rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

今日のような雨の日にEurythmics / Here Comes The Rain Again

2012-10-18 15:07:54 | 音楽たちーいろいろ
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Eurythmics - Here Comes The Rain Again

80年代のUKミュージックシーンを代表するアーティストデュオ、ユーリズミックス。
メインボーカルのアニー・レノックスの卓抜した歌唱力は、どんな歌も魅力あふれるものにする。

今日のような、薄暗く肌寒い雨の降る日は、”Here Comes The Rain Again”。
冬の叩きつけるような雨でもいいかもしれない。
藍色がかった鉛色の空から、絶え間なく降る冷たい雨の切迫したやりきれなさがいい。

かたや、”There Must Be An Angel”は、信号のない道をドライブするときにもってこいだ。
おやおや、自動車のCMで使われていたそのままのイメージ。
でも、曲の飛翔感が、そのとおりなんだから仕方がない。

”Miracle Of Love””No more I love you's”は、秋の夜長にお似合いだ。
温かい飲み物と歌が、心を癒してくれるだろう。

夜の時間が長くなっていく二ヶ月あまり、心穏やかにゆっくりと過ごすにはいい。
季節によって色の変わる樹の葉のように、アニー・レノックスの変化に富んだ歌に酔いしれるのはいかがかしら。

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Eurythmics - Miracle Of Love

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No more I love you's (Annie Lennox)

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Eurythmics - There Must Be An Angel

心のロスコ

2012-10-17 15:02:27 | アート

Mark Rothko  Blue, yellow, green on red,1954

もしも、広く大きな壁のある部屋があったなら、一枚でいいロスコの絵を飾りたい。
その前には、背もたれのないソファーただ一つ。
静かに、ロスコの絵と向き合う、そのためだけの部屋。
深く深く、ロスコの絵を愛する。

ポリアコフの絵も、ロスコと同じ空気を持つ。
果てのない大地と、それを覆う天蓋の空。
ロスコには、ポリアコフよりも悲しみを多く含んではいるが。

その絵の前にいると、大地と大空の間に挟まれて、それらを結ぶ触媒になった感覚に陥る。
地と空が放出するