■ ロックは本当に死んだ・・・ ■
「ルー・リードが死んだ・・・。」
多分この一言は、ROCKを愛する人達の一部にとっては、「ジョン・レノンが撃ち殺されました!!」と言うニュース以上の衝撃を持って世界を駆け巡りました。(駆け巡ったハズ)
とても興味深いのは、愛と平和を歌ったジョンが、一人のキチガイの凶弾で死んだのに対して、ROCKのワイルド・サイドを歩んだルー・リードが肝臓移植の併発症で死んだ事。実にダセー死に方で、これはこれでルーなんだなと妙に納得してしまう。
■ ROCKのジャニーズと大川興業はどちらが本物か?! ■
所謂ROCKなんて言う下品で暑苦しい音楽は、ジミヘンやジャニス・ジョプリンと一緒にこの世を去っているのだけれど、ただ、ルー・リードが生きている限り「ロックは死んだ」とは認めない!!
ビートルズのファンには申し訳無いのですが、インドに行ってLSDをキメてるビートルズがジャニーズだとすると、ステージの上でヘロインを注射するルー・リードは大川興業の様な存在です。まさに、体を張って何かを表現しようとする江頭2:50分と同様の「狂気」を感じます。(ルー、エガちゃんと一緒にして御免ね・・・)
と言う事で、しばらくヴェルヴェットとル-・リードのCDを聴きながら喪に服すので、ブログの更新は喪が明けてから・・・。
それにしてもTBSのニュースの女性アナウンサーが読み上げた原稿がスゴイ。
「世界的なロックミュージシャンのルー・リードさんが亡くなりました。リードさんはヴェルベット・アンダー・グラウンドを結成し、故アンディー・ウォーホール氏がジャケットをデザインしたデビューアルバムはロック史上に残る名盤と言われています。その後、ソロになってからも、トランスフォーマーやニューヨークなど数々の名作を発表しています。
その一方で、ノイズ音楽の実験的なアルバムを発表したり、最近でもヘビーメタルバンドのメタリカと共演するなど、様々な表現を追求してきました・・・・」
「リードさん」って・・・。仮にも、ロックの帝王ですよ!!
『北斗の拳』の「ラオウ」を「ラ王さん」って呼んだ部下が、直後に秘功を突かれて、「ヒデぶーー」なんて爆裂するレベルで笑える。
だけど、このニュース原稿、メチャクチャ、ルー・リード好きが書いてるじゃないか・・・。
りードさんよ、安らかなれ。
■ 裏のROCKとしてのヴェルヴェット・アンダー・グラウンド ■
ルーリードがヴェルヴェット・アンダー・グランドが結成したのは1964年。大学を中退してソングライターをしていたルーが、ウェールズ出身で確かバーンスタイン奨学金を貰ってアメリカで音楽の勉強をしていたジョン・ケイルと知り合った事がきっかけでした。ビオラ奏者のジョン・ケールはこの頃、ジョン・ケージらと現代音楽の活動をしていたようです。
二人はギターのスターリング・モリソンとドラムスのモーリン・タッカー(後から加入)を加えてヴェルヴェット・アンダー・グランドとしての活動を開始します。
それまでの、ただ単に若者のエネルギーを吐き出すだけのロックとは一線を画するヴェルヴェッツに注目したのがアンディー・ウォーホルです。彼は自らが企画する、奇抜なステージデザインや照明を駆使したイヴェント「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」で、ヴェルヴェッツの演奏を披露します。
さらに、ウォーホールはプロデューサーとしてヴェルヴェッツのデビューに携わります。ファクトリーに出入していたドイツ人のモデルのニコをヴェルヴェッツのボーカルに加え、『ヴェルヴェット・アンダー;グランド・アンド・ニコ』をリリースします。
ロック史上、最も有名なアルバムジャケットの一つである「バナナ」はこうして生まれたのです。しかし、一部の熱狂的ファンは獲得しましたが、商業的にはこのアルバムは成功しませんでした。(このアルバムの中ジャケの写真もサイケでステキです)
