人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

オリンパスと言えばネイチャーフォト・・・ジョギングのついでに

2013-02-22 14:42:00 | カメラ・写真
 




オリンパスと言えばネイチャーフォト。
まして、マクロレンズを持っているのだから、
カメラを持ってフィールドへ出たくなります。

冬のこの時期の休日は、だいだい20Kmとか30Kmという
ロングのジョギングを楽しんでいるので、
今までは、コンパクトデジカメくらいしか携帯出来ませんでした。

ただ、OM-Dは小さいので、レンズを二本持っても、
ジョギング用のリュックサックに軽々と収まってしまいます。

そこで、本日は、2週間前に撮った写真をちょっと紹介します。
題して、「ジョギング with OM-D」

上の写真は、公園のユキナナギの芽。
春の日差しを感じて、幾分ほころんできています。
大きさにすると、3mm程度の小さな芽ですが、マクロで等倍撮影。
風で枝がそよぐので、正確なピントは合いません。

後から考えたら、こういう時こそ連射をすれば、
どれかはピントが合うはずです。
今度試してみます。





木漏れ日が綺麗だったので、パチリ。





この日のジョギングは、浦安から実家の津田沼まで15Km弱。
途中、「谷津干潟」を通ります。

「谷津干潟」は、昔は東京湾に面していましたが、
周囲が埋め立てられて、ここだけ干潟が残りました。
大蔵省の所有する土地が、偶然にも埋め立てを免れたのです。
周囲3Km程度の小さな干潟ですが、
東京湾の最奥の貴重な天然の干潟です。

干潮時はほぼ全面、水から干潟が出現し、満潮時は水没します。
東京湾とは2本の水路で繋がっていてます。
ゴカイやカニなど水鳥のエサになる生物が豊富で、
チドリやシギ、カモなどの渡り鳥が渡りの途中で羽を休めてゆきます。

渡り鳥の生息する湿地を守るラムサール条約に加盟しており、
東京湾の内奥にあって、身近渡り鳥の自然の生態を観察できるスポットです。

野鳥の監察館も充実しており、望遠鏡や野鳥の書籍、
そして、フィールドワークの指導なども充実しています。





この日は満潮に近い時刻だったので、カモ達は水中に頭を突っ込んで
逆立ち常態でエサを食べていました。
60mmマクロ(35mm換算120mm)では望遠としては焦点距離が不足します。
デジタルズームで2倍に拡大して撮影しています。(35mmで240mm換算)

写真はオナガガモですが、この他にヒトリガモ、カルガモが多く見られます。
観察館の淡水池には、キンクロハジロやホシハジロ、ハシヒロカモなどが見れます。

コガモやマガモはあまり見た事が無く、こちらは行徳の野鳥公園の方が数多く見れます。



こちらはセイタカシギ。
私が中学生の頃は、日本ではあまり見られない鳥で、
東南アジアの鳥と言われていました。

谷津干潟で繁殖が確認されたのが1978年頃では無いかと記憶していますが、
それからは、留鳥として1年中干潟で見る事が出来、
順調に繁殖して、今では東京湾一帯で普通に見る事が出来ます。

ピンク色の長い足と、白い腹、黒い背が特徴で、
本当に優雅で美しいシギです。

東京湾では近年、セイタカシギの他にオオバンが増えている様で、
これは1980年代以降、温暖化(CO2では無く自然のサイクルとして)が進行した影響なのかも知れません。





手前に杭を配して、浮世絵の様な構図を・・・





枯れ尾花ならぬ、冬枯れのアシ。





OM-Dは背面スクリーンにタッチするとシャッターが切れる機能があります。
うっかり、その設定にしていると、知らず知らずにシャッターを押している事があります。

意図して撮られた写真で無くても、現代のカメラはしかりピントが合います。
そして、普段自分が撮らない様な構図の写真が撮れているから不思議。
これも、そんな一枚。




手すりのペンキがいい具合に剥げていたので、
水面に移るマンションと一緒に撮ってみました。
ここからは、14-45mmの広角ズームを試してみます。









広角レンズって、思わずこういう写真を撮ってしまいますよね。
日常の風景でも、白黒になるだけで随分と印象が違います。

この坂道、数年前に刃物による殺人事件が起きた場所・・・。



本日は、「オリンパスOM-Dを持って、ジョギングに出かけてみた」編でした。

バッターボックスに後ろからボールが飛んで来る衝撃・・・『ささみさん@がんばらない』

2013-02-22 05:29:00 | アニメ
 



■ 今季アニメ最大の衝撃作? ■

『化物語』『魔法少女まどか☆マギカ』『荒川アンダーブリッジ』など、
問題作、話題作を次々に発表する新房昭之監督
オタクアニメを作らせたら、新房監督は現在最強と言えます。

その新房監督の最新作が『ささみさん@がんばらない』 
なんだか、やる気の無さそうなタイトルですが、
内容も、これまた大変脱力した作品と思われました。
小劇場のコントの様なノリで、ささみさんのグダカワイさを堪能する作品だと思われました。

こちらは、新房監督の新作ですから、結構身構えている訳ですが、
毎回、肩透かしを食らう。

ピッチャーマウンドでピッチャーが一塁に牽制球を投げているから安心していると、
バッターボックスの後ろから、いきなり剛速球が飛んできて
1球で三振を食らったような感覚を、毎週味わってしまいます。

エーエー、何、何???と思っていると、いきなりスリーアウト!!

