人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

夏休みの読書感想文が終わらない君へ・・・『きりこについて』

2014-08-20 23:48:00 | 
 



■ 憂鬱な季節がやって来た ■

青空に沸き立つ入道雲。むせ返る様な熱気とは裏腹に、この時期多くの中学生・高校生の皆さんが憂鬱の虫に取りつかれています。その原因は「夏休みの読書感想文」。

ネットの記事を「コピペ」するのが今風なのでしょうが、夏目漱石の『友情』や太宰修の『走れメロス』の感想を「コピペ」したら、クラスメイトと完全一致してしまう危険性は高い。

そこで、誰も選ばない様な本の感想を「コピペ」した方が安全だ。たとえ、先生の眉間に深いシワが刻まれたとしても・・・。

そこで、今年もやっちゃいます。「夏休みの読書感想文が終わらない君へ」シリーズ第四弾。

今回は『円卓』が映画化されて、今とても旬な作家の西加奈子さんを取り上げてみます。

■ 本屋に居るとトイレに行きたくなる ■

夏休みの読書感想文で悩む君たちは、本屋に溢れ返る本の山を前にして途方に暮れるでしょう。薄くて簡単に読める本が良い。面白い本ならよりベターだ・・・そう思いながら書棚の間を徘徊したり、平積みの本を手に取ってペラペラやってみるが、日頃、本なんて読まない君は文字がぎっちりと詰まったページを見て、速攻で本を棚に戻すだろう。

そのうちに君は尿意を催すかもしれない・・・。ものの本によると本やで尿意や便意を覚える人は意外に多いそうだ。実はこの現象『青木まりこ現象』という立派な名前が付いている。興味がある人はwikipedia 青木まり現象を参照して欲しい。

かくゆう私も、本屋に行くと尿意を覚える。知り合いは便意だと主張している。

■ 「きりこはぶすである」という衝撃的な出だしで始まる『きりこについて』 ■

尿意、あるいは便意に耐えて、西加奈子の『きりこについて』を探して欲しい。人気作家だから直ぐに見つかるはずだ。そして、1ページ目の冒頭を読んで欲しい。

「きりこはぶすである。」という衝撃的な文章で始まっている。かつて夏目漱石が「吾輩は猫である」と書き出した時も、当時としては衝撃的であっただろうが、現代においても「きりこはぶすである。」という書き出しは充分インパクトが強い。

そこで、尿意、あるいは便意に耐えてこの本を持ってレジに並んで欲しい。なぜならば、この本は君が夏休みに読んで損の無い本だからだ。

■ 「ぶす」を知る事は自分を知る事か? ■

きりこについて語るのは猫のラムセスⅡ世でです。ラムセスⅡ世はきりこに拾われてた黒猫ですが、賢い猫でです。いや、猫という存在が、そもそも人よりも賢いのである。その、賢者のラムセスⅡ世はきりこを崇拝しています。

きりこは「ぶす」です。それなのに幼い頃よりフリフリの洋服を好んで着ている。何故ならば、きりこは自分を「ぶす」だと思った事が無いからです。父も母もきりこをとても大切に育てています。愛情に恵まれたきりこは、自分が「ぶす」だとは夢にも思っていなかったのです。

そんなきりこも、様々な出来事や、周囲の空気から、段々と自分がぶすである事を知ります。きりこは十数年かけて自分がぶすである事を知り、さらに数年かけてそれを理解します。「自分はぶすである」という表層的な認識と、「自分はぶすである」という存在の本質の整合を取るのに彼女は数年を要し、その間、高校にも通わずに家に引きこもります。

彼女が「自分はぶすである」という存在的本質を理解し、そしてそれを受け入れた時から、彼女の人生の歯車が力強く回り始めます。

■ ありのままの自分を理解する事 ■

「ぶす」という自分の存在の本質を理解したきりこは、周囲の人達に影響を与え始めます。

人は表層で判断されます。セックスが好きな近所の年上のお姉さんの「ちせちゃん」は周囲には淫乱の烙印を貼られます。彼女は自分の本質が「セックスが好き」である事を知っていますが、それを理解してはいません。彼女は自分の本質を世間の目を通して見ているからです。そんな近所の年上のお姉さんの為にきりこはAVのプロダクションを立ち上げます。

「セックスが好き」ならば、気持ち良いセックスをとことん追求すれば良いときりこは思ったからです。但し、セックスは強要されるものでは無い事を主張します。ちせちゅんのAV作品は大ヒットを連発します。

