今月にはいってから宮城谷版『三国志』を再読しています
9月に文庫の第七巻が出る予定のようなので、それに向けて予習、というか第七巻をスムーズに読んで理解するために準備中というところです。
半年前に初めて読んだときは知らない人たちがい~~~っぱい出てきて、
な、なんだこれぁ…
と面食らったものですが…
だって、むかぁ~しむかし読んだ吉川英治版『三国志』は、劉備玄徳が川の畔をホテホテと歩いている情景から始まって、劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りのシーンなんかも多少ドラマティックに描かれていて、劉備の諸葛孔明に対する三顧の礼とかもそれなりに劇的に描かれていて…、とそんな印象をもっていたものだから…。
楊震が云々、安帝が云々、太后が云々といわれても
あ、あなたたち、だれ…
って感じだった…
わが君曹操様はなっかなかご登場遊ばさず、文庫第二巻の終盤近くになって漸くご登場。
初めて宮城谷版を読んだ半年前にはわが君様ご登場の前に痺れをきらしてしまい
と、とにかく1回、とりあえず読み通そう
と、大まかな荒筋を追うことに終始したのよね。
でも今回は、作者が何故に後漢王朝から克明に書いているのか、その意図するところを“あとがき”などもちゃんと読んで把握しているからね、結構楽しみながら読んでいます。
わが君様の“戸籍上のおじい様”(…面妖な表現じゃなぁ…)、曹謄殿もなかなかの人物。
その少年期になんともドラマティックな事件も…。
第一巻では梁冀、王聖、白栄など、とんでもないヤツらが登場するんだけど、彼らの所業がまぁ凄まじい。
中国古典文学の表現は“白髪三千丈”だからね、それを承知の上で話半分として理解したとしても…、
うぅ~ん…、“教養が無い”ということは即ち“犯罪”と同義語じゃな…
と思っちゃったくらい滅茶苦茶である。
さらには匈奴・鮮卑・羌などがその部族名まで克明に書かれている。
アーリー・アメリカンに例えれば、モヒカン族やコマンチ族・アパッチ族とかあるじゃない…、ま、それの古代中国塞外(=万里の長城外)版ってところだけれど、そこまではいちいち覚えていられない…。とにかく
すげぇ…
としか言いようがない。
そしてようやっとわが君様ご登場。
その若き日のエピソードで、わが君様がある高名な賢者のもとに押しかけて、自分を人物鑑定してもらおうとするところがある。
その賢者は
『君は清平の姦族であり、乱世の英雄である』
と評したというのはよく知られているわよね。
わが乱世の英雄は革命家ではなく理想主義者でもなく狂信者でもない、極めて現実的で客観的で豊かな教養人である。
戦いにメチャ負けしてへこんだりもするしね。
物語が進むにつれてわが君様の縁類の魅力的な若者たちもたくさん登場するし楽しみだな。
ま、当分は董卓というこれまた首根っこを押さえこんでがっつり叱ってやりたい奸悪なヤツや袁紹&袁術という前半の主役たちが暴れまわる時代が続くけれども。
ふと思った。
吉川英治は劉備玄徳&諸葛孔明組に物語の主軸を置き、宮城谷昌光は曹操孟徳と“時代”に主軸を置いてそれぞれの『三国志』を書いたのかもね。
かつて吉川版を読んだとき、諸葛孔明の終焉の場面
“秋風哀し五丈原”
に感激し、以来諸葛亮はマイ・プリンスっぽくなっていて、ずっと
1に曹操、2に諸葛亮
と思っていたけど、宮城谷版を読んで以来、<2>は空席になりました。
そしてまた思う。
女の身で“乱世の英雄”にはなれまいが、せめて英雄の寵姫にはなりたいものじゃなぁ…。
あ゛…、もう手遅れか…
9月に文庫の第七巻が出る予定のようなので、それに向けて予習、というか第七巻をスムーズに読んで理解するために準備中というところです。
半年前に初めて読んだときは知らない人たちがい~~~っぱい出てきて、
な、なんだこれぁ…
と面食らったものですが…
だって、むかぁ~しむかし読んだ吉川英治版『三国志』は、劉備玄徳が川の畔をホテホテと歩いている情景から始まって、劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りのシーンなんかも多少ドラマティックに描かれていて、劉備の諸葛孔明に対する三顧の礼とかもそれなりに劇的に描かれていて…、とそんな印象をもっていたものだから…。
楊震が云々、安帝が云々、太后が云々といわれても
あ、あなたたち、だれ…
って感じだった…
わが君曹操様はなっかなかご登場遊ばさず、文庫第二巻の終盤近くになって漸くご登場。
初めて宮城谷版を読んだ半年前にはわが君様ご登場の前に痺れをきらしてしまい
と、とにかく1回、とりあえず読み通そう
と、大まかな荒筋を追うことに終始したのよね。
でも今回は、作者が何故に後漢王朝から克明に書いているのか、その意図するところを“あとがき”などもちゃんと読んで把握しているからね、結構楽しみながら読んでいます。
わが君様の“戸籍上のおじい様”(…面妖な表現じゃなぁ…)、曹謄殿もなかなかの人物。
その少年期になんともドラマティックな事件も…。
第一巻では梁冀、王聖、白栄など、とんでもないヤツらが登場するんだけど、彼らの所業がまぁ凄まじい。
中国古典文学の表現は“白髪三千丈”だからね、それを承知の上で話半分として理解したとしても…、
うぅ~ん…、“教養が無い”ということは即ち“犯罪”と同義語じゃな…
と思っちゃったくらい滅茶苦茶である。
さらには匈奴・鮮卑・羌などがその部族名まで克明に書かれている。
アーリー・アメリカンに例えれば、モヒカン族やコマンチ族・アパッチ族とかあるじゃない…、ま、それの古代中国塞外(=万里の長城外)版ってところだけれど、そこまではいちいち覚えていられない…。とにかく
すげぇ…
としか言いようがない。
そしてようやっとわが君様ご登場。
その若き日のエピソードで、わが君様がある高名な賢者のもとに押しかけて、自分を人物鑑定してもらおうとするところがある。
その賢者は
『君は清平の姦族であり、乱世の英雄である』
と評したというのはよく知られているわよね。
わが乱世の英雄は革命家ではなく理想主義者でもなく狂信者でもない、極めて現実的で客観的で豊かな教養人である。
戦いにメチャ負けしてへこんだりもするしね。
物語が進むにつれてわが君様の縁類の魅力的な若者たちもたくさん登場するし楽しみだな。
ま、当分は董卓というこれまた首根っこを押さえこんでがっつり叱ってやりたい奸悪なヤツや袁紹&袁術という前半の主役たちが暴れまわる時代が続くけれども。
ふと思った。
吉川英治は劉備玄徳&諸葛孔明組に物語の主軸を置き、宮城谷昌光は曹操孟徳と“時代”に主軸を置いてそれぞれの『三国志』を書いたのかもね。
かつて吉川版を読んだとき、諸葛孔明の終焉の場面
“秋風哀し五丈原”
に感激し、以来諸葛亮はマイ・プリンスっぽくなっていて、ずっと
1に曹操、2に諸葛亮
と思っていたけど、宮城谷版を読んで以来、<2>は空席になりました。
そしてまた思う。
女の身で“乱世の英雄”にはなれまいが、せめて英雄の寵姫にはなりたいものじゃなぁ…。
あ゛…、もう手遅れか…