りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

りきるアーカイブス〈3〉/エミリー

2011-05-20 | Weblog
イラストにしろ、小説にしろ、自分が創った作品って、子どものようなものなんですね。
自分の分身のようで、どれも可愛く、愛おしい。
それでも、もし「自分が書いた小説の中でどの作品が最も愛着があるか?」と尋ねられたら、
僕は10秒くらい考えて抜いて、この作品を挙げると思います。

「エミリー」は、そんな小説です。

舞台は、1989年の夏。
地方都市の真夜中のコンビニエンスストア。
主人公は20歳の男。

まぎれもなく、僕自身がモデルです。

一応、大学生でしたけど、当時はバブルの絶頂期で、一人暮らしで、学校にも行かず、毎日遊び
ほうけていて、41年間の人生で最も怠惰な生活を過ごしていた時でした(笑)
当時、僕は本当に真夜中のコンビニでアルバイトをしていて、色んな人たちが客として店に訪れて
来ていたんです。
酔っぱらったサラリーマン、くたびれたOL、粗暴の悪いヤンキー、受験勉強で頭がいっぱいの
高校生、酒臭いホステス、テレビで視たことがあるローカルタレント、ヤクザ・・・。
今思い返せば、あのコンビニで出逢った客たちは、まだ世間というものをほとんど知らなかった
僕に、様々な人間ドラマの断片を見せてくれた貴重な人々だったような気がします。

そんな中に、異国の女性たちがいました。

当時、“じゃぱゆきさん”と呼ばれていた、東南アジアから出稼ぎに来た女性たちです。
今の時代とは違って、当時の彼女たちの働き場所は、夜の店が定番でした。
深夜・・・というよりも、もう朝が近いような時間帯に、店の若い衆が運転するオンボロワゴンに
乗って店からアパートへ帰る途中、必ず僕がアルバイトをしているコンビニへ彼女たちは
寄ってたんです。

物語では、一人でコンビニへ訪れる設定にしていますが、実際は、集団で立ち寄るんです。
それがもう、うるさいのなんのって・・・(苦笑)
酒臭いわ、化粧の匂いはキツいわ、下品な笑い方はするわ、日本語は通じないわ、正直な気持ちを
吐露すれば、彼女たちには、もうホントに辟易していたんです。

で、その気持ちを、ある日いっしょに働いていた先輩に話したんですね。他愛もない雑談の中で。
すると、その先輩が遠くを見るようなまなざしで、僕に向かってこう言ったんです。

「でもな、あの娘たちも真剣なんだぞ、知らない国の知らない土地に無理矢理連れてこられて、
そんな場所で一心不乱に働いて、それで稼いだなけなしの金を故郷に送って・・・彼女たちも
ギリギリのところで生きているんだ、そりゃあ、仕事が終わったわずかな時間くらいガス抜き
しなきゃ、やってられないぞ」

胸に突き刺さりましたね。
それと同時に、彼女たちに比べて、目標も目的も指針も何もない、あまりにも怠惰な日常を
過ごしている自分を恥ずかしく思ったことを今でも強烈に憶えています。

その頃から、彼女たちを題材にした物語を書きたい、とおぼろげに思っていた記憶があります。
しかし、そのためにはあまりにも当時の僕には、ストックしていたボキャブラリーが少なすぎた。
結局、書きはじめたのは、30代後半になってからでした。
彼女たちに追いつき小説として表現するためには、それだけの時間や経験の落差と距離が僕と
彼女たちの間にはあったのかもしれません。
でも書きはじめたら、あっという間に第一稿があがりました。
たぶん、2週間もかからなかったんじゃないかな?
不思議なもので、物語を綴り出すと、登場人物たちが勝手に物語の中で動き始めるんです。
そして、自然に、本当に自然にラストまでたどり着いて行った。
書いてて気持ちがよかったですね(笑)

