日本人の主食お米、約6000年以前に中国揚子江の下流域で始まったとされる水田作は、2800~3000年前には日本に伝えられ、その後全国各地に広まったとされています。北海道では最も古い記録には、1685年渡島国文月村(大野町)で稲作を試み、その後道南を中心に水田が作られたと言われています。しかし札幌など道央圏は気象が厳しく稲作には不向きとされていました。
しかし明治に入り米作りの名人、中山久蔵が明治9年道南で栽培されている地米「赤毛」と「白髪」を持ち寄り、10aの水田を造り栽培、品種改良の末「石狩赤毛」が試作に成功、全道各地に水田面積が拡大したと言われます。
その後、30年にわたる良食味良育種によって優良品種、「きらら397」の道産米が、全国平均に達したと言われます。平成8年には「ほしのゆめ」が誕生「きらら397」より美味しく、「ササニシキ」や「コシヒカリ」に優る成績を得るようになりました。
さらに平成13年には「ななつぼし」「おぼろづき」、つい最近平成20年には「ゆめぴかり」と食味の良い道産米が誕生したと言われます。
地球温暖化現象により本州の米どころは高温障害により出荷率が低下するなど農業被害が発生しています。北海道も気温が2度上がる事に、いままで稲作が不向きな不毛の土地にも稲作ができるようになり、温暖化する環境への対応策も必要になってきました。
開拓時代の「赤毛」から「ゆめぴりか」に至る北海道の稲作の歩んできた歴史を勉強しました。
当たり前のようにして食べている、この美味しいお米も、これらの優良品種改良に携わっているプロジェクトの方々の努力なのだと感謝し、改めて噛み締めて食べる事にします。