クアトロの父の子供時代。
夏休みになると少年野球の練習が始まる。
クアトロの父は柏銀座通り商店街のチームだ。
銀座育ちのクアトロの父だ。
しかし、このチームは弱かった。
チームの監督は、材木屋の息子。
ヘッドコーチは床屋の息子。
チームメイトは八百屋の息子に家具屋の息子に雑貨屋の息子などだ。
応援には、酒屋の娘がよく冷えた甘い麦茶をやかんに入れて持ってくる。
柏二中のグラウンドで早朝に練習する。
昼になると暑すぎるからだ。
練習が終わると、コカ・コーラのホームサイズを飲む。
これを一気飲みすると、チームの信頼が得られるというものだ。
さらに、かき氷屋で氷を食べる。
もちろん、冷房などの無い時代だ。
今で云う、オープンテラスで食べる。
長椅子に腰掛け、かき氷を注文する。
当時の選択肢は、水(スイ)、イチゴ、メロン、ミルクといったところだ。
アズキもブルーハワイももう少し後から出てきたハイカラなかき氷だ。
クアトロの父は水が好きだった。
水とは砂糖水のかき氷である。
器はお椀型で足が付いたものが定番である。
野球で汚れた手も気にせずにかき氷を上から両手で固める。
丸くなったものを一気にクルリと回して上下逆さにする。
かき氷のシロップは器の下にたまっているから、こうすることにより、かき氷を美味しく食べられるのである。
生活の知恵と云う物だろう。
このクルリが上手に出来るとやはりチームの信頼を得られるのだった。
そんなことを思い出しながら、ハイカラな現代のかき氷の水を食べたクアトロの父。
グルリは出来ないので、真ん中を掘り出し、そこに添えられてきた練乳を注ぐ食べ方を開発してみた。
生活の知恵と云う物だろうか。
しかし、家族の信頼は得られなかった。