国随一の心臓専門センターや,神経科センター,眼科センター,癌センター,小児病院など幾つもの建物があるが,いずれもそれぞれが総合病院の建物のように見えた.院内は新しく広々として,外来などの待合室はまるでホテルのロビーのようであった.
今回,基礎,臨床のそれぞれの先生方と議論をさせていただいた.まず基礎研究の施設見学では,研究動物を解析する最新の画像解析装置のほか,動物に対して行われるロボット手術を見せていただいた.留学から帰国した時のことを思い出した.当時,設備や人,研究費の差の違いのため,アイデアで勝る以外に勝負にならないと思ったが,今回もまったく同じことを思った.
一方,臨床では脳卒中専門の神経内科医からお話を伺った.チームの中に医師だけでなく,脳卒中専門ナースがいたり,研究コーディネーターが複数加わっていることはとてもうらやましく思えた.また,急性期脳卒中の在院日数を伺ったところ,通常5日間!ときわめて短期間であった.それを可能にしているのは医療連携が確立していることが大きいとおっしゃっていた.なぜ5日間での転院が可能なのか?そのヒントはHPを見てみると分かる.
Cleveland Clinic
トップページには幾つものサービスが記載されているが,その説明を読むと非常に驚くシステムであることが分かる.以下列挙してみる.
MyChart・・・電子カルテシステムで,同一システムを様々な立場の者(医師,ナース,研修医,医学生,研究者,患者など)が使用するのだが,立場により使用できる機能が決まっている点が特徴的.患者もアクセスできるため,医師はカルテ上でコミュニケーションを取ることもできる.患者は診察予約,処方箋依頼のほか,検査に関しても,その目的,方法,結果とその解釈を知ることもできる.
MyConsult・・・セカンドオピニオンサービスで,米国内のみならず,世界60カ国を超す国でも運営されている.患者は最初の医療機関で行われた検査や診断(一次診断情報)をオンラインで提出すると,CCが選んだ専門医によるセカンドオピニオンを返してもらうことができる.その詳細な情報のみならず,なぜその医師が選ばれたのか,その医師の専門などの情報も提供される.「遠隔医療」は「遠隔診断」と「遠隔治療」に分類されるが前者を担うシステム.
MyMonitoring・・・退院後の「遠隔治療」を行う仕組みのひとつ.CCを退院した患者が自宅等での毎日の経過情報をWEB上で報告すると,何とCCの医師からケアについて指示が出される.
DrConnect・・・CCに患者を紹介する開業医向けのサービス.紹介医は患者がCCに入院後,行なった検査や診療の情報をリアルタイムにアクセスすることができる.これにより退院後自分が引き続き診療することになる患者の状況を詳しく把握することができ,さらに必要があれば自身も意見を言える.開業医向けにはさらにMyPractice Communityというサービスもあり,月額600ドルを支払うとコンピューターとプリンタが届けられ,CCと同じシステムが使用できるようになる.
実際にどのようにこれらのシステムがどのように運用されるのか例示したい.遠距離に住むためCCに受診できない患者の診療は以下のようになる.まずMyConsultに患者が登録すると, CCから,自分のこれまでの検査や治療に関する情報を集めて指定のサイトにアップロードするように依頼される.それをもとに専門医師がセカンドオピニオンを返すと同時に,かかりつけ医にDrConnectに登録してもらうよう患者は依頼される.CCでの治療が行われた後は,MyMonitoringやMyChartが使用されCCを中心とする「遠隔治療」が行われる.
お分かりになられたと思うが,CCの医療はWEBを用いて患者や外部の診療機関と連携を行うもので,CC,開業医などの外部の診療機関,患者にとって便利・理想的であるだけでなく,ネットワークを形成することで外部の診療機関もCCの一部として組み込まれる形になる,すなわち医療ネットワークが形成されるという側面がある.CCにとって言わば「患者・外部医療機関囲い込み」効果があり,勝ち組の医療ネットワークが形成される.このようなシステムづくりに乗り遅れた病院は淘汰されていくことになる.
しかしながら遠隔医療にも限界はある.つぎに行われるのは患者が多いところに拠点を作ることであり,すでにCCはAbu Dhabiに海外進出している.また「次はどこだと思う?中国だよ」とも話していた.
日本でも医療の産業化が期待されている.しかし実情はどうだろう.確かにカルテの電子化は進んでいるが,それぞれの病院で電子カルテシステムが異なり,一番のメリットとなるはずの外部機関との情報交換がほとんど行われていない.日本の将来の医療も,データ情報の共有化・ネットワーク化に早く成功した病院を中心に再編が起こり,乗り遅れた病院は淘汰されていくのだろう.「遠隔医療」のシステムづくりに成功すれば,医療は経済を支える産業になりうる.ただしシステムづくりだけでは不十分で,CCで行われているように先端医療の開発,専門的な能力をもつ医療スタッフの雇用・育成と正当な評価が基盤として不可欠であろう.
参考文献:クリーブランドクリニックの医療情報戦略