こうしてきりこの会社は彼女の周囲の、世間に理解されない人達に、自分を解放する場所を与えて行き、そして成功を収めて行きます。

■ 自分を理解する事と、それを受け入れる事は違う ■

荒唐無稽で不思議な作品ですが、この作品のテーマは非常に興味深いものがあります。

誰でも自分を知ろうと努力します。自分の性格を知り、長所を伸ばし、短所を克服しようと試みます。これは良い事とされています。

一方で、多くの人達がこの試みに挫折します。自分はそう簡単には変える事が出来ないからです。その結果、「オレってこんな人間なんだよな」と中途半端に自分を理解し、可能性の限界を自分で引いてしまいます。

ところが、きりこの「ぶす」は、ちょっとやそっとの自己欺瞞で解決できるレベルではありません。彼女は元々、リーダーシップの取れる性格でしたが、自分が「ぶす」である事によって彼女のオーラは喪失します。普通なら「気づき」で終わってしまい、ひきこもり続けるか、あるいは地味で暗い性格になって行きます。

きりこの凄い所は、「自分がぶすである」という表層の認識を、「ぶすが自分の本質である」という存在の根源まで突き詰めた事です。「ぶす」がきりこの本質であるならば、「ぶす」は外界からの表層的評価を失い、「ぶす」こそがきりごのアイデンティティーになって行きます。要は「きりこ=ぶす」という根源的合一によって、「ぶす」の客観性が消滅するのです。

「自分のありのままを受け入れる」という生易しい言葉では無く、真理に到達するレベルで「ぶす」と合一したきりこは無敵の存在です。そして、彼女の影響は周囲の人にまで及びます。

■ ニーチェの「超人」は、「ジョナサン」になり、そして「きりこ」になった ■

ニーチェの実存主義が生み出した「超人」は、アメリカのカウンタカルチャーにおいてリチャード・バックの『かもめのジョナサン』に姿を変えます。ひたすらスピードを追い求めたジョナサンは、食べる為に飛ぶのでは無く、早く飛ぶ事こそが自分の本質だと信じて疑いません。「かもめは飛ぶもの」という表層と自己の合一を試みているのです。リチャード・バックはニーチェの「超人」を「超カモメ」に置き換えて見せたのです。(大変安っぽくなっていますが・・・)

一方、西加奈子は「超ぶす」というきりこを描く事で、ニーチェの「超人」を一介の女子のレベルまで引きずり下ろします。もはや、「超人」は空からも隔てられ、夜の公園を猫と徘徊するレベルまで凋落します。

マンガやアニメの中でルフィーや悟空の様な「超人」が活躍する日本文化ですが、とうとう「ぶす」が最強の属性になった作品まで現れたという意味において、ニーチェ的な「超人」のインフレーションは日本文化においては留まる所を知りません。そして、その最たる物が涼宮ハルヒの存在えす。彼女こそが世界であり、宇宙なのですから。

■ 強靭な思考の産物である「超人」がアメリカや日本でインフレーションする訳 ■

ヨーロッパ哲学の本流は形至上学ですが、アリストテレスやデカルトは神の存在の証明として哲学を利用しました。世の中には神の真理が存在し、それに則って作られた現実の世界の体系を理解する事は、神の世界の体系を理解するものだと考えたのです。

科学が「フィロソフィー=哲学」と呼ばれるのは、神の存在を証明するという目的がギリシャにおいては共通していたからです。

一方で科学の急激な進歩は近代において神の存在を揺らがせる事になります。自然は神の作りし物では無く、宇宙の真理に則って形作られている事が判明して来たからです。そこで、哲学は神に変わるものを模索し始めます。

西洋において人間の存在は「神の写身」として安定していましたが、神の存在が揺らげば、人間の存在すらも揺らいでしまいます。

そこで登場したのがニーチェを始めとする「実存主義」です。存在の主体を神から人間い移す事で、人間の存在理由を補強しようとしたのです。その過程で「神は死んだ」とされ、神に変わるものとして「超人」が提示されます。

ニーチェは人間としての自分の弱さを克服しうる、強さ、高貴さを持った人間を、「超人」と呼びました。

形至上学的な神に対抗する存在であった「超人」ですが、近代化の進行と共に神の存在意義が薄れれば、超人の存在意義も薄れてしまいます。「超人など仮定しなくとも、人は普通に人でいいんじゃね?」的な変換が起こるのです。

特に自由の国アメリカでは、宗教的縛りが弱いだけに「超人」の存在意義も希薄です。一方、極度に近代化が進んだアメリカでは、新たな哲学が希求される様になります。60年代のサブカルチャは、それを東洋思想に求めました。

キリスト教的神とそれに対抗する超人が否定される一方で、「自然と一体になってこの世を司る何か」の存在が求められる様になったのです。キリスト教的な神は、あまりにも人間的である為に退けられ、東洋の自然と渾然一体となった神や仏が、新しい時代の神として受け入れられてゆきます。