・・・何だか分からない例えですが、
とにかくアニメを見慣れた私達の予想を完全に裏切る衝撃の連続なのです。

■ 誰も理解出来ない第一話 ■

『ささみさん@がんばらない』はラノベ原作です。

月読 鎖々美(つくよみ ささみ)(ささみさん)は引きこもりです。
自宅でパソコン三昧の日々。
そんな彼女の身の回りの世話を、かいがいしくこなすのは、
何故だかいつも顔を隠している「お兄ちゃん」。

「ささみさん命」の、シスコンのお兄ちゃんは実は高校教師ですが、
ささみさんにご飯を食べさせ、お風呂で身体を洗い、パジャマを着せ、
もう、「ささみさんの為なら死ねる」くらいの、お兄ちゃん・・・。

ところが、そんなキモチワルイお兄ちゃんが学校へ出かけると、
ささみさんは、おもむろにパソコンでお兄ちゃんを監視し始めます。
おーーー、もしかして、ささみさんツンデレ?
口ではお兄ちゃんをバカにしながら、お兄ちゃんLOVEか!!?

学校でもへらへらいい加減なお兄ちゃん。
同僚のロリキャラ教師邪神 つるぎ(やがみ つるぎ)「にもアゴで使われる始末。

そんなお兄ちゃんが、何だかとっても落ち着かない。
なんてっったって、今日はバレンタインデー。
大好きな「ささみさん」からチョコがもらえるかどうかが気になって気になって・・・

するとどうだろう、街中にチョコレートで溢れ出してしまいます。
チョコの奔流が街を飲み込み、あらゆるものをチョコレート・コートしてしまいます。
エーエーエー!!?? 何ナノ、この急展開?

すると突然、同僚の邪神(やがみ)つるぎとその妹のかがみ(高校生)とたま(小学生・・でも見た目は大人O)が出現。
「かがみ」は、いきなり手脚がグレネードランチャーになっちゃうし、
「たま」も何だ分からないけど、とてつも無い力でチョコレートを退治して行きます。

もう、作画は素晴らしいクオリティーでヌルヌル動くし、
話の内容は、あまりに飛躍しすぎて付いてゆけないし、
どうしちゃったんだ、新房監督。
これでいいのか、新房監督・・・。

もう完全に視聴者置いてきぼりで、怒涛の戦闘シーンが終わります。
そして、この現象こそが「改変」である事、
そして、「改変」をもたらしたのがお兄ちゃんの願望である事がようやく分かります。

ささみさんがお兄ちゃんを監視していたのは、
「改変」が起こらないかどうかを見張っていたのです。

それでも、第一話はほとんどの視聴者を煙に巻いたまま終了します。

そして始まるエンディング・・・
「さあ、ささみさん、頑張って歌いますよ!」
「これから毎週、ささみさんの歌声がきけちゃうんですね--」
というお兄さんのナレーションで歌が始まるかと思いきや
「エー、めんどくさいーー」
この後は兄弟のグダグダな会話が延々続いて、エンディング終了。

・・・・唖然・・・・。

この作品をどう評価すれば良いのか・・・・。

■ 神話とオタクの融合 ■

2話目からは、少し背景が説明されます。

ささみさんは、創造神、天照大御神の力を宿す月読神社の巫女です。

古来日本の神々は、奔放で無邪気です。
彼らは自由気ままにその力を発揮しますが、
をれは決して人々を幸せにするとは限りません。

そこで、最高位の神、天照大御神の力を奪い、
月詠神社の巫女の体内に封印して、人間の為に行使してきたのが月読神社。
その巫女は代々、血族で引き継がれ、
月詠神社の巫女は、血を薄めない為に血縁者の兄弟と結婚し子を成してきました。
月詠神社に生まれた男子は、巫女の身の回りの世話をし、一生を終えます。

そんな、千年以上続くシキタリに、ささみさんは反抗して家出をします。
人類の為に頑張って巫女になり、頑張って巫女の使命を全うする事より
普通の女子高生の生活に、ささみさんは憧れたのです。

ささみさんは、お兄ちゃんと共に、月詠神社から出奔します。

ところが、天照大御神の力「改変」がお兄ちゃんに移ってしまいます。
お兄ちゃんはその事実を知らないので、
無意識の内に世界を自分の都合の良い様に「改変」してしまうのです。

