昔,私どもの教室に「問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―」と題する額が飾ってあった.椿忠雄教授(新潟大学脳研究所神経内科初代教授)のことばである.耐震工事の引っ越しのためにどこかに大事に保管され,そのまま行方知れずになってしまっていたのだが,最近,見つかり,あらためて壁に掛けられた.久しぶりに読み直してみて,「これまで先輩方から伝えられてきたことそのものだなぁ」と思った.四番目や五番目は本当に大事なことだと思うし,とくに五番目は5年生のベッドサイド実習で,テーマとして取り組んでもらっている.以下,原文を記載したい.
問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―
新潟大学教授・神経内科学
椿 忠雄
一,神経病ほど問診が重要な疾患はないと思う.誇張ではなく,診断の八割くらいはこれで大よその見当がつく.最近,一般内科では検査所見の比重が大きくなっているが,神経内科はむしろ問診と病床側の診察が重要である.
ニ,神経病の問診のなかで最も重要なことは,症状はいつおこったのか,初発症状の部位はどこか,急激におこったのか(何時何分という程急激か,それほどではないか)ではないかと思う.どんなときでもこれをおろそかにしてはいけない.
三,問診が重要なことは,単に診断のためだけではない.これを通して,医師と患者の間に精神的親近感ができることである.大学の外来では,問診は若い医師や学生が行うことがある.これは診察医の時間を節約していただけるのでありがたいが,診察の本質からみて,必ずしも好ましくない場合がある.私はどんなに完全に問診(予診)ができていても,患者に何らかの質問をすることにしている.それはすでに得られている情報であるかのようにみえても,書かれた情報とはちかったものがえられるはずである.
四,問診の場合,医師にとって無意味と思われる患者の供述であっても,ある一定の時間は患者の思っていることを述べてもらう.それは患者に満足を与えるとともに,患者の心のなかにあることがわかる.
五,患者の何が,最も苦しいか分かることが大切である.単に主訴という形式的な言葉ではあらわされないものが大切である.患者は案外病気の本質とは別のことで苦しんでいることがあり,これを取り除くことができる.
六,多数の患者が待っており,診療時間に追われているときに,ごたごたと供述されることは医師にとって困ることがあり,患者の供述を適当なところで止めさせることも必要ではあるが,少なくとも,前述のことは忘れてはいけないと思う.
七,公害や災害事故の問診で,患者の供述は必ずしも事実でないことがある点で,難しい問題がある.この場合でも患者を非難してはいけない.多くの患者は故意に虚偽の供述をしているのではない.私は患者の供述を言葉通りにきき,主観を加えずにその供述を記述することにしている.このようなことで,かえって真実を見いだせることが多い.
八,問診は診察のはじめだけに行うのではなく,診察の途中にも随時会話をして,情報を深めるのがよいと思う.むしろ,それによりほんとうの供述がえられるように思われる.
九,医師が患者に敬意をはらうという態度で問診をすることが望ましい.一般に患者は弱者,医師は強者の立場になりやすいので,詰問口調になりやすい.しかし,よく聞いてあげるということが,その後の診察に大きなプラスになるであろう.
十,神経病の場合,問診は,言語障害,精神症状,知能,意識状態の検査にもなることを忘れてはならない.

問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―
新潟大学教授・神経内科学
椿 忠雄
一,神経病ほど問診が重要な疾患はないと思う.誇張ではなく,診断の八割くらいはこれで大よその見当がつく.最近,一般内科では検査所見の比重が大きくなっているが,神経内科はむしろ問診と病床側の診察が重要である.
ニ,神経病の問診のなかで最も重要なことは,症状はいつおこったのか,初発症状の部位はどこか,急激におこったのか(何時何分という程急激か,それほどではないか)ではないかと思う.どんなときでもこれをおろそかにしてはいけない.
三,問診が重要なことは,単に診断のためだけではない.これを通して,医師と患者の間に精神的親近感ができることである.大学の外来では,問診は若い医師や学生が行うことがある.これは診察医の時間を節約していただけるのでありがたいが,診察の本質からみて,必ずしも好ましくない場合がある.私はどんなに完全に問診(予診)ができていても,患者に何らかの質問をすることにしている.それはすでに得られている情報であるかのようにみえても,書かれた情報とはちかったものがえられるはずである.
四,問診の場合,医師にとって無意味と思われる患者の供述であっても,ある一定の時間は患者の思っていることを述べてもらう.それは患者に満足を与えるとともに,患者の心のなかにあることがわかる.
五,患者の何が,最も苦しいか分かることが大切である.単に主訴という形式的な言葉ではあらわされないものが大切である.患者は案外病気の本質とは別のことで苦しんでいることがあり,これを取り除くことができる.
六,多数の患者が待っており,診療時間に追われているときに,ごたごたと供述されることは医師にとって困ることがあり,患者の供述を適当なところで止めさせることも必要ではあるが,少なくとも,前述のことは忘れてはいけないと思う.
七,公害や災害事故の問診で,患者の供述は必ずしも事実でないことがある点で,難しい問題がある.この場合でも患者を非難してはいけない.多くの患者は故意に虚偽の供述をしているのではない.私は患者の供述を言葉通りにきき,主観を加えずにその供述を記述することにしている.このようなことで,かえって真実を見いだせることが多い.
八,問診は診察のはじめだけに行うのではなく,診察の途中にも随時会話をして,情報を深めるのがよいと思う.むしろ,それによりほんとうの供述がえられるように思われる.
九,医師が患者に敬意をはらうという態度で問診をすることが望ましい.一般に患者は弱者,医師は強者の立場になりやすいので,詰問口調になりやすい.しかし,よく聞いてあげるということが,その後の診察に大きなプラスになるであろう.
十,神経病の場合,問診は,言語障害,精神症状,知能,意識状態の検査にもなることを忘れてはならない.
