医師としての経験の中で忘れられない患者さんがいる.大抵,うまく治療ができ,予想通りの転帰をとった患者さんではない.10年ほど前に経験したその患者さんは,20歳代後半の女性で,精神症状にて発症し,意識障害を呈し,他院から紹介されてきた.頭部MRIから辺縁系脳炎を疑った.非ヘルペス性で,腫瘍も見つからなかった.抗ウイルス薬やステロイド・パルスを使って治療を試みたが,けいれん重積状態,人工呼吸器管理になり,ほどなく平坦脳波になった.小さいお子さんも同席した夫への病状説明で,厳しい予後(最低でも植物状態)であることをお話したときのことは鮮明に覚えている.ただその患者さんを忘れられない理由は,その後,特別な治療もなしに,比較的短期間ののち軽度の記憶障害を残す程度に回復し歩いて自宅退院したためである.もちろん家族は大喜びだが,病状説明と実際の転帰のギャップには戸惑っただろう.自分自身,「きっと藪医者に見えたはず」と落ち込んだが,重症でありながら自然に回復したあの病気は何だったのだろうとずっと気になっていた.本邦において,精神症状にて初発し,比較的若年女性に好発し,可逆性の経過をとる辺縁系脳炎は,その後,湯浅らによりacute reversible limbic encephalitis(ARLE)と呼称されたが,その病態はなかなか分からない状態が続いた.
今回,Nuerology誌に自験例と同様の経過を辿った脳炎4症例が北里大学より報告された.いずれも女性(平均25.8歳)で,原因不明の「若年性急性非ヘルペス性脳炎」と診断されていた(この脳炎にはいろいろな名称がある).いずれの症例もウイルス感染様の前駆症状(発熱・頭痛・全身倦怠感)を認め,精神症状,低換気,てんかん発作を呈し,うち2例は,6ないし9ヶ月間の人工呼吸器管理を要した.のちに口腔顔面ジスキネジアと治療抵抗性の不随意運動を呈した.検査所見では非特異的な髄液細胞数増加のみで,頭部MRIでは異常を認めないか,海馬を中心とする軽度の信号変化のみであった.いずれの症例も劇的に認知機能が改善した.以上より,経過としては,①前駆症状期,②精神症状期(無気力・うつ・認知障害・精神病様症状),③無反応期(カタレプシー様・眼球運動なし),④多動期(口腔顔面ジスキネジア,手指のアテトーゼ・ジストニア様運動など)に分けることができた.
2005年頃から卵巣奇形腫を有する脳炎(ovarian teratoma-associated encephalitis)が報告されていた.これは治療反応性の傍腫瘍性脳炎で,抗NMDA受容体(NR1/NR2 heteromer)抗体が原因であるが,この疾患と上記4症例が臨床的に類似することから,保存血清・髄液を用いて抗NMDA受容体抗体を調べたところ,急性期にはいずれも陽性で,長期経過観察後では陰性であった.脳炎ののち4~7年後に,3例で卵巣奇形腫を発症したことも判明した.以上より,①ARLEの少なくとも一部は抗NMDA受容体抗体陽性脳症であること,②重症ながら可逆性で,数年ののち卵巣奇形腫が発見させること,③腫瘍の切除なしでも回復しうるが,重症度や症状の持続期間が長かったことを考えると腫瘍切除を行うべき可能性があることが示唆された.
さらに著者らはJNNP誌にも18歳の抗NMDA受容体抗体陽性脳症1例を報告し,①(血清ではなく)髄液の抗NMDA受容体抗体価が臨床症状と相関すること,②患者血清が卵巣奇形腫のNMDA受容体発現部位に反応すること,③奇形腫切除と血漿交換・ステロイドにより速やかな回復が得られたこと,を報告した.今後,同様の症例を経験した時の治療方法を考える上でとても貴重な症例になるものと考えられる.
あの患者さんにその後,奇形腫が出現したのかまだ確認したわけではないが,論文を読んで喉のつかえが10年ぶりに取れたような気がした.今後,早期の治療法の確立が望まれる.
Neurology 70; 504-511, 2008
JNNP 79; 324-326, 2008
今回,Nuerology誌に自験例と同様の経過を辿った脳炎4症例が北里大学より報告された.いずれも女性(平均25.8歳)で,原因不明の「若年性急性非ヘルペス性脳炎」と診断されていた(この脳炎にはいろいろな名称がある).いずれの症例もウイルス感染様の前駆症状(発熱・頭痛・全身倦怠感)を認め,精神症状,低換気,てんかん発作を呈し,うち2例は,6ないし9ヶ月間の人工呼吸器管理を要した.のちに口腔顔面ジスキネジアと治療抵抗性の不随意運動を呈した.検査所見では非特異的な髄液細胞数増加のみで,頭部MRIでは異常を認めないか,海馬を中心とする軽度の信号変化のみであった.いずれの症例も劇的に認知機能が改善した.以上より,経過としては,①前駆症状期,②精神症状期(無気力・うつ・認知障害・精神病様症状),③無反応期(カタレプシー様・眼球運動なし),④多動期(口腔顔面ジスキネジア,手指のアテトーゼ・ジストニア様運動など)に分けることができた.
2005年頃から卵巣奇形腫を有する脳炎(ovarian teratoma-associated encephalitis)が報告されていた.これは治療反応性の傍腫瘍性脳炎で,抗NMDA受容体(NR1/NR2 heteromer)抗体が原因であるが,この疾患と上記4症例が臨床的に類似することから,保存血清・髄液を用いて抗NMDA受容体抗体を調べたところ,急性期にはいずれも陽性で,長期経過観察後では陰性であった.脳炎ののち4~7年後に,3例で卵巣奇形腫を発症したことも判明した.以上より,①ARLEの少なくとも一部は抗NMDA受容体抗体陽性脳症であること,②重症ながら可逆性で,数年ののち卵巣奇形腫が発見させること,③腫瘍の切除なしでも回復しうるが,重症度や症状の持続期間が長かったことを考えると腫瘍切除を行うべき可能性があることが示唆された.
さらに著者らはJNNP誌にも18歳の抗NMDA受容体抗体陽性脳症1例を報告し,①(血清ではなく)髄液の抗NMDA受容体抗体価が臨床症状と相関すること,②患者血清が卵巣奇形腫のNMDA受容体発現部位に反応すること,③奇形腫切除と血漿交換・ステロイドにより速やかな回復が得られたこと,を報告した.今後,同様の症例を経験した時の治療方法を考える上でとても貴重な症例になるものと考えられる.
あの患者さんにその後,奇形腫が出現したのかまだ確認したわけではないが,論文を読んで喉のつかえが10年ぶりに取れたような気がした.今後,早期の治療法の確立が望まれる.
Neurology 70; 504-511, 2008
JNNP 79; 324-326, 2008