このアルバムの中には「ヘロイン」なんてタイトルの曲もあります。ちょっとアルバム・バージョンとは違う感じの演奏ですがニコ動で当時の映像を見つけました。
ジョン・ケールのビオラの存在感がスゴイ。エレクトリック・ビオラを弾く事もありますがこの映像は普通のアコースティックでしょうか?延々、ノイズを垂れ流しています。アルバムバージョンだともっと徹底していて、一つの音をロングトーンで鳴らし続けています・・・。ジョン・ケールの金属質なビオラと、ルー・リードのヨレヨレの呟く様なボーカルと、そして「リズムキープって何?」て感じのモーリン・タッカーのドラムスこそがヴェルヴェッツです。「居たの?」って感じのスイターリン・モリソンの存在感の無さも大事。
まあ、ヴェルヴェッツって、ルーとジョンの双頭バンドで、後は音楽的には素人。でもルーの書く詩は文学的で、上の映像の「ヘロイン」も、こんな歌詞が付いています。
俺がどこへ向かってるかって事さえ、俺はわかっちゃいない
でも王国を築きたいんだ, 出来ることなら
だってそいつは俺を男にしてくれる
俺の静脈にそいつを打ち込んだら
それで物事は全て同じじゃなくなるんだから
俺の流れを駆け上がってる時
そしたら俺は本当にキリストの息子になった気分さ
それで本当のとこ、おれは多分なんにもわかっちゃいないんだ
それで本当のとこ、おれは多分なんにもわかっちゃいないんだ
モロですね・・・。後年は散文的でスケッチの様な素晴らしい詩を特長としたルーですが、ヘロインの詩はウィリアム・バロウズやアレン・ギンゼバーヴなど、ビートニクスの影響も大きい様です。当時はこれがカッコ良かったんですね。
ちなみにルー・リードは大学では誌作を専攻していました。
■ 喧嘩別れ ■
バンドは2作目の『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』で早くも危機を迎えます。ルーとジョンの意見がぶつかり合ったのです。結果的にはジョンが抜けて、新メンバーのダグ・ユールを迎えますが、ジョンのビオラの無いヴェルヴェッツなんて・・・。
『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』は前作よりも前衛色を強めた作品です。ニコを加えた前作より、こちらの方が本来の彼らのスタイルとも言えます。シンプルなロックをノイジーに演奏しています。
ジョン・ケール脱退後は前衛性は後退していますので、ノイジーなスタイルはジョン・ケールの影響だったのかも知れません。当時のジョン・ケールのソロライブ音源が『Even cowgirls gets the blues』というアルバムで発売されていましたが、かなり「イカシタ」ノイズ音楽をやっています。ステージ上でギターを叩き壊していたみたいですから、現在の紳士的なジョン・ケールからは想像も出来ません。
ジョン・ケールはその後、イーギー・ポップのザ・ストゥージズやパティー・スミスのアルバムをプロレュースするなど、NYパンクの創世に深く関与しています。同時にブライアン・イーノらと実験的な環境音楽の創作活動を行うなど、彼の活動は多岐に渡ります。オーケストラのスコアーを書いてしまう人ですから・・・。
■ ルー・リードのソロデビューと『トランスフォーマー』のヒット ■
一方、ルー・リードはヴェルヴェッツでこの後3枚のアルバムを発表し、ソロ活動を始めます。
そろデビュー作の『ロックの幻想』の後に発表したのが、ロック史上の名盤と名高い『トランスフォーマー』です。
「ワイルドサイドを歩け Take on the wild side」 という名曲が入っています。
ホリーはフロリダ、マイアミからやって来た
ヒッチハイクしながらアメリカを渡ってきたんだって
途中で眉毛を抜いて、すね毛をそって、それから”彼”は”彼女”に変身したんだ
彼女は言う、ねえベイビーワイルドサイドを散歩しない?って
僕も言う、ねえハニーワイルドサイドを散歩しない?
