◎ジョン・カークパトリック(P)(COLUMBIA)STEREO
クラシックなんか全く聴かなかった頃(弾きはしたけど)ふと耳をついて離れなくなった音楽、それがアイヴズの「答えのない質問」(但し冨田勲版)だった。宇宙的な不可思議な響きはニューエイジ系の響きによくあっていた。その後小澤のシンフォニー4番によってこのマーラーの同時代者にして孤高の前衛作曲家に開眼することになるのだが、アイヴズの特徴はカオスとか前衛手法とか細かくはいろいろ言われているけど、ほんとうのところ「静寂とノリのコントラスト」の凄みにあると思う。静寂については言うまでもあるまい、ドビュッシー(アイヴズはドビュッシーを相対的には評価していた)の旋律構造との近似性を指摘される極めて美しいメロディのかけらのさりげない感傷をも呑み込んだ、静かな不協和音の広がりの中に微細な変化をきたす音楽(じっさい印象派と言っても過言ではない抽象的な小品も多い)、特に金属的音響の静かな扱いにおいて極めてすぐれており、サウンドスケープ作家としてまずは素晴らしいものがある。ここはヘンクなどが得意とする世界なのだが、一方「ノリ」については余り言われない、というかどうしても「現代作品のように」分析的に演奏されることが多いので、ほんらいあるべきと思われる「全ての楽器が勝手に鳴ってごちゃごちゃになりながらも濁流のように突き進む力」をもった姿とかけ離れた「数学的側面」ばかりが強調され、違和感を覚えさせることも多い。時にはそういうアプローチがゆえに曲自体「構造的に」弱いと思わせてしまう。だがアイヴズの構造の概念は最初からポストモダン的というか、部分部分の構造は視野にないものだ。無造作な集積物に対する「大掛かりでざっぱくな構造」こそがアイヴズの「構造」であり、そのまとまりのなさを如何にまとまりないままに、しかしどこかへ向かって強引に突き進んでいるように「感じさせるか(分析させるかではない)」が肝なのだ。
コンコード・ソナタは今ではかなり取り上げる人も多い。アイヴズの作品には極めてクリティカルな版問題がつきものだが、本人も繰り返し述べているように「好きなように弾けばいい」のであり、この演奏が出版2版と異なっているといっても、ここにはジョン・カークパトリックというアイヴズの使徒が、決して下手ではない素晴らしい勢いのある押せ押せの演奏ぶりで「自分なりの真実を抉り取っている」さまがある、それだけが重要なのである。「この小節はスウィングできるなら何度でも繰り返せ」・・・例えばこういった譜面指示にアイヴズの本質は端的に現れている。「ノリ」なのだ。「民衆それぞれが自分のためだけの交響楽を作曲し奏で生活に役立てることができる」世界を理想とし、作曲家はその素材提供をするにすぎない、いかにもアメリカ的な哲学のうえでこの作風が成り立っていることを理解しておかないと、変な誤解を与える退屈な演奏を紡ぎ出しかねない。民衆は時には静寂を求めるが、たいていはノリを求める。
話がそれてしまったが、今は亡きジョン・カークパトリックは1940年代後半にもコロンビアにモノラル録音(全曲初録音)をしている(楽章抜粋を同時期の少し前にやはりコロンビアに録音している)。ステレオ録音LPのジャケット裏にかかれているとおりアイヴズと密に連絡をとり、意図と「意図しない」ところを常に認識しつつ、この独自の校訂版を作り上げた(有名なフルートやヴィオラも挿入されない)。そのため原典版と呼ばれる譜面に基づく録音が後発されることにもなった。演奏スタイルは繰り返しになるがかなり前進的なもので思索的雰囲気よりも「ノリ」を重視している。ペダルを余り使わず残響を抑えているのが好例だ。ラグなどの表現では特に場末のアップライトピアノでガンガン弾いているような面白さがあり、特に卑俗な旋律断片が奔流のように次々と流れるところはダントツに面白い。構造的に弾いてしまうとアイヴズ特有の「つじつまのあわない」クセが目立ってしまい、途中でめんどくさくなってしまうか飽きてしまうものなのだが(その点1番の緊密さは素晴らしい)、この演奏(版)はとにかく「飽きない」。面白い。
アイヴズ協会が動き出したあとの現代、この譜面がどうなっているのかピアノを弾かない私はよく知らないが(奏者ごとに当然いじるのだろうが)、昔は交響曲でもジョン・カークパトリック(ラルフじゃない)の筆写編纂版が使われていたくらいで、アイヴズ自身もこの人の演奏を聞きアドバイスをしているくらいだから、もし違和感を感じた、あるいは譜面との相違点が気になったのなら、「こちらの演奏のほうが本来の姿」だと思うべきだろう。CD化は寡聞にして聞かないが、最近やや低調気味な人気の中、新録を沢山出すのも結構だけれども、この「アイヴズの権威」の演奏を復刻しない手はないと思うのだが。旧録然り。ノリという点でも内容の濃さ(変に旋律に拘泥せず全体の流れで曲を押し通している)という点でも、◎。この版、純粋に音楽的に、バランスいいなあ。「運命の主題」を軽く流しているのもいい。ここに重きを置くとキッチュになりすぎる。
この曲はアイヴズ出版作品の通例としていくつかの原曲素材の「寄せ集め」で編纂されたものだ。その部分部分については自作自演もあり、これは一度CDになったようである。