リチャード・バックの『かもめのジョナサン』は、この様な時代の空気を背景にして発表されています。ニーチェの影響と東洋仏教思想の影響を強く受けた事で、「超人」を「超カモメ」とする事で、「人間=神」という呪縛を解いて「自然=神」という構造を作ろうと試みている様です。(多分)

この様に「神や超人」が一旦人から離れると、「超人」はインフレーションを起します。宇宙から来た超人(スーパーマン)や、異形の神々が次々に現れました。いわゆるアメリカンヒーロー達です。

アメリカは移民国家で思想的にも宗教的にも多様性に満ちています。そんなアメリカ人達は、共通のヒーロを祭り上げる事で、国民の統一性を確認する必要がありるのでしょう。その最たる物が大統領の存在です。彼らこそアメリカにおける「超人=ヒーロー」の役割を担って来ました。

一方、元々西洋思想お影響外にある日本においては形至上主義的「神」も、実存主義的「超人」も元々理解し難いものでした。反面、アメリカンカルチャーを経由した東洋思想はどこか陳腐な感じがして偽物クサイ。

そんな日本にあっても「超人」のニーズが無い訳ではありません。特に日本においては「均質化」の「同調圧力」が強く働く社会なので、子供達は学校や友人関係においてストレスが溜まります。そして、イジメという形で同調圧力は暴力的になります。

子供達が読むマンガに描かれるヒーロー像の多くは、最初は同調圧力に屈していますが、自己鍛錬の結果、自分を解放して行き、周囲にも影響を及ぼす様になります。

アメリカにおいては多様性が統一の象徴としての「超人=ヒーロー」を求めるのに対して、日本は同調圧力からの解放の手段としてヒーローを求めたのかも知れません。日本のマンガやアニメの中でヒーローがインフレーションします。

■ ヒーローのアイデンティティーを「ぶす」に求めた ■

『きりこについて』の面白い所は、ヒーローのアイデンティテーを「ぶす」に求めた事でしょう。本来は「欠点」である「ぶす」も開き直ればヒーローの要因になると強引に押し通した所が面白い。

ただ、世間一般には「ぶす」は欠点意外の何物でも無いので、人間とは価値観を異にする猫の視点を通してきりこの「ぶす」を賛美し、きりこの覚醒を促しt下います。

■ マジックリアリズム ■

私は『きりこについて』を読んで強烈な既読刊を覚えました。

アメリカのマジック・リアリズムの大家の一人、スティーブン・ミルハウザーの1972年のデビュー作、『エドウィン・マルハウス』に良く似ているのです。

11才にして夭折した天才作家の伝記を、彼の崇拝者であった友人が書くという内要ですが、天才と思い込んでいた友人が書いていたのがツマラナイ漫画である事に、観察者は成長と共に気づいて行きます。そして、エドウィンが11才になった時、この友人の少年はエドウィンを射殺します。彼の信じる天才性との乖離が決定的になる前に、エドウィンを夭折した天才にする為に・・・。

何とも歪んだ小説ですが、一貫して観察者の少年の視点で書かれ、彼はエドウィンの行動を称賛し続けます。この観察者の少年をラムセスⅡ世という猫に置き換えると、『きりこについて』は非常に良く似た構造を持っています。

西加奈子の作品は「マジック・リアリズム」と評される事が多く、南米やアメリカのマジックリアリズムの影響を強く感じます。クレヨンで書きなぐった様な線が太くカラフルな印象は彼女の本の表紙の通りで、彼女の最大の個性とも言えます。

日本のマジックリアリズムの作家としては、古くは安倍公房から始まり、最近では小川よう子やは森見登美彦や桜庭一樹の名前が上げられそうですが、読みやすさという点では初期の桜庭一樹作品と西加奈子は若い方にもお勧めです。

一度、こういう作品に慣れてしまうと、海外にはこの分野の優れた作家が沢山居るので、読書の幅が一気に広がります。

■ 『きりこについて』で読書感想文を書いたら先生に怒られる? ■


『きりこについて』はとても素敵な作品ですが、「AV女優」とか「セックス」などという言葉が度々登場するだけに、頭の固い国語の先生には受け入れられない小説かも知れません。