暗くて切なくなるようなシーンもありますが、全体を俯瞰してみると、この小説は一貫として
揺れる心と純真な気持ちが描かれた、淡くて蒼い青春小説だと思います。
だから表紙の装丁も、そんなイメージのデザインにしました。

見方を変えると、この小説は、僕の処女作である「コカ・コーラ!」の続編かも知れない、と
思うことがあります。
「コカ・コーラ!」の主人公だった14歳のショウちゃんの、20歳の時のひと夏の物語。
奇しくも、双方ともひと夏の物語だけど、6年分、主人公は成長しているようなしていないような・・・。
相変わらず、自問して勝手に哲学しているところは変わってないかも(笑)

ちなみに、この小説は、広島県福山市の外郭団体・福山文化連盟が主催する「第34回ふくやま文学選奨 」
に応募して、短編小説部門で佳作を受賞しました。
後日、紹介する「中古家族」に続いて2年連続での佳作受賞だったんですが、落選した人には申し訳ないけど、
もう悔しくて悔しくて悔しくて・・・。
“なんでなんだ!?、中山芽集子先生(選者)のバカヤロー!”って(笑)
そんな感じだったから、昨年は“ちくしょう、仏の顔も3度までだぞ!”と、もうほとんど意地の塊になって
新しい小説を執筆して、なんとか今年、晴れて“3度目の正直”で、最優秀賞を受賞しました。
そんな、アマチュアながらも、僕の作家魂に火を付けるきっかけになった作品でもありますね。

余談ですが、この小説の執筆中、僕の頭の中ではシネイド・オコナーの「Nothing Compares 2 U」が流れて
いました。
ちょうどこの物語の舞台となっている時代にヒットしていたバラードです。
実際に、コンビニの有線からもよく流れてきてましたね。彼女のちょっとハスキーなボイスと賛美歌のような
美しいメロディが、真夜中のひとりぼっちのコンビニによく似合うんですよ。
勝手ながら、あの歌はこの小説のテーマ曲だと決めています(笑)

あと、もうひとつ・・・。
この小説を執筆中、僕はずっと登場人物のエミリーに恋をしていました(笑)
“なんて可愛い女の子なんだ”って(笑)
もしも、もしも、もしも、この小説が映画になるのならば、その時はエミリーは、絶対に宮崎あおいさんに
演じてもらいたいなぁ。
この小説を書いた作者としては、エミリーを演じられるのは、彼女しか思い浮かばない。

●「エミリー」の電子書籍サイト→http://rikiru.wook.jp/detail.html?id=208181
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りきるアーカイブス〈2〉/ホーム・スウィート・ホーム

2011-05-19 | Weblog
僕が電子書籍にアップロードしている小説は、すべて短編小説だけなんです。

それは、まだ電子書籍自体が今は黎明期だし、ダウンロードして購読してくださった
方々も、パソコンやスマートフォンやipadでガッツリ読む・・・というよりも、
おそらく時間つぶし程度の感覚なんじゃないか、と思ったから。
それに僕自身、まだ長編小説を書くだけの力がないしね(笑)

この「ホーム・スウィート・ホーム」は、そんな僕の短編小説の中でも、最も短い作品
ではないかと思います。
短編小説を2本だけを収めた作品です。

コンセプトは、「家族」ですね。

それも特別な家族ではなく、どこにでもあるような普通の30代~40代・・・ちょうど
僕の年齢(41歳)くらいの男女が営む家族の日常の断片を切り取った物語。

上述したとおり、2つの物語が収められているけど、その毛色はまったく違いますね。

1本目の「今宵、ワインで。」は、ほとんどギャグとジョークで組み立てたような
エッセイに近いスタイル。
自分自身で読んでみても“よくも、まぁ、こんなに面白おかしく書けたよなぁ”と思わず
自画自賛してしまった(笑)