※2006-03-23 18:18:23の記事です
クラシックなんか全く聴かなかった頃(弾きはしたけど)ふと耳をついて離れなくなった音楽、それがアイヴズの「答えのない質問」(但し冨田勲版)だった。宇宙的な不可思議な響きはニューエイジ系の響きによくあっていた。その後小澤のシンフォニー4番によってこのマーラーの同時代者にして孤高の前衛作曲家に開眼することになるのだが、アイヴズの特徴はカオスとか前衛手法とか細かくはいろいろ言われているけど、ほんとうのところ「静寂とノリのコントラスト」の凄みにあると思う。静寂については言うまでもあるまい、ドビュッシー(アイヴズはドビュッシーを相対的には評価していた)の旋律構造との近似性を指摘される極めて美しいメロディのかけらのさりげない感傷をも呑み込んだ、静かな不協和音の広がりの中に微細な変化をきたす音楽(じっさい印象派と言っても過言ではない抽象的な小品も多い)、特に金属的音響の静かな扱いにおいて極めてすぐれており、サウンドスケープ作家としてまずは素晴らしいものがある。ここはヘンクなどが得意とする世界なのだが、一方「ノリ」については余り言われない、というかどうしても「現代作品のように」分析的に演奏されることが多いので、ほんらいあるべきと思われる「全ての楽器が勝手に鳴ってごちゃごちゃになりながらも濁流のように突き進む力」をもった姿とかけ離れた「数学的側面」ばかりが強調され、違和感を覚えさせることも多い。時にはそういうアプローチがゆえに曲自体「構造的に」弱いと思わせてしまう。だがアイヴズの構造の概念は最初からポストモダン的というか、部分部分の構造は視野にないものだ。無造作な集積物に対する「大掛かりでざっぱくな構造」こそがアイヴズの「構造」であり、そのまとまりのなさを如何にまとまりないままに、しかしどこかへ向かって強引に突き進んでいるように「感じさせるか(分析させるかではない)」が肝なのだ。
コンコード・ソナタは今ではかなり取り上げる人も多い。アイヴズの作品には極めてクリティカルな版問題がつきものだが、本人も繰り返し述べているように「好きなように弾けばいい」のであり、この演奏が出版2版と異なっているといっても、ここにはジョン・カークパトリックというアイヴズの使徒が、決して下手ではない素晴らしい勢いのある押せ押せの演奏ぶりで「自分なりの真実を抉り取っている」さまがある、それだけが重要なのである。「この小節はスウィングできるなら何度でも繰り返せ」・・・例えばこういった譜面指示にアイヴズの本質は端的に現れている。「ノリ」なのだ。「民衆それぞれが自分のためだけの交響楽を作曲し奏で生活に役立てることができる」世界を理想とし、作曲家はその素材提供をするにすぎない、いかにもアメリカ的な哲学のうえでこの作風が成り立っていることを理解しておかないと、変な誤解を与える退屈な演奏を紡ぎ出しかねない。民衆は時には静寂を求めるが、たいていはノリを求める。
話がそれてしまったが、今は亡きジョン・カークパトリックは1940年代後半にもコロンビアにモノラル録音(全曲初録音)をしている(楽章抜粋を同時期の少し前にやはりコロンビアに録音している)。ステレオ録音LPのジャケット裏にかかれているとおりアイヴズと密に連絡をとり、意図と「意図しない」ところを常に認識しつつ、この独自の校訂版を作り上げた(有名なフルートやヴィオラも挿入されない)。そのため原典版と呼ばれる譜面に基づく録音が後発されることにもなった。演奏スタイルは繰り返しになるがかなり前進的なもので思索的雰囲気よりも「ノリ」を重視している。ペダルを余り使わず残響を抑えているのが好例だ。ラグなどの表現では特に場末のアップライトピアノでガンガン弾いているような面白さがあり、特に卑俗な旋律断片が奔流のように次々と流れるところはダントツに面白い。構造的に弾いてしまうとアイヴズ特有の「つじつまのあわない」クセが目立ってしまい、途中でめんどくさくなってしまうか飽きてしまうものなのだが(その点1番の緊密さは素晴らしい)、この演奏(版)はとにかく「飽きない」。面白い。
アイヴズ協会が動き出したあとの現代、この譜面がどうなっているのかピアノを弾かない私はよく知らないが(奏者ごとに当然いじるのだろうが)、昔は交響曲でもジョン・カークパトリック(ラルフじゃない)の筆写編纂版が使われていたくらいで、アイヴズ自身もこの人の演奏を聞きアドバイスをしているくらいだから、もし違和感を感じた、あるいは譜面との相違点が気になったのなら、「こちらの演奏のほうが本来の姿」だと思うべきだろう。CD化は寡聞にして聞かないが、最近やや低調気味な人気の中、新録を沢山出すのも結構だけれども、この「アイヴズの権威」の演奏を復刻しない手はないと思うのだが。旧録然り。ノリという点でも内容の濃さ(変に旋律に拘泥せず全体の流れで曲を押し通している)という点でも、◎。この版、純粋に音楽的に、バランスいいなあ。「運命の主題」を軽く流しているのもいい。ここに重きを置くとキッチュになりすぎる。
この曲はアイヴズ出版作品の通例としていくつかの原曲素材の「寄せ集め」で編纂されたものだ。その部分部分については自作自演もあり、これは一度CDになったようである。
※2006-03-23 18:18:23の記事です