NYを目指すホモセクシャル達の姿を淡々とスケッチの様に描くこの曲は、従来のロックの持ってた「若者の反骨音楽」というイメージと隔絶しています。社会の裏側のマイノリティー達を肯定も否定もせずに、短編小説やロードムービーの様に描くルー・リードは「ラブ&ピース」という安っぽいイメージに浸るロックのアンチテーゼの様でもあります。
この時代、ルー・リードとデビット・ボウイはマブダチと言うかホモダチというか、とても仲良しだったみたいで、『トランスフォーマー』と、それに続く『ベルリン』はデビット・ボウイがプロデュースしています。
後年も彼らの交流?は続いているらしく、こんな映像も見つけました。
■ 本人が「あれは間違いだった」と否定した世紀の問題作? ■
ルーのソロ5作目は、「世紀の問題作」で「世紀の失敗作」の『Metal Machine Music』。
64分間、ひたすらギーターがノイズを垂れ流すだけ。
歌無し、ドラムもベースも無し・・・ひたすらフィードバックノイズの連続。
ノイズミュージックが市民権を得た現代でも手を出し難いアルバムですが、発売当時は賛否両論どころか、「金返せ!!」の非難の嵐。とつとう回収になったと言う完全なる失敗作。ルー自信が後日、「あれは間違いだった」と言ったとか・・。
ネットに音源がアップされていたので、紹介します。
[[youtube:3-Vy4VRRO30]]
ディレク・ベイリーなどフリーキーなギタープレーヤーは当時から居ますが、ルー・リードのこのアルバムはインダストリアル・ノイズとも言える無機質で硬質な感じがします。ノイズミュージックが市民権を得た現在でもこのアルバムを最後まで聞ける人は少ないでしょう。
ルー自身も否定したかに見えたこのアルバムですが、ルーは相当な思い入れがあると見えて、2009年には『メタル・マシーン・トリオ』としてライブも敢行しています。
晩年のルーは、メタリカやジョン・ゾーンと共演するなど、かなりノイズミュージックに傾倒していた様です。ここら辺が「昔の名前で出ています」的な凡百のミュージッシャンとルーの決定的な違いです。60歳を過ぎても、先端で在り続ける根性はスゴイ。
■ ”女性”と結婚して、人間としての深みがました傑作『ブルーマスク』 ■
ルーリードのアるバムとしては、1972年の『トランスフォーマー』の次の傑作は、1982年に発表された『ブルーマスク』でしょう。
1980年にシルビアという女性と結婚したルー。ゲイのイメージが強かっただけに、「両
刀だったのね」とファンを関心させましたが、『ブルーマスク』は理想の女性であるシルビアと一緒に生活するルーの新たな一面がさく裂した傑作です。
新たな一面って・・・・デレただけですけど。
アルバムの冒頭はシルビアとの幸せな生活を淡々と歌うオノロケソングの「My House」で始まり「Woman」へと続きます。
そして、多くのルーのファンをビックリさせたのが「Average Guy 」。
これまで、カリスマとして異彩を放っていたルーが、「体温だって平熱だ」と普通をアピールしまくるこの歌は、こんな歌詞でも歌になるというビックリソングです。実はアルバムの中で聞くと、実に味わい深い曲ですが・・・。
まあ、デレデレのルーですが、やはり凡人とは何かが決定的に違います。幸せな自分をそのままアルバムに詰め込んでも、ベタアマにならない硬質さを保っています。
でも、後年、シルビアとは別れちゃうんですけどね。離婚によってこのアルバムはルーにとっては「黒歴史」になってしまいましたが・・・。
■ 社会と正面から向き合った『Yew York』 ■
実は、色々とエラそうに書いて来ましたが、私がルー・リードを知ったののは1989年のアルバム『Yew York』から。大学生の時でした。
ラジオから流れて来た、ボソボソとしたボーカルと、骨太なサウンドにノックアウトされて、レコード屋にダッシュしました。
このアルバムを発表した時のルーは47歳。現在の私より1歳若い。これまで、さんざんワイルドサイドを表現してきたルー・リードですが、このアルバムで彼はアメリカという国を正面から描こうとしています。
その結果は・・・かなりダサい。年齢的にも社会の本質が見えて来る頃なので、これまでの様に社会の片隅で愚痴るより、しっかり物申したいと思ったのでしょうが、やはりルー・リードには説教臭い歌は似合わない。自分の周囲1mから歌が生まれる人なのでしょう。
このアルバムでベルベット時代のドラマーのモーリン・タッカーがドラムを一曲叩いています。その他の曲のはフレッド・マー(元マカサー)が叩いいて、プロデユースも確かフレッド・マーだったと記憶しています。
まあ、説教臭いけど、傑作アルバムである事は間違い無い。
だって、カッコウ良すぎます。
『トランスフォーマー』は、ルー・リードとデビット・ボウイの共作アルバムみたいなものですから、このアルバムがルー・リード個人としての初めての大ヒット作品とも言えます。