2本目の「桃の香り」は、一転して真面目な物語で。
これは、実話をベースにした小説なんです。
数年前に、保育所から高校まで一緒だった幼友達が病気で亡くなってしまって・・・。
それまでにも、亡くなった同級生は何人かいたんですが、彼らはみんな交通事故とか
自殺とか、まぁ、そんな亡くなり方だったんですね。
暴論かもしれないですけど、僕は事故死や自殺は、仕方がないと思ってるんです。
事故で亡くなるのは、たまたまた運が悪かったのかもしれないし、自殺にしても、
その行為自体はその人自身が決めたことだし・・・。
どちらにしても、上述した亡くなり方は、亡くなるその直前まで元気だったことには
変わりがないわけですよ。

でも、病気は違う。

「病気」という言葉を、強引に別の言葉を換えれば、それは「寿命」という言葉に
なると思うんです。
その幼友達が亡くなったのは、僕らがまだ40歳になる直前だったと思います。
“40歳で寿命を迎えるなんて・・・ウソだろ?そんなことがあってもいいのかよ?”
幼友達の死が僕の耳に伝わって来た時、そんなどうしようもなく解せない気持ちが
僕の中でずっと渦巻いてて・・・。その気持ちは、今でもずっと胸の中にあります。

でもそれと同時に、確実に僕らは老いに向かいつつあるんだ、人生の“分水嶺”とでも
いうべき峠を越えたんだ、いうことも教えられましたね。彼の死によって。

彼とは、保育所から高校まで同じ学び舎に通ったけど、格別に仲が良かったわけでは
なかった。だから“友達”という言葉は使うことを、どうしても躊躇してしまいます。
こうなってから、さも親しかったように語るのは、それこそ故人に対して失礼ですから。

だから・・・というわけではないですが、この小説を書くことによって、同じ空気、
同じ風景、同じ町の中で生まれ育った彼に対して、僕なりの供養ができたら・・・と
思って書いた小説でもあります。

2つのまったく違うタイプの小説をおさめているのは、これはもう、完全に意図的です。
コメディタッチの小説とシリアスな小説をひとつの作品として発表することによって、
“北原りきる”というアマチュア作家の書く作品のスキルや方向性が、簡潔かつ明確に
分かってもらえると思ったから。
ある意味、この作品は、名刺代わりのような作品だと思っています。

だから、電子書籍サイトで発表していますが、この作品は無料で読むことができます。
できれば、まずこの作品を、僕からの挨拶代わりに、みなさんに読んでいただければ光栄です。

そうそう、これは余談ですが、昨秋、地元のテレビ局に“電子書籍で活動する作家”として
取材されたんです。
後日その放送を視たら、僕が書いた作品としてテレビ画面に映っていたのが、この作品
だったんですよ。
不思議でしたねぇ。自分の作品がテレビに映っているのを視る感覚って。
もっとも、それよりももっと不思議だったのは、テレビに映ってインタビューに答えて
いる自分自身でしたが(笑)

●「ホーム・スウィート・ホーム」の電子書籍サイト→→http://wook.jp/book/detail.html?id=207883

☆上述したその物珍しい映像を視たい方は、
YOU TUBEで「電子書籍の個人出版のテレビ」で検索してくださいませ。
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りきるアーカイブス〈1〉/爪

2011-05-18 | Weblog
先日のブログにも書いたけど、僕が生まれて初めて世間に発表した小説は、
タウン誌に連載された「コカ・コーラ!」という中編小説でした。
執筆したのは2002年で、連載されたのはその翌年の5月から7月まで。

で、それが脱稿し終わって、後は連載されるだけ・・・と言う時期に、もう
1本書いてみたいなぁと、自然にそういう思いが芽生えて書いたのが、この
小説でした。

テーマは、「血筋」です。

当時、僕自身、父親という存在になって間もなかったこともあるのか、
自分の血・・・親から受け継ぎ、それが自分を媒介して、子どもに
受け継がれてゆく・・・ということに、ものすごく敏感になっていたんだと
思います。

内容は前作の「コカ・コーラ!」と比べると、本当に同じ人間が書いたのか?
と思うほど、シリアスですね(笑)
「コカ・コーラ!」は、とにかくひたすら明るくて純粋で一直線な青春小説だったから。