「改変」の力を監視しているのは、ささみさんだけではありません。
邪神(かがみ)三姉妹も、「改変」を監視しています。

実は姉の「邪神つるぎ」こそが、かつての最高神、天照大御神だったのです。
力を奪われたとはいえ、最高神の力の残りだけでも強力です。
妹の「かがみ」は、天照大御神の一部から悪の組織が作り出した生態アンドロイド。
さらに「たま」は「つるぎ」自身が、自分から分離した神の一部。
まだ、「生まれたての神」の「たま」は、見た目こそ大人ですが、精神は小学生です。

ラノベらしい、荒唐無稽な設定ですが、
「最高神」の力「改変」を中心に据える事で、
物語は「何でもあり」の自由度を獲得しています。

まさに、「神話」と「オタク文化」の融合が、
日本の神話の、自由で奔放な世界を現代に蘇らせたとも言えます。

■ 物語は一気にシリアスな展開に ■

3話目くらいから、物語はシリアスな展開になってきます。
基本はささみさとお兄ちゃんのグダグダな展開ですが、
そのグダグダな背景に、月詠神社の巫女を巡る様々な問題が見え隠れします。

ささみさんの最高神の力を取り戻そうとする月詠神社の勢力との戦い。
ささみさんが「頑張らない」と強く心に決めた理由。
そして「つるぎ」達、天照大御神がささみを応援する理由。

先週からは死んだはずの先代の月詠の巫女、ささみの母が復活します。
巫女としての務めを放棄したささみに、その使命を全うさせる為、
冥府の王、スサノオと契約を交わし、現世へと舞い戻って来たのです。

ささみの母は、月詠の巫女としての使命に従順で、
ささみには、母としてよりも、先輩の巫女として接していました。
それでも時折見せる母としての情は、ささみには掛け替えの無いものでした。

その母は、巫女としての激務に命を擦り減らせて短命でした。
ささみが「がんばらない」と決めたのは、巫女の使命が母の命を奪ったからです。
しかし、復活した母は、親の情など無くした様に、ささみに使命の遂行を迫り、
それを拒絶したささみを、後継者を生む道具と見なします。

邪神 (やがみ)三姉妹は、ささみのささやかな自由の為に戦いますが、
スサノオの力を借りた、母の力は強大です。
長女は黄泉の国に落され、次女は重症を負います。
残された、小学生「たま」が、ささみの母に挑みます。

「もう道に迷うし、分かんないし、もういやだ」と言いながら現れた「たま」は、
しかし、意外な力を発揮します。

古い神の力を駆使する月詠の巫女に対して、天照大御神の分身たる「たま」は、
「新しい時代の神」として、「新たな時代の力」を行使するのです。

■ 子供だましのファンタジーと侮るなかれ ■

この作品、ただただ、ラノベ的なご都合主義のファンタジーとして楽しんでも充分に面白いのですが、
ちょっと深読みすると、それはそれで興味深いものがあります。

京極夏彦の京極堂シリーズ以降、日本の妖怪や神々は、
集団心理や社会心理的な解釈がされた上で、
小説のテーマとして取り扱われます。

現代において、神も妖怪も等しく、ただ単純に存在する事は許されず、
絶えず、観察者としての人間を前提に、その存在が描かれます。

「化物語」はラノベの世界にその視点を持ち込みましたが、
ラノベの若い作家達は、既にこの「概念」を当然の様に受け入れています。

神格としての「邪神(やがみ)三姉妹」の力はの源は、人間の認識です。
それこそが、「たま」を「新しい時代の神」として成立たらしめます。

神は人の作りし幻想ゆえに、その神格も時代性を帯びるのです。
そして、新房監督の描く神々は、オタク信者の妄想が顕在化したものとなります。
この作品は、現代の神々が、オタク文化の中に存在する事を明確に意識しています。

フィギアとは、現代の神々のイコンであり、アイドルなのです。


■ 新房監督の策略に嵌るのは面白くないが・・・ ■

いかにもなオタクアニメの中に、様々な隠し玉を仕込ませる作風は新房監督の特徴です。
それを、悪戯を誇示する子供の様に見せられるのには、抵抗を覚えなくもありません。

出来れば、こんなのオタクアニメじゃん!!って一刀両断に切り捨てたい。

しかし、そうやって身構えていると、剛速球や変化球があらぬ方向から飛んで来る。
それに対応するだけで、イッパイイッパイで、
今週も又、『ささみさん@がんばらない』を見てしまう自分が居ます。

「どうだ、面白いだろう」と言われて、「はい、面白いです」と言うのはシャクなのに・・
今週も又、エンディングで抱腹絶倒してしまう自分に気づくのです。