そこで、今回は「ニーチェ」という大上段から、国語の先生をねじ伏せる感想を書いてみました。これを「コピペ」して提出したら・・・・親が学校に呼び出されますね。多分。


■ お詫びに過去の真面目な作品紹介を ■

夏休みの読書感想文の本が決まらない君に・・・有川浩「レインツリーの国」 

夏休みの読書感想文が終わらないお子様に・・・カラフル

夏休みの読書感想文が終わらない君たちに No.3 ・・・ 『NHKにようこそ』

自分が演じるキャラクターとは自分自身では無いのか?・・・庵田定夏「ココロコネクト」 

小説というバーチャルリアリティー・・恩田陸「夜のピクニック」

ここら辺がお勧めかな。

ロボットアニメがようやくガンダムの呪縛から解かれるのか・・・アルドノア・ゼロ

2014-08-17 05:06:00 | アニメ
 



■ 「レーリー散乱」という言葉だけで、私はこの作品に惚れ込んでしまった ■

宇宙から地球を眺めるアセイラム。彼女のかたわらには、地球文化を彼女に教える少年スレインが付き添っています。アセイラムは火星の皇女様です。

「ねえ、スレイン。空も青くて海も青いと言うけれど前から不思議だったのです。地球では水や空気に青い色が付いているんでしょうか?」それに対してスレインは答えます。「いえ、水や空気は透明です。ただ、それが大量にありますと光の屈折とかありまして、青い色に見える・・て事だと思うんです。」をれを聞いたアセイラム姫は「光をゆがめる程の水と空気、凄いですね。想像も付きません。」

冒頭のこの会話を聞いた瞬間、私は心の中で盛大に突っ込んでしまいました。「ブブー!!空が青いのは空気中の微粒子が短波長の光だけを選択的に散乱する「レーリー散乱」という現象だよ!!」

ところが第6話での次の様な会話で、私はもうこのアニメに惚れ込んでしまいました。

空を見つめるアセイラムは地球の高校生のにこう言います。「本当に綺麗」。「青い空は珍しいですか?」・・・・
「荒れ果てた火星の大地を開拓した者が次に求めたのが地球です。光を屈折し、海と空が青く見える程、沢山の水と空気を持つ、私達人類の発祥の地。」「それは違います。空が青く見えるのはレーリー散乱の影響です」「え、だって光の屈折だとスレインが・・・。」「空が青いのがレーリー散乱、雲が白いのがミー散乱。その人の勘違いです。」

確かに1話の冒頭でスレインは自信なさそうにアセイラムに答えていました。そして地球の高校生の界塚 伊奈帆(かいづか いなほ)は、確信を持って答えています。

この3人がこの物語の主人公です。謀略に嵌り命を狙われる火星の姫と、姫に忠誠を誓う地球人の少年スレイン、そして姫を守る地球の高校生の三角関係。スレインの一途さと、伊奈帆の知性の対比が見事に表現されています。

一話冒頭の会話を、六話目にして回収する緻密な脚本には惚れ惚れすると同時に、この作品の魅力が「科学的知識の応用」である事を象徴しているエピソードとも言えます。



■ 圧倒的な戦力差を「知識」で覆す興奮 ■

この作品の物語の構造はガンダムを踏襲しています。

1) 普通の高校生がロボットに乗って戦う
2) 一般民を含めた逃走戦で幕を開ける

視聴者の多くは中高生なので、やはり感情移入の面からロボットの操縦者は同年代の少年が好ましい。少年がロボットに乗って戦う為には、不測の事態が生じて大人の兵士が居ない状況を作る必要があります。突然の襲撃と、一般人の孤立、正規兵の不在はリアルロボットアニメの黄金律なのでしょう。

ガンダムではアムロは、モビルスーツに乗り込むなり、マニアルを一瞥して即座に戦闘に突入します。この不自然さは以前から指摘されていあすが、「アルドノア・ゼロ」では高校生達は、兵科訓練でカタフラクト(ロボット)の搭乗実習を受けていますので、高校生がロボットに乗って戦う不自然さは払拭されています。

ガンダムで素人のアムロがジオンのモビルスーツを倒す最大の要因はガンダムの性能の高さです。一方、『アルドノア・ゼロ』では、火星のカタフラクトの性能は地球のそれを圧倒的の凌駕しています。まさに「赤子の手をひねるが如く」という表現がぴったりです。その圧倒的な戦力差をどう乗り越えて火星のカタフラクトを撃退するかが、この作品の最大の見所となっています。

伊奈帆は鋭い観察力と高い知性の持ち主です。最初に襲撃して来た二ロケラフの能力は、あゆる物(物質だけでなく、光や音波や電波まで)を吸収するフィールドによる絶対防御です。この特性を「観察」と「観測」によって特定します。

一方、どこかにフィールドの隙間が無ければ外界の情報が遮断される事を「推測」します。ビルの影からも攻撃して来る事から、二ロケラフが上空から攻撃対照を補足していると「推測」し、それに対して発煙弾で二ロケラフの目を奪う作戦を立てます。そして、フィールドの隙間を「特定」する方法たるや・・・・。