この作品の重要なキーワードになっているのは「原爆」です。
広島に落とされた、原爆。

僕は広島で生まれ育ったので、親戚にも被爆者が何人かいて、中にはいまだに
遺骨が見つかっていない家族もいます。
だから子どもの頃は、毎年8月6日が訪れるたびに、そういう話を祖父母や父から
聞かされて育ってきたんですね。
大人になった今でも、8月6日になると、その日が仕事が休みであれば、子どもたちを
連れて出来るだけ平和公園にお参りするようにしています。

だから「原爆」を題材として扱ったのは、広島に生まれ育った人間として、
もう本当に、必然というか、“使命”のようなつもりでしたね。

それから、もうひとつ大きなキーワードであり、タイトルにもなった“爪”ですが、
これは、原爆とは反対に、些細な日常生活の中からヒントを得たものなんです。

僕の妻の足の小指の爪って、ちょっと個性的というか変わっていて、ほとんど爪が
ないんですよ。
申し訳程度に、チョコンと小指にくっ付いているような感じで(笑)
新婚当時から「お前の小指の爪って、変わってるなぁ」って言ってたんです。

ある日、当時3歳くらいだった娘の足をふと見たら、小指の爪のカタチが妻と
そっくりで。
それを見た瞬間、“へぇ、親子って、こんなところまで似るのか”って驚きというか、
感心というか、とにかくものすごく印象に残って。

そういった子どもの頃の経験や大人になっての出来事を自分なりに咀嚼して
執筆したのが、この小説でした。
書き上げた後、中国新聞主催の「中国短編文学賞」に応募したんです。
そしたら、入賞は逃したものの、最終選考まで残ってしまった。
処女作の「コカ・コーラ」の受賞は、あくまでもビギナーズ・ラックだと
思っていたから、今回は絶対にそんなにいい成績は残せないだろうと思っていたのに、
結果として想定外の善戦だったもんだから驚いて・・・そういうことがあれば、
僕も人間だから勘違いしますよね。
“あ、俺って、もしかしたら小説を書ける人間なのかな?”って(笑)
だから、ちょっと腰を据えて書いてみようって思ったのは、この小説からかも知れません。

電子書籍にアップしてから、何人もの方が購読してくださって、その中の方から読後に
コメントをいただいたのですが、
「泣けました。そして、最後、感動しました。とても深い作品、たくさんの人に読んで
いただきたいと思いました。」
・・・と感想をいただいた時は嬉しかったですね。テーマや題材から考えても、僕自身、
できるだけ多くの方に読んでいただきたいと思っていましたから。
あと、ずいぶん前にご購読いただいた方で、
「 同じ本なのに、前回(昨年)と今日では読後の感じ方が違いました。 つい、東北の事が
頭に浮んでしまいます。」
・・・というコメントをいただいた時は、この作品は、もう完全に自分の手元を離れて
不特定多数の読者のものになってしまったんだな、って、実感しました。

最後に表紙の装丁についてですが、これは原爆ドームをモチーフにしてデザインしました。
この装丁を見て、東京の友達でクリエーターのちいはなちゃんが、「いいデザインだね」って
褒めてくれた。
同い年で、仕事に厳しい彼女に褒められたことは、想定外のことで嬉しかったです(笑)

●「爪」の電子書籍サイト→http://wook.jp/book/detail.html?id=208119
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りきるアーカイブス。

2011-05-18 | Weblog
最近、このブログへのアクセス数が格段に伸びておりまして。

開店休業中のブログを含めて、150万以上存在するgooブログの中でも、
毎日10,000位以内にランクインしています。
“いったい、何が原因なんだろう?”と一人で考えあぐねいているけど、
これ!という明確な理由はいまだに分からないんですが、とにかく何事も
やっぱり“継続は力なり”なのかなぁ、という非常にありきたりな結論に
帰結しております。

