つれづれなるままに  537  YOSAKOI ソーラン

2008-06-09 11:24:50 | 雑記
今年の初夏を彩るYOSAKOIソーランは昨日で終りました。
7月に北海道洞爺湖サミットが開催される事もあり、YOSAKOIソーランにたくさん国からのチームが参加、ケニアの伝統楽器「ニャティティ」で踊るアフリカソーラン、アメリカ、ブラジル、ニュージーランド在住の日本人を中心に結成されたサザンスターズ、台湾からと、YOSAKOIも国際色豊かになりました。

私達のチームは残念ながら5年前、7回にして幕を閉じました。人員の減少、踊り子の高齢化といろいろありましたが良き思い出になっています。
今回は学生チームの多さに驚き、その迫力には圧倒されました。
大通公園ステージで踊るだけでもいい・・・と自己満足で踊っていましたが、昨日のファイナルステージの11チーム、余りのすばらしさにシューやミュジカルをみているようで、4000円のチケット桟敷席、十分に堪能できました。

しかし私達が踊っていた時代からはどんどん変わりつつあります。今回330チームとチーム数も減少していますし、これからは余りお金をかけずに、余り華美にならずに、誰でも参加出来るYOSAKOUソーラン、初心に戻るべきなのではないかと思いました。
「優勝を目標としているチーム」と「楽しく踊ろう」のチームのギャップがありすぎるような気がしました。踊り子のみならず、それを求める観客も責任はあるのでしょうが。

つれづれなるままに  534  鳴門渦潮 ・大塚美術館

2008-06-05 09:36:00 | 旅行

鳴門と言えば「鳴門の渦潮」 前、来た時は、遠くから眺めましたが、今回は真下。

鳴門大橋遊歩道、渦の道があります。大塚美術館の中を通り歩く事、山坂を超え10分程、渦の道に到着、海面から45m、ガラスの床の下は渦潮、スリル満点でした。

 

 

鳴門海峡は鳴門側と淡路島に挟まれた海峡幅1,340mの狭い海峡で激しい潮流のあるところで、その大きさは直径20m、世界でも最大級と言われています。

 

 

 

大塚美術館

大塚製薬グループ創立75周年を記念して徳島県鳴門市に建てられました。

この美術館は「陶板名画美術館]、古代壁画から世界25ヶ所190点の美術館が所有する名画を大塚オーミ陶業の特殊技術により、オリジナル作品と同じ大きさで複製されています。環境汚染、災害にも強く2000年以上そのままの色、姿で残るので文化財の記録保存に貢献するもので、日本に居ながらにして世界の名画を鑑賞できる美術館でありこの技術は世界唯一のものだそうです。

 

 

 

 

 

鳴門渦潮、大塚美術館と見学、鳴門大橋~淡路島~明石海峡大橋と神戸淡路鳴門自動車道を通り、世界遺産国宝姫路城見学

 

 

 

神戸は2度目、今回も北野町、オランダ館、風見鶏、うろこ館と 最後には由緒ある「にしむら」にてコーヒタイム2泊3日[第九」の旅は無事終りました。

 

   

 

 

 

ダニーちゃん


つれづれなるままに  533 鳴門[第九]コンサートを終え Ⅰ

2008-06-04 18:26:08 | 旅行

   

      アジア初演90周年記念コンサート・明石淡路鳴全通10周年記念

 

 

1918年6月1日現在の鳴門市において初めて[第九]が歌われました。今回はそれを記念してのコンサート、ロシア、サンクトペテルブルグ音楽院留学、ロシアで活躍、昨年まで、チャイコフスキー記念財団ロシア交響楽団首席指揮者の西村智実さん、管弦楽、わが国を代表する東京交響楽団、合唱団員は、鳴門を初め全国から480名の合唱団員が集まりました。

わが合唱団から53名参加、当日は[第九]一色、会場は超満員、お客さまと団員、オーケストラが一体となり、会場は全ての人がたち上がり、ステンベィングオペーション何時までも拍手が鳴り止まみませんでした。「文化県とくしま]本当に「第九」を満喫されているのだと改めて感じました。

 

演奏会前の西村智実さんの合唱指導です。この後、ゲネプロオーケストラによる練習、本番に備えました。西村智実さん素敵な女性でした。

  

 

 

映画「バルトの楽園」見た方も多いと思いますが、初演の舞台となった坂東俘虜収容所、第一次世界大戦、日本も参戦敗れたドイツ兵約5000人が俘虜となり日本各地に送られました、そのうち四国、徳島、丸亀、松山にいた1000人が坂東俘虜収容所で3年間、その間、地域の人々は彼らからいろいろな事を学びました。

牧畜、製菓、建築、音楽、スポーツと収容所のなかでは俘虜達の活動は多彩で音楽面では、オーケストラや楽団、定期演奏会と、その中でも特にベートーベンの交響楽「第九」が始めて演奏されました。当時のドイツ兵の交流や暮らしを、このドイツ館で見ることが出来ます。1回目からの合唱団員の写真も飾られ、2回目、3回目参加の皆さん、自分の顔を探し当て懐かしんでいました。私もまた来ることが出来ればと思いながら・・・・。

 

          

      

      

 

日本で命を落とされたドイツ兵の慰霊塔があります。合唱の前日、鳴門市長、鹿児島合唱団、札幌と顕花を行い、全員で[第九」を披露しました。翌日、徳島新聞にそのことが記載されていました。収容所の後地は公園になっていますが、いずれ復元されるそうです。その時にでもまた訪れることが出来ればと思いながら帰ってきました。

  

    

 

                  

       

 

 

夜、鹿児島市民[第九]を歌う会の皆さんと交流会を持ちました。

「第九」はドイツ語で歌うものだと思っていましたが、日本人、日本語で歌ってもいいのではないかと、鹿児島の合唱団員、鶴本さんが私に「第九」の日本語訳の詩をくだしました。ご披露しておきたいと思います。

 

   いざみな歌えや 喜びこそは     尊きたまもの 神のみ恵

   奇しき力に もろびと総て       再び結ばれ むつみてゆかん

 

   友どちつどいて喜び歌い       互いに手をとり 高きに登れ

   苦しみ恐れず 誓いは固く      み空の星までとどかじやまじ

             

                                 かごしま第九を歌う会   鶴本総平