昭和的ガラス戸とバラ 14/8/2013
ねこ座敷 14/8/2013
昨日掃除した古い家の縁側。
昭和の木枠のガラス戸に、合板でない一枚板の木の縁側。
かつてここが母屋のときは、義母はせっせと糠を入れた手製の袋でここを磨いたという。
天然のワックス。
今この建物は、物置として、ねこの避暑間として使われている。
新しく家を建てるとき、なぜこの家を壊さなかったのかといえば、田舎で土地に困ることもないのにまだ使える物を壊すのはもったいなく、何よりこの縁側とガラス戸に愛着があったからだという。
たしかに、壊すのはたやすいが、時を経たものの味わいは簡単には作ることができない。
そして、この家のある風景が、こどもたちの記憶に刻み込まれ受け継がれている。
それもいいのだ、無駄というのも時には必要なもの。
平成生まれの人たちに、21世紀生まれの人たちに、前の時代の名残を見せるのも悪くはない。
物事は連続の中にあるというひとつの理を、身に触れさせながら感じさせる緩やかな教育があってもいい物ではないだろうか。
夏の蝉時雨と光と影のコントラストのなかでのちょっとした物思い。