あらためて、このブログをお読みくださっているみなさん、
本当にありがとうございます m(_ _)m

それに比例してか、それともそっちが原因でこのブログに影響しているのか、
これまたよく分からないけど、僕が小説を発表している電子書籍サイトの
僕の作品のサイトも、アクセス数が最近伸びておりまして。
本当に嬉しい限りです。

で、ちょっとそこで考えました。
この状況を利用して、何かできないものかと・・・。

そして数日考えて思いついたのが、“自分が今まで制作した作品を、自分自身で
紹介&解説してみたらどうだろう?”という企画。

この7~8年の間で、自身が創ったイラストや小説が格段に増え、またインター
ネットという非常に便利なツールのおかげで世間様にご披露する機会が増えました。
しかし、それらは発表したはいいものの、乱暴な言い方になるけど、どちらかと
いうと、ほっとらかしのような状態だったんんですね。

今月に入って、イラストも小説も創作活動はひと段落したし、ちょっと今まで創った
自分の作品群を自分なりに整理整頓するのもいいんじゃないか?と。
アルバムで言えば、“セルフ・ライナーノーツ”みたいなものですね。

もしかしたら自己満足に終わるかもしれないけど、元々、このブログ自体、自己満足
ではじめたようなものだからね(笑)

定期になるか、不定期になるか分からないけど、1日1作品ずつ、あらためて紹介する
ことで、今までの自分の創作活動を整理して、これから先の活動の指針になれば、と。
またそれ同時に、このブログをお読みの皆様に、今以上に私自身のことやこのブログの
ことを理解していただければ幸いです。

ということで、題して「りきるアーカイブス」。

まずは小説類からアップしていこうと思います。
どうぞよろしく☆
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人生の糸。

2011-05-17 | Weblog
今月の5日に開かれた、小学校のプチ同窓会。

その席で、僕がアマチュアながら小説を
書いていることが話題にのぼった。
その話の流れから、僕が生まれて最初に執筆し、
地元のタウン誌の文芸賞で優秀賞を受賞した
小説「コカ・コーラ!」の話になった。
※「コカ・コーラ!」についての詳細は↓
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/0484a1c6dfcf459e5cba1e3c94d2061e

舞台が地元で、しかも時代設定が、まさにその同窓会に
参加している連中と一緒に過ごしていた頃の物語だったので、
まだ読んだことはもちろん、そんな小説自体の存在さえ
知らなかった遠方から帰ってきた同級生の中の何人かから、
嬉しいことに「ぜひ、読みたい」と言われた。

本来なら、3ヶ月連載されたタウン誌をそれぞれ送って
あげたいところなのだが、すでに発表から10年近い年月が
過ぎていて、連載されたタウン誌自体が、すでに僕の手元に
1冊ずつしかなかったので、後日それらをコピーし、送らせて
もらった。

先週。

送った同級生からメールが届いた。
その同級生は女性だったのだが、
仕事が休みの時に、一気に読んでくれたそうだ。

文面には、子どもの頃、明るくて可愛く人気者だった彼女らしい、
繊細で透明感のある文体で、作者である僕にとって嬉しい言葉が
綴られていた。
そしてその文中に、こんな質問が書かれていた。


故郷に住み続けるってどんなかんじですか。
----子供の頃の自分を周りが皆知っている。
子供の頃のあだ名で皆が自分の事を呼ぶ
自分の過ごした場所で子供たちが育っていく。
変わっていく島を見続ける----


この一文を目にした時、思わず、息がつまりそうになった。
いまでも上手く言葉にできないが、この一文によって、
今まで気がつかなかった様々なことを、気づかされたような気がした。

一度は実家から離れ、遠くの町で暮らしたりしたが、
今の僕は、実家にこそ住んでいないが、今も生まれ育った町で暮らしている。

いつも通勤で通う道や、その周囲の風景、香り、そして人・・・。
それらが今でも当たり前の日常である僕とは違い、この小説を読み、
返事を送ってくれた彼女にとっては、それらはすべて、今では
40数年間の人生の中の「想い出」の一部になってしまっているのだ。