この科学的な考察の過程にドキドキしてしまいます。


■ 『ガンダム』と『コンバトラーシリーズ』の正統なる継承者 ■

『アルドノア・ゼロ』はリアルロボットアニメです。素人の少年がロボットに搭乗して戦う事から、ガンダムからの正統な流れを汲む作品です。

一方で、ガンダムは科学力が同等な勢力同士の戦いですが、『アルドノア・ゼロ』は戦力に大きな隔たりのある非対称な戦闘が描かれます。敵の科学力が味方のそれを遙かに超えているというのは、マジンガーZ以来のロボットアニメの初期の特徴です。圧倒的な科学力を誇る未知の敵に対して、地球の科学力を結集して戦うという構図がロボットアニメの魅力でもありました。

マジンガーZの生み出したこの構図は、『コンバトラーV』や『ボルテスV』などに受け継がれて行きます。コンバトラーシリーズの敵の特徴は、王家の血筋を引くなど、「一種の優美さ」を備えている事です。

コンバトラーシリーズの総監督は長浜忠夫ですが、彼の作り出したこの分野は「長浜ロマンロボットシリーズ」などと呼ばれています。長浜忠夫は、敵が地球を侵略する理由も丁寧に描き、視聴者が敵キャラにも感情移入出来る様に考慮されています。そして、敵の将が美形な事から、「女性ファンが敵キャラに萌える」という現象を生み出しました。

『アルドノア・ゼロ』では、敵の火星人は「王政」と「騎士団」という封建的な政治形態を取っています。それだけに襲い来る敵は、単機決戦という騎士的な戦闘スタイルを好み、名誉を重んじます。単純な軍隊組織同士の戦いよりもキャラ立ちが良く、アニメが本来持っているロマンティシズムを掻き立てます。

敵メカがそれぞれユニークな形態、能力を有している事も魅力の一つです。これはコンバトラーなど初期のロボットアニメの「敵メカ」とか「ゲストメカ」の流れを汲んでいます。

ただ、『アルドノア・ゼロ』において敵メカがそれぞれユニークな能力を有している理由は、その能力に知識の限りを尽くして高校生の伊奈帆が挑んで行くという、この作品の最大の魅力を引き立てる事にある様です。

理由はどうあれ、単機で襲来するユニークな敵メカと、貴族的な敵の存在は、長浜ロマンロボットシリーズの魅力を現代に蘇らせています。

■ 魅力的なキャラクター達 ■





リアルロボットとロマンロボットの融合という離れ業を成立させている最大の要因は、キャラクタデザインです。

「火星の御姫様」という陳腐な設定を魅力的に変換するのは、『放浪息子』や『青い花』などナイーブな少年少女を描かせたら天下一品の志村貴子が担当するキャラクターです。

リアルな人物造形を排除した事が、お伽噺的世界を視聴者が受け入れる助けになっています。特にアセイラム姫のフリフリしたドレスは、リアルなキャラクターには着こなせませんが、このドレスこそが彼女の皇女としてのアイコンを際立たせています。これは「ジオンの御姫様」という言葉だけで特別なアイコンを持たない『ガンダムUC』のミネバ・ザビと対照的です。

アセイラムの純粋な可愛らしさと強さ。アセイラムを守ろうとすいるスレインのナイーブなひた向きさ、同様にアセイラムを守る為には冷徹は決断をも下す伊奈帆の隠れた情熱。この3人の関係を軸にこれから物語は展開して行きますが、キャラクターデザインが3人の魅力を見事に引き立てています。

■ このスタッフで駄作が出来るハズが無い ■

監督は『Fate/Zero』や『喰霊-零-』そして『放浪息子』のあおきえい

シリーズ構成は『喰霊-零-』や『あそびにいくヨ!』といった通好みの作品や、新房監督や大沼心監督と組む事の多い高山カツヒコ

ストーリー原案が『Fate/Zero』や『魔法少女 まどか☆マギカ』の 虚淵玄

キャラアラクター原案が『放浪息子』や『青い花』のマンガ家の志村貴子

メカニックデザインが『コードギアス』や『モーレツ宇宙海賊』、『輪廻のラグランジェ』の寺岡賢司

主題歌の作詞作曲が梶原由紀

スタッフの豪華さを見ただけでも、ヨダレが出そうです。


「リアルロボットアニメ」と「ロマンロボットアニメ」を繋ぐ意欲作『アルドノア・ゼロ』は、ガンダムの呪縛から解かれて、ロボットアニメの新たな金字塔を打ち立てると私は確信しています。



