つれづれなるままに 124 北村温泉と石川啄木

2006-09-25 14:25:36 | 雑記
老人クラブと言う名は、老人らしくていや?とわがクラブは”ふじクラブ”北村温泉一泊、昨夜はつい浮かれ、楽しく酒を飲むことが出来ました。温泉も源泉100%、効能も100%清潔感あふれる良き温泉でした。
この北村温泉、「北」村と言う村名、わが国最初の平坦地牧場「北村牧場」明治27年頃、試験的に牛を飼育し始めたそうです。この北村牧場に嫁いできた、橘知恵、明治40年6月から函館の小学校で教鞭を、その5月石川啄木も函館へ6月1日から同じ小学校に代用教員として勤務しました。啄木は知恵に強く心ひかれ

”石狩の都の外の 君が家 林檎の花の散りてあらむ”
”かの時に言いそびえたる 大切な言葉は今も 胸にのこれど”

啄木は知恵の事を 「直立たてる鹿子百合」にたとえ、処女詩集「一握の砂」の「忘れがたき人」の中に知恵に寄せる歌22首もありますが、啄木の片思いだったようです。その後、啄木は、東京へ、肺を患い、苦しい生活、知恵はこの「北村牧場」に嫁ぎました。知恵は病の啄木に、当時高価なバターを送っています。「悲しき玩具」の中で、知恵の優しい心遣いに感謝の心を込めて歌を作っています。

”石狩の空知郡の 牧場のお嫁さんより送り来し ばたかな”

啄木は明治45年27歳の若さでこの世を去っていますが、知恵さんも6人の子供に恵まれましたが、33歳の若さでこの世を去っています。こんな心温まるエピソードがあったのですね。
この歌碑が「啄木恋物語」として北村温泉、森の中に立っていました。是非一度お尋ねください。温泉共々。