僕らは今月の5日に再会した。
約30年ぶりに再会した。
懐かしい顔が集まった。
笑いが絶えなかった。

でも、それはたまたま、いろんな偶然が重なって、結果として
そうなったに過ぎなかったのだ。
事実、僕自身もそれ以降の生活は、久々に再会した彼らや彼女らと
関わりなく、今までどおり普通に営みが続いている。

いわば、あの日、あの夜の出来事は、非日常だったのだ。
だからこそ、極限に近いほど楽しい時間を過ごせたのだろうし、
またその後、僕の小説を読んでくれた彼女たちは、その小説から
はるか遠く過ぎ去った懐かしい日々をリアルに思い出せたのだろう。
懐かしく感じたのは、きっと、今の自分とはもう関わりがないからだ。

人生を、1本の糸に例えよう。

あの夜、僕の人生の糸は、何十年の時間を経て、久しぶりに懐かしい
他の糸と再会した。
しかし、それらの糸はその場で再び絡みあったり結びあったりしなかった。
ただ、一瞬だけ交差しただけだったのだ。
交差した糸は、再びすれ違い、離れ、それぞれの場所へと、または新しい
場所へと向かって伸びてゆく・・・。

そういうことではないだろうか。

それぞれが、それぞれの場所で、これからも人生の糸を紡いでゆく。
そして僕は、同級生の彼女がメールに書いていたように、子どもの頃の
自分を知る人たちが多く暮らし、子どもの頃のあだ名で僕を呼ぶ連中が
暮らし、そして変わり続けてゆくこの故郷で、これからも自分の人生の
糸を紡いでゆくのだろう。
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一石二鳥。

2011-05-16 | Weblog
名古屋の友達のタツロンさんが、mixiにアップしていた車の写真。

見た瞬間、思わず「おほほ~~~」という感嘆とも驚嘆とも
いえない不思議な声をあげてしまった。

ベースは、僕やタツロンさんの愛車のSUZUKI・Twin。
でも、フロントマスクは、完全に FIAT500

実際に乗っているTwinを愛してやまない一方で、
やっぱり、世界で一番好きな車はFIAT500である僕にとって、
これほど興味をそそられる車はない。

絵に描いたような一石二鳥じゃん(笑)

でも、本当にこんな車があるんだろうか?
カスタマイズした人は、いったいどれだけのお金をそそぎこんだのだろう?
そして、もし本当にこんな風貌の車にTwinがなってしまったら、
別の意味で目立ってしまうんじゃないだろうか?

う~~~ん・・・

やっぱり、 TwinはTwinのまま、その範囲でカスタマイズした方がいいのかも。
FIAT500は、 FIAT500だからこそ、可愛いし魅力があるんだろうしなぁ。

「一石二鳥」という諺もあるけど、その一方で、
「二兎追う者は一兎も得ず」という諺もあるからな(笑)
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僕と彼女と週末に。

2011-05-15 | Weblog
昨日、浜田省吾のライブに行った。

広島グリーンアリーナ。
5年ぶり。
通算・・・数えたことがない(笑)

熱心なファンならご存知だと思うが、今回のツアーは、昨年発表した
セルフカバーアルバムに併せたライブツアーだった。
皮肉なことに、そのアルバムは過去に発表した曲の中から、社会問題を
比重を置いた曲たちをメインにセレクトして創られたアルバムだった。
戦争や貧困や自然破壊、そして原子力・・・。

「ヒロシマ」、「ナガサキ」に加え、新たに「フクシマ」という
カタカナの地名が生まれてしまった今年。

2011年3月11日の時点で、今回のツアーの開催は発表されていた。
しかし多くのファンは、本当に開催されるのか?と思っていた。
ツアーの規模はともかく、そのライブのコンセプトが、今の日本の
状況には、あまりにも当てはまり過ぎているからだ。