ギターはマイク・ラスケ、ベースはロブ・ワッサーマン、ドラムはフレッド・マー。
このアルバムがルー・リードの第二期黄金期だったと言えます。
■ ジョン・ケールとの仲直りの切っ掛けとなったアンディーの死 ■
バンドメンバーが、音楽性の違いから仲違いして、その後もギクシャクした関係が続くのは、日本も欧米も大して違いは無い様です。
ヴェルヴェット・アンダー・グラウンドの創設メンバーでありながら、喧嘩別れしたルー・リードとジョン・ケールですが、その後も彼らの関係は修復していなかった様です。
その2人が再び同じステージに立ったのは、アンディー・ウォーホルの追悼コンサート。
ウォーホールの人生を音楽で辿るという趣旨のステージですが、ルーがギターを弾き、ジョンが彼ならではのピアノを奏でる演奏は、二人の軋轢を知る者にとっては、ちょっとした鳥肌ものです。
実は音楽(演奏)的には、やはりジョン・ケールが素晴らしいのですが、ルー・リードがそれに負けていない所が注目に値します。
アルバム『ソング・フォー・ドレラ』はこの時の曲をスタジオ録音したものです。ドレラとはアンディー・ウォーホールのニックネーム。確か、ドラキュラという意味だったと思います。
■ 50歳を過ぎても充実した作品を発表し続けた ■
1992年に発表された『マジック・アンド・ロス』は、内省的というか、非常に鬱々としたアルバムでした。友人を立て続けに癌で失った事が影響していると言われています。ただ、内容的には素晴らしいアルバムであると同時に、『New York』のヒット路線を繰り返さない所がルー・リードらしい所。ただ、このアルバムはあまりにも空気が重たいのでセールス的には振るいませんでした。
少し間が空いて1996年に発表した『セット・ザ・トワイライト・リーリング』は一変して肩の力の抜けた作品で、肌合いとしては『ブルーマスク』に似ています。アルバムジャケットが凝っていて、上の写真はCDケースの中の印刷ですが、これが濃いブルーに着色されたCDケースに入ると下の写真の様になります。
このアルバムからベースがロブ・ワッサーマンから『ブルーマスク』時代のフェルナンド・サンダースに変わっています。腰の強い、ノリのいいベースで、アルバム全体に躍動感が生まれています。
■ ローリー・アンダーソンと再婚したルー。シルビアはどうした!? ■
そうそう、あんなに大好きだったシルビアと別れ、2008年に著名ミュージシャンのローリー・アンダーソンと再婚しています。
そのローリー・アンダーソンがエレクトリック・バイオリンで2曲参加していたのが2000年に発表された『エクスタシー』
オッサンのアヘ顔のジャケ写で、タイトルがエクスタシー・・・笑えない。
このアルバム、何と共同プロデュースがハル・ウィルナー。ホーンセクションを加えるなど、色彩感のある仕上がりになっているのはハル・ウィルナーの影響でしょうか。
1985年の名作アルバム、ハル・ウィルナーが製作したクルト・ワイルのトリビュートアルバム『Lost in the Stars: The Music of Kurt Weill/ クルト・ワイル作品集』で、ルーは「September Song」を歌っています。このアルバム参加ミューシャンンの顔ぶれだけでもヨダレが出そうになります。スティング、ヴァンダイク・パークス、ジョン・ゾーン、エリオット・シャープ、トム・ウェイツ、カーラ・ブレイ・・・当時の旬のミュージッシャンンをジャンルを問わず大集合させた感じです。その中でもルー・リードの「セプテンバー・ソング」は一際輝いています。
その後2003年に『ザ・レイヴン - The Raven』というアルバムを発表していますが、これは持っていないので未聴。
2011年にはメタリカとのコラボレーションアルバムの『ルル - Lulu』を発表しています。これも未聴なので、是非聞かなきゃ。
晩年のルーは少し、ノイズ・ミュージック系の活動が目立つ様ですね。ジョン・ゾーンとも共演しいますし。『メタル・マシーン・ミュージック』は「間違い」では無くて「本気」だったのでしょう。
■ ギター下手、歌も下手だけど彼こそがアンダーグランドロックの帝王だった ■
ロックにはビートルズを神とする「表のロック」と、ヴェルヴェット・アンダー・グランドを神とする「裏のロック」が存在します。
後者を「ヴェルヴェット・チルドレン」などと呼びますが、ピクシーズ、フィーリーズ、ペル・ユビュ、などコアーなバンドから、ソニック・ユースやニルヴァーナといったメジャーミュージッシャンまで、錚々たるミュージシャンが強い影響を受けています。
独特だけどテクニック的には普通のギターとヨレヨレのボーカル。
ただ、それが唯一無二の孤高の存在であり続けたルー・リード。
生涯、進歩し、深化しつづけた本当のミュージシャンでした。
彼の冥福をお祈りします。
今頃、ウォーホールに天国で再会している事でしょう。