消費税率10%は実現するか?・・・目的は景気回阻止

2014-08-16 02:26:00 | 時事/金融危機
 

■ 政治はプロレス ■

<ロイターより一部引用>

安倍晋三首相は19日に放映されたNHKの番組で、消費税率を10%に引き上げるかどうかについて、判断を先送りするのではなく、今年中に決断したいと語った。

安倍首相は「4月に消費税率が8%に引き上げられるが、今の景気回復の流れを止めては元も子もない」と指摘。「経済成長ができなければ財政再建できない。7─9月の数字を吟味しながら総合的に判断していきたい」とした。

判断の時期を先送りする考えはあるかとの質問には「決断自体は今年中にしたい。その段階で来年10月から引き上げるか判断したい」と述べた。

<引用終わり>


消費税率を8%に引き上げる事を決定した時にも、安倍首相は同じ様な発言をしています。増税は国民の誰もが嫌うので、政権政党としては決定ギリギリになるまでは増税にあまり積極的な姿勢を示さないのは当然の事。だから、安倍首相の発言を額面通りに受け取る事は出来ません。

政治はプロレスですから安倍首相のこの発言を責める気は毛頭ありません。もしこの言葉を信じて「増税は無い」と思い込む人が居るならば、それは騙される方が悪いのです。8%への引き上げの経緯で学習出来ていません。

■ 消費税増税の真の目的 ■

問題は消費税増税によって可処分所得が減少するので、増税は必ず経済の減速を伴う事を財務省も理解しているのに増税を強行する理由です。


一つには黒田緩和が財政ファイナンスだと受け取られない為には増税によるプライマリーバランスの改善の「ポーズ」は国際的には大きな意味を持ちます。

もう一つ重要な点は、日本の財政赤字の規模は金利上昇に耐えられ無いので、金融緩和で景気刺激をする一方で、金利上昇をどうにかして防ぐ必要があります。

景気回復と金利抑制は相反するので、中国の様に上限金利を設定する以外に好景気下の金利上昇を抑制する手段は有りません。ただ、景気が過熱しない様に水を差す方法はいくらでも有り、増税も一つの手段に成り得ます。

■ 世界的な「金融抑圧」時代の到来 ■

「金融抑圧」という言葉が世界的に注目を集めていますが、中央銀行や財務省が金利上昇を抑制する政策を指します。本来は途上国で行われる金融政策ですが、世界的な財政赤字の拡大とマネタリーベースの拡大で、先進各国の中央銀行と財務省は抑圧的な金融政策を実行していると言われています。

リスクに対して正統な金利が得られないので、金融機関は低金利で過大なリスクを取る事になり、金利上昇局面で経済が破綻しますが、リーマンショック後の世界は、この様な「麻薬」によって危機を忘れている状況です。

多分10%への消費税増税は強行されると思いますが、その理由は税収を増やす事では無く、景気に水を差す事で金利を抑制しうる事にある様に思われます。

■ アメリカの金利正常化をサポートする消費税率10%への引き上げ ■

もし消費税10%で景気が減速すれば日銀の追加緩和も現実味を帯びて来ます。時同じくしてアメリカではFRBがゼロ金利解除を模索する時期に当たるので、日米の金利差によtっては追加緩和資金は一気にアメリカに流れ、アメリカの金利正常化を後ろから支える事になります。

中央銀行も財務省も世界で連携していますから、ドル防衛が優先されるならば日本の国内景気は犠牲になる事も有り得るでしょう。

同時にドルが不安定になる時期にはユーロ圏もストレスが増大します。前回はギリシャ危機が演出されましたが、今回はウクライナ危機が準備されています。

史上最悪の大統領になりつつあるオバマ・・・オバマの役割

2014-08-15 11:04:00 | 時事/金融危機
 

■ 史上最悪の大統領の座をジミー・カーターから奪いそうなオバマ ■

アメリカ人が選ぶ史上最低の大統領はジミー・カーター氏です。「最低」の理由はイランのアメリカ大使館人質事件で彼が救出作戦に失敗し、人質を解放出来なかったからです。人質は444日ものあいだ監禁され、レーガン大統領就任の日に開放されました。

人質救出作戦の失敗はヘリコプターの故障と、C130輸送機とヘリが接触して墜落し、砂漠で炎上した事によるもので、カーター氏の不手際ではありませんが、その後の弱腰の交渉をアメリカ国民は嫌いました。

不思議な事に、カーター氏は大統領を退いた後、精力的に外航活動を繰り広げ、現在では「史上最強の元大統領」と言われています。

そのカーター氏から「史上最悪の大統領」の座を奪いつつあるのがオバマ氏です。

オバマ氏はブッシュJr大統領が拡大してテロとの戦争に嫌気した米国国民に支持されて、「CHANGE」を合言葉に当選します。オバマ氏の主張したCHANGEとはどの様なものでしょうか?


