報道関係は朝から新幹線ムード、嘗ての青函連絡船に別れを告げ青函トンネルの開業にも驚きました。実家仙台、行き来は連絡船、冬の帰郷は海が荒れほとんど酔いで起き上がることもできず、夏は子どもたちとデッキで楽しみ・・連絡船を降り長い桟橋を駆け足で・・何年続いただろうか。青函連絡船が終了して1988年、トンネルが開通したものの、余り利用することなく、飛行機での里帰りが多くなりました。
この青函トンネルの思い出も多く…トンネル着工となった洞爺丸台風青函連絡船5隻遭難したとき、父は関係者として出向していました。主人の実家は福島町・・亡くなった主人の妹がトンエル記念館に勤務・・建設工事中は人口も増えトンエル工事関係者で町もにぎやかだったことが思い出されます。
計画から43年長い道のり、しかし今は函館まで・・これが札幌まで来るには後15年の歳月が必要だそうです。もう90歳の声が聞こえる年齢・・どうでしょうか、乗れますかね。
その前に東北まで行ってみますか・・少し落ち着いたらキップも手に入るでしょうから。東京と新函館北斗4時間2分…今年の4姉妹旅行・・・鳴門まで新幹線を乗り継いで行ってみますか。
前に名古屋から東京まで乗りましたが・早くて富士山もアッという間に通り越して・・弁当もビールも食べ飲む時間もありませんでした。
本当は在来線を乗り継いで稚内からか鹿児島まで旅はのんびりと・・希望ですが。
2~3年前に買ったお弁当・・筆箱にして今日の記念にパチリと・・・。