昨日の地域貢献功労賞名簿提出の中で、ヨリさんとの係りを思い出しました。昭和58年4月、初めて町内会の女性部長として出席した会議の中にもうすでにヨリさんは隣の町内会の女性部長として頭角を現していました。そんな中で2年間、意気投合、新しく町連で福祉部結成、いつの間にか部長、副部長の関係に・・それが始まり、一回り年が違いますが、0型、性格も同じ、それが一昨年亡くなるまで、それこそ35~36年間、親子であり、同志であり良き友だったような気がします。国内ばかりではなく、海外旅行も一緒でした。
今日はヨサコイ最終日、私もヨリさんも7年間 踊子として町を練り歩きました。その当時ヨリさんは70歳、わがチームの最高年齢者と言うことで、NHK放送局に呼ばれ二人で生出演、相変わらずヨリさんしゃべる、しゃべる、終わって・・私の話す時間なかったでしょと・・・一括。
手の効く方で、ヨサコイの小道具、大人の半纏を子ども用に作り替えたりと、全て手づくり、ヨサコイには無くてはならない存在でした。
ヨリさんはここが地元、生まれも、育ちもこの地、開拓魂とでも言うのでしょうか、強い方でした。「開拓100年史」にも名を連ね25周年には表彰されています。
その後はヨリさんの娘クンちゃんが私の面倒を見てくれることになっていますが、なにせ海外住まい・・中々ね。 頼むよ。