1) 何でも一国で解決しようとする単独覇権主義からの脱却
2) 福祉や医療保険制度を改革して貧しい人に優しい社会を実現する

折しもリーマンショック直義でアメリカが自信を無くしていた時期だけに、アメリカ国民のみならず世界の人達がオバマ氏の「CHANGE」を熱狂的に支持しました。

実際のオバマ氏はイラクからアメリカ軍を撤退させましたが、その結果イラク国内は混乱に陥り「イスラム国」の台頭を許しています。オバマはイラクを再び空爆するという中途半端な対応に追い込まれました。

リビアやシリアにおいても積極的な介入を避けた為、このらの国は内戦の収束の目途が立たず、中東地域の不安定化の要因となっています。

一方、アフガニスタンへの米軍の派兵は、オバマ大統領が「私の戦争だ」と言って始めたものですが、こちらもタリバーンを駆逐する事なく、撤退に追い込まれつつあります。

■ 戦争から福祉へのチェンジは必要だった ■

アメリカ人は「強いアメリカ」を望む傾向がありますので、オバマ氏の「チェンジ」がアメリカ国民を豊にしたという実感が得られない現在、オバマ氏への指示は急速に低下しています。

しかし、リーマンショック後のアメリカ国内情勢を鑑みるに、オバマ氏の福祉政策は決して悪いものではありません。

アメリカ版の国民皆保険制度は骨抜きにされてしまったので、効果が薄く財政負担ばかりが目立つ様になりましたが、失業者の救済政策で、リーマンショック後の最悪の時期、多くのアメリカの貧困層が救われた事も確かです。

■ 「暴動」が起きなかったのはびとえにオバマが黒人大統領だったから ■

先日、セントルイスで18才の黒人青年が警官に射殺された事を受け、当地では黒人達の暴動が発生し、警官達がガス弾やゴム弾で応戦する事態に発展しています。

http://www.cnn.co.jp/video/13206.html
(CNN)

この様な小規模な暴動はリーマンショック後何回か発生していますが、それが全米に波及する事はありませんでした。アメリカの黒人達は貧しい生活を強いられており、その不満は高まっていますが、それでもオバマの福祉政策によって最低限の生活が維持されているので、暴動は小規模のガス抜き程度で鎮静化します。

大統領が黒人である事も、黒人達の不満を最低限に抑えている一因でしょう。これがヒラリーが大統領だったら、アメリカはどうなっていたか分かりません。

■ オバマの役割 ■

オバマの功績を10年後に振り返った時、オバマの役割が明確になるはずです。

アメリカは世界の警察を止め、普通の大国になっているはずです。その結果、世界は多極化し、いくつかの地域覇権国家と国家連合が拮抗してバランスする状態になっているはずです。

世界が多極化する為には、アメリカの軍事的衰退が必須です。しかし、アメリカ人は伝統的に強いアメリカを望みますから、リーマンショックによって経済が混乱し「戦争をやっている場合では無い」と国民が考える様な状況が用意されたのかも知れません。

■ カーターの役割、オバマの役割 ■

私は陰謀論者ですから、カーター大統領のイラン大使館の人質救出作戦は失敗するべくして失敗したのだと考えています。アメリカが強気に出れなかった事でイランの革命政権は延命し、中東の勢力地図を大きく塗り替えて現在の状況を用意しました。

陰謀論的には砂漠に墜落したC130輸送機は、落ちるべくして落ちたのだと思ってしまいます。

同様にオバマの役割は強いアメリカを弱いアメリカに変える事であり、その間、国内の貧困層に高まる不満を「黒人大統領」というイメージで逸らす役割を彼は担っています。

■ ロシアや中国の台頭を後押しするオバマ ■

ウクライナ問題でも、南沙諸島、西沙諸島、尖閣諸島の問題でも、アメリカは口先だけで、米軍を動かす様な事はしていません。

これによって欧米と中露の対立は深まりますが、一方で中露は反欧米国家である途上国のリーダーになろうかとしています。アメリカは間接的に中露の台頭を後押ししているのです。

現在、ヨーロッパと東アジアに薄らと壁が出来つつあり、何等かの切っ掛けで、この壁は強固なものとなるでしょう。

そしてこの壁は中東地域ではアラビア半島に波及するはずです。サウジアラビアが壁のどちら側になるのかが注目されます。

■ レイムダック状態でもオバマ大統領は戦争を選択しない? ■

二期目の中間選挙を控え、既にオバマ政権のレイムダック状態は決定的となっていますが、オバマ大統領が指導力を回復させる為に、戦争という手段に出る事は無いはずです。この事は、中露に時間的猶予を与えています。

オバマの残された2年の任期中は、世界は曲りなりにも平和が保たれるでしょう。しかし、もしかすると、オバマは任期の最期に戦争を選択し、全ての泥を被る事になるかも知れません。それがオバマが担う役割なのかも知れません。

