つれづれなるままに    2713      長崎観光

2019-03-20 16:30:59 | 旅行

小学校卒業式に参列しました。この所子どもたちの衣装が派手になっていくとの報道でしたが、女子は19人中15人が袴姿・・・編み上げブーツや、ぞうり・・先生が霞んで見えました。

昨日の続きです。どこまで行っても120円の電車チン、長崎の交通手段は電車とか、縦横無尽に走っています。そのかわり電停と電停の距離が近く、乗った電車から次の電停が見える、歩いても同じかなと。

まず中華街に電車で、皿うどん、長崎ちゃんぽん、春巻 皿うどんの麺は細く春雨の様な麺で札幌で食べる麺とは一味違っていました。

ネットで調べた中華のお店は閉店、隣も閉店、中華街の宣伝はしていますが余り観光客来ないのでしょうか。横浜の様な中華街を想像していきましたがこじんまりとした中華街でした。

電車で大浦天主堂、日本に現存するキリスト教建築物としては最古の建物で世界文化遺産でもあります。

1945年8月9日の原爆投下では、屋根や正面大門扉、ステンドグラスその他の部分に甚大な被害を受けました。国庫の補助を受け修復工事が行われ、1952年6月30日、5ヶ年の歳月を費やして工事は完了しました。

歩いて旧クラバー住宅、これも世界遺産ですが工事中庭を一回り

グラバー園から眺める長崎港、大型客船(クァンタム・オブ・ザ・シーズ)日本の旗やイタリアの旗がなびいて、

大型船クルーズ船、一度は乗ってみたいですね。オカリナ相棒今地中海クルーズ船11日間、旅行中です。

三浦 環・プッチーニ像、3度目殆ど様変わり、ここだけは昔のままでした。

長崎原爆資料館

 

長崎平和公園は、原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って造られた公園です。 公園中央に立つブロンズ像は高さ9.7m、重さ30t 。天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を願っています。

長崎の出島は江戸時代の鎖国政策の中で外国との貿易を許された唯一の場所。昭和26年に復元されました。

着物姿で観光客

1945年8月に原爆が投下されてから74年。その年末までに、広島で14万人、長崎で7 万人以上が亡くなったといわれます。なぜ広島と長崎に落とされたのか、街や人びとはどうなったのか。広島を訪れ、長崎の原爆のことも知りたくて資料館を訪れました。若者も多数訪れていましたが、その中でも外国の方が熱心に・・・・改めて平和を願いながら・・・戻ってきました。