今回のアルバムでもセルフカバーされた曲で、29年前に発表された
「僕と彼女と週末に」という曲がある。
昨年発表されたアルバムはもちろん、今回のツアーの核となる重要な曲だ。

語弊があるかもしれないが、発表当時は、音楽評論家などからその歌詞を
“荒唐無稽な警告”のように評され、ほとんど黙殺に近い扱いをされていた。

しかし。

29年の時を経て、その曲の歌詞が、切迫した現実の問題としてこの国
(いや世界か?)に突きつけられる日が訪れるだなんて、誰一人として
予想していなかったのではないだろうか。

大げさかもしれないが、今回のライブツアーは、デビュー以来、
社会に対して問題提起をするようなプロテストソングを長年歌って
きた浜田省吾にとって、その真価を問われるステージになるのでは
ないか?と僕は思いながら、会場に向かった。

ライブの内容は、ここでは語らない。

このブログをお読みの方で、もしかしたらこれからライブに行かれる方も
多々いらっしゃるかもしれないので。

ただ、ふたつだけ、書いてもいいかな?

ひとつは、代表曲でライブの定番「J.BOY」が歌われた時のこと。
1人の社会人の男性が主人公のこの曲。
それまでは、日々働く人の日常の個人的な応援歌のような印象の曲だったが、
同じ歌詞、ほぼ同じアレンジなのに、今年はまったく違う視線の歌に聴こえた。
なぜなのか?
それは、会場で聴いて実感して欲しい。
ライブに行かれない方なら、何らかのカタチでこの曲を、今、聴いてみて欲しい。

そして、もうひとつ。

浜田省吾は、やっぱり浜田省吾だった。
どんなことがあっても、どんな状況であっても、浜田省吾は自分の仕事として、
見事なライブパフォマンスを見せてくれた。
エンターテーナーとして、プロフェッショナルな完璧なステージだった。
“伊達に35年もこの仕事をやってるわけじゃねぇよ”
そんな気概が感じられるライブだった。
40歳そこそこの小僧の僕が“大丈夫なのか?”なんて心配したのが失礼なほど・・・。



話は変わるが、今日は昼から息子と釣りに出かける予定。
場所は、尾道の沖合に浮かぶ「岩子島(いわしじま)」。

奇しくも浜田省吾が2歳の頃、暮らしていた島。
浜田省吾自身も、インタビューで自分の最も古い記憶は、岩子島で暮らしていた頃の
記憶だと語っている。
実際、浜田家族が暮らしていた小さなあばら家が、今も島の中に残っている。
そんな島に、これから8歳の息子といっしょに、釣りに行って来ます。
浜田省吾の「僕と彼女と週末に」の歌詞の一節を口ずさみながら・・・。

いつか/子供達に/この時代を伝えたい/どんなふうに人が希望(ゆめ)をつないできたか・・・

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ON THE ROAD

2011-05-14 | Weblog
さて、これから行ってきます
彼のライブは5年ぶりかな?
J.BOY~
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校正中。

2011-05-14 | Weblog
3月に「第35回ふくやま文学選奨」の小説部門において、
僕の作品が最優秀賞を受賞したことは、このブログにも
何度か書いた。

その作品が、来月いよいよ冊子として刊行される。

先日、そのゲラ(印刷前の原稿)が自宅へ郵送されてきた。
つまり、誤字脱字などがないか、校正の依頼である。
文章を読みながら、1文字1文字、チェックし、訂正箇所に
赤ペンを入れる。

広告代理店に勤務する人間としては、業務のひとつとして
会社でほぼ毎日している作業ではあるが、自宅でするとなると、
また少し緊張感というか雰囲気というか、何かがちょっと
違う気がする。

あ、改行の間違えを見つけた。
あ、ここも、ここも・・・ありゃ、意外と間違いが多いぞ(笑)

昼間の仕事としてのデザインの方は今はひと段落をして
落ち着いているが、プライベートでの活動の方は、来月の個展に
出品するポスターのデザインと、この小説の校正が、ただいま
同時進行中。

もしかしたら、昼間の本来の仕事より、夜のプライベートの
創作活動の方が今は忙しいかも(笑)

さて・・・もう一度、読みなおしておこうかな。
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エネルギー。

2011-05-13 | Weblog
タレントの上原美優さんが亡くなった。

明るくて愛嬌があって頭の回転も早く、僕にとっては、
好きなタレントの一人だった。

ニュースによれば、自宅で自殺したという。

その第一報を耳にした時、「自殺」という言葉とテレビ越しに
いつも見ていた明るい彼女が、どうしても結びつかなかった。

時間が経つにつれて、少しずつ、真偽はどうかは別として、
彼女の公私の断片的な情報というかエピソードというか、
そういったことも耳に入りはじめた。

どうもテレビで見る彼女とは別に、深く悩んでいた彼女もいたようだ。

彼女は、24歳だった。
世間一般的には「24歳=若かすぎる」で済まされてしまうかもしれないが、
その年齢を考えて、少しだけ、彼女の気持ちがわかるような気がした。

自分の経験からでしか意見を述べられないが、
24歳というのは、実は非常に微妙で繊細な年齢だと思う。

24歳になれば、その大半の人は社会に出て働いている。
しかしそれがどんな職業であっても、まだ経験は浅い。知識も技術も引き出しも
年上の先輩や上司に比べればはるかに少ない。
精神的にも、まだ完全に大人になっていると言いがたい。
まだ10代の頃の余韻を少なからず引きずっている。
だが、それでも社会人の一人としての自覚や責務は、先輩後輩関係なく同じように
要求される。

プライベートに目を向ければ、両親はそろそろ還暦を迎えつつあり、大病をしたり、
定年退職を迎えたり、明らかに老いはじめているのが子どもにも分かりはじめる。
まだまだ未熟なのに、もう親には頼れない。

恋愛もしていた。
「きっと、君に出逢うために、俺は生まれてきたんだ」
そんな大いなる勘違いを引っ切りなしに繰り返しては、浮かれ、傷つき、また浮かれ・・・。

24歳の頃の僕は、そんなジレンマが螺旋階段のように続く状況の中で、自分の
ポジションが定ままらず、混乱しながら、ただただ必死に毎日を生きていたような
記憶がある。

だから、最近、僕はこう思う。
20代前半は、人間にとって「第3次成長期」なのかも知れない、と。

だから、ちょっとしたことに傷つき、引きずり、“死にたい”という衝動に駆られること
なんて日常茶飯事だった気がする。

そして、そんな思いになることは、40代の今でも、多分にある。

極端に言えば、1週間に一度くらい「俺、もう死んじゃおうかな・・・」と心の中で呟いている。
だが、それを実行に移したことは、当たり前だが一度もない。

それは、家族がいるから、とか、仕事があるから、とか、みんなが悲しむから、とか、
そんな理由ではない。

単に、怖いからだ。

どんな理由であっても、どんな方法であっても、何歳になってもやっぱり死ぬのは、怖い。
それだけだ。
この思いだけで、踏みとどまっているだけなのだ。

誤解を怖れずに言えば、僕は自殺する人を尊敬してしまう。
だって、そのとてつもない怖さを飛び越えて、それを実行しているのだから。
「自殺」いう行為は、それまで経験したどんな努力や苦労などと比較にならないほどの
エネルギーを使っているのだと思う。

しかし。

それだけのエネルギーがまだ身体の中にあったのならば、そのエネルギーをどうして「生きる」という
方向に使ってくれなかったのか?とも思ってしまう。

誰もがみんな、そうやって生きているのではないだろうか。
「自殺」も出来得るだけのエネルギーを、毎日「生きる」ために消費して生きているのではないだろうか。
必死に。踏ん張って。突っ走って。一所懸命に。

だから上原さんにも、少しだけ踏みとどまって、自分がこれから使おうとしているエネルギーの方向を、
もう一度考え直して欲しかった。

上原美優さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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