夜道で思わぬ拾い物

2014-08-14 10:58:00 | エコロジー
 



昨夜、家の前まで帰って来たら、よく見かける黒ネコがじっと何かを窺っています。ネコ同士の喧嘩かなと思い近付くと、普段なら脱兎の如く逃げて行く黒猫が、2m程度離れた所から私の方を恨めしそうに見ています・・・。

変だなと思い足元を見ると、カエルが一匹。珍しいなと思いながら良く見ると、何とコウモリが道路の上に転がっています。

猫がコウモリを捕まえる事なんてあるのかな?と思いながら突いてみると、何と生きています。外傷も無いようです。

自然の摂理に任せて猫の餌食にするか迷いましたが、猫は野生動物では無いので自然の摂理の範疇外と考えて、保護する事に。ここら辺は、野鳥の会が定める「巣立ちヒナ」の保護の定義に従います。蛇は「自然」で、猫や犬や側溝は「非自然」。



身近なコウモリと言えども素手で触る事は危険です。どんなウィルスを持っているか分かりませんし、危機を感じれば噛みつく事もあります。そこで、買い物のビニール袋で捕獲。その際にギイギイと鳴き声を上げて抵抗しました。てっきり超音波攻撃を受けると思ったので(ギャオスじゃないんだから・・・)これは意外でした。

ハムスターを少し小さくして、耳を付けて羽を付けた様な姿をしています。毛並はモグラの様です。毛が生えそろっているので、幼獣だとしても巣立った後でしょう。

ネットで調べると、コウモリは野生生物なので、飼育は認められていませんが、保護飼育の場合は30日まで認められています。ただ、コウモリは生きた昆虫の餌しか食べないのでエサの点から飼育が難しい。ペットの爬虫類の餌になる甲虫の幼虫(ミルワーム)などを食べさせるそうですが、これが結構高い。

とりあえず、綿棒に水を湿らせて口元に持って行くと、ぺろぺろと舐めます。喉が渇いていた様です。捕まえた時は少し抵抗しましたが、その後は基本的にじっとして動きません。コウモリにとって猫の後に人間に捕まったので、相当なストレスを感じているはずです。

どうやらコウモリは水平な所からは飛び立てないようなので、段ボール箱の内部にキッチンペーパーを敷いて、垂直に立ててベランダに置いて置く事にしました。元気なら飛んで行くでよう。


翌朝、段ボール箱を確認すると、頭を下にしてじっと動きません。綿棒で水をあげると、眠いのかイヤそうなそぶりをして、尿を少ししました。その後は水もあまり飲まずにじっとしています。昼間は眠いのでしょう。



一応、体長を図ってみます。頭からシッポの先まで6cm程度です。
よく観察すると体表にはダニが沢山居ます。野生動物ですから当然です。

家内も昨晩は「早くベランダに出して!!」って言っていた割には、朝起きると同時にベランダに出てコウモリの様子を確認しています。「おはよう」なんて話しかけたりしています。

だいぶ衰弱している様なので、このまま飼育しても直ぐに死んでしまうでしょう。近くの行徳の野鳥病院に持ち込もうかとも思いましたが、コウモリは哺乳類なので・・・。

我が家で死ぬと祟りそうなので、昨晩保護した近くの樹木の幹に捕まらせておく事にします。体力が回復すれば飛んで行くでしょうし、衰弱が酷ければ直ぐに死んでしまうでしょう。

本来、昨晩、黒ネコに食われるか、マンションの住人に踏まれる運命だったので、無理に生かす必要はありません。これも自然の摂理。

1時間くらいして見にゆくと居なくなっていました。え!!飛んでった??
視線を落とすと、何と幹から落ちて下枝の上で伸びていました・・・。どうやら幹につかまっている体力も無いようです。

ちょっとかわいそうですが・・・・自然の成り行きに任せる事にします。


・・・・

そんなこんなで、コウモリを観察していると、近くからけたたましい蝉の鳴き声が聞こえ始めました。

シェーンシェンシェンシェン・・・・

これ、クマゼミの鳴き声です。鳴き声を頼りに探してみると、近くのアパートの壁にミンミンゼミより一回り大きな蝉が止っています。やはりクマゼミです。

本来、神奈川が北限の蝉ですが、温暖化の影響か、あるいは移植された樹木の根の周りに幼虫が付いていたのか、浦安で見たのは初めてです。

温暖化でクマゼミの生息北限は北上していますので、とうとう浦安も生息域に入って来たのかも知れません。尤も、都心の温暖化の主要因はビートアイランド現象です。


樹木の少ない埋め立て地の浦安ですが、生き物たちは環境に順応しながら生き抜いているよです。