rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

カメムシだけでなく、てんとう虫も登場

2010-11-20 16:31:04 | 生き物たち
今日は、一昨日までの天気予報と変わって、穏やかないい小春日和だった。

今晩も、ぬくぬくの布団で寝る野望を果たすべく(なんてちっちゃい野望)、布団をせっせと干した。

干すそばから、カメムシが「ブ~ン」と飛び回っている。
さらに今日は、カメムシとはシルエットも飛ぶ音も違う虫があたりにいるではないか!
おお、冬の厄介な虫の双璧をなすてんとう虫だ。
双方とも、こちらが細心の注意を払っても、忍のごとく布団や室内に入り込んでくる。
また、その身に危険が及ぶと、煙玉ならぬ臭い玉を炸裂させて、こちらの戦意を挫く、なかなかの手練だ。
しかも、カメムシには殺虫スプレーが効かない!
恐るべし、カメムシ!!

これから4ヶ月あまり、やつらとの壮絶な戦いが続く。
猛暑で杉がたくさん花芽を付けるときは、カメムシ大発生、花粉大飛散のダブルパンチ。
いまから戦々恐々、無事に初夏を迎えられるか?って、一年短し!

伝統の担い手、手業を絶やすな

2010-11-19 23:42:37 | 街たち
職人の街、パリ・バスティーユ界隈を「世界ふれあい街歩き」で見た。

バスティーユは、18世紀ごろから家具職人の街として栄え、いまも職人たちが自慢の技を生かし、仕事に励んでいる。
若い未来の熟練職人たちが、多く見受けられ、文化の厚みを感じた。
働く彼らの顔は、自信と誇りで生き生きと輝いていた。

たとえどんなに技術を習得するのが辛くても、人に認められて生活の糧を得られるのであれば、耐えて精進できるだろう。
人は、希望を持ち少しでも報われること無しには、前に進めない。
地味な手業ならば、忍耐なくして続けることができない。
おおよそ、生きる=生活に密着しているが故、見落とされて軽視されがちな多くの職人技こそ、文化を支える礎なのではないだろうか?

マスプロダクトは、消費傾向の平均値でなっている。
傾向を狭く絞っても、結局匿名的なのだ。
それでかまわない場合も確かにあるが、市民的文化は無味乾燥なものになってしまう。
束の間の人生だが、色どり豊に送りたいものだ。
その個の膨大な集積が、文化を形成するのだから、味のあるものたちに囲まれて過ごせるよう、手業の伝道者・職人を絶やしてはいけないと思う。

なんでもかんでも、「外国を見慣れえ」なんて、ナンセンスなことはいいたくない。
しかし、他と比較することで、気が付く事もあるわけだから、今の状況を冷静に考えるのもいいではないか?

こんなことをちらりと思いつつ、パリの職人の街をくまなく歩き回りたい!と、切望したのであった。

音楽ライフ

2010-11-19 16:44:01 | 音楽たちーいろいろ
多趣味な家人とは、食べ物・音楽・アートにおいて趣味嗜好がかなりかぶる。

誰もが多感な時期に出会い、“すりこみ”によって究極の懐メロ状態になる音楽ー我らにとってそれは、80’s
ちょっと恥ずかしいニューロマだ。
『ベストヒットUSA』『ポッパーズMTV』『TOKIO ROCK TV』などを、眠い目をこすりこすり食い入るようにみた。
ビデオクリップが新鮮だった。

その頃にファンとなったミュージシャンは、デヴィッド・シルヴィアンやシャーデー、いまだによく曲を聴いている。
彼らが、時折アルバムをリリースし、いいものを続けて創作しているのを確認すると、素直にシアワセな気持ちになる。
家人は、テクノによっているアーティストがいいらしい。
今では、YouTubeのおかげで、当時マイナーでTVに流されなかったビデオクリップを見ることができたり、また、フレンチポップス&ロック、ボサノバも気軽に楽しめて、ミュージックライフは充実だ。
家人とそのことで話が盛り上がると、時間が瞬く間に過ぎてしまう。

音楽は、純粋に音楽として楽しむ場合と、懐メロのように記憶の触媒としての機能を示す場合と、いろいろな作用を持っているんだな。
そうすると、アートや文学より、なんとういか生活密着型?身体的?うまく言い表せないけど、人に密接に食い込む要素が大きい、原初系なんだろう。
あらあら、あらぬほうに話がそれてしまった。



歩く-散歩する

2010-11-18 16:15:53 | 趣味たち
基本、歩くことが好き。
幼い頃から、よく歩いた。
自分の足で、知らない道を探索しながら歩くのは、ちょっとした冒険だ。
頭の中に地図を予想し、歩きながら書き込み、あとで本物の地図で確認する作業は、とても面白く、終わったあととても満足した気持ちになる。

外国ほどはっきりしていないが、日本でも地区ごとに人々の生活感や商業施設の棲み分けがあり、その差異を見つけることも、楽しみにある。
大通りを境に街の雰囲気が変わり始め、細い道を一本奥まるごとに、差が際立ってくる。

若い頃、よく神田から淡路町、有楽町から銀座、池袋、新宿、上野、鎌倉などを歩き回った。
最近は、吉祥寺を楽しんだ。
もちろん、旅行先では、ひたすら歩いてあちらこちらをまわる。
健脚とはいいがたいのだが、こうした楽しみを遂行するには、よほど同じ趣味を持った相手でないとならないので、大概一人で行うしかない。
諦めていても、時に楽しみを共有できる相手がいたなら…と、思うことがある。

日常的に、散歩を楽しめたらと思うが、田舎では道が大雑把に通っており、歩く人は滅多にいないので散歩が成り立ちにくい。
最近はかなり減ったが、放し飼いの犬や野犬の心配もある。
そして、雑木林と畑や田んぼだけでは、目も寂しい。

自分の地図を豊かにできる散歩がしたい。
年齢を増すごとに衰えるかわいそうな脳細胞をサポートする道具のひとつ、カメラを持って。



旬が目の前を通り過ぎていく

2010-11-18 08:46:02 | つぶやき&ぼやき
獅子座流星群は、雨雲に遮られ、睡魔に邪魔され、見ることができなかった。
解禁されたボージョレーヌーボーは、本来の目的を果たせない哀れな財布の持ち主の不徳により、ここを訪れることは叶わなかった。

“旬”を楽しむのは、またとない一瞬を大切にし、愛でる風流な行為。
自然の恵みに感謝する素朴な気持ちの表れでもある。

仕方がない、それらが無くなる訳ではないので、また次の機会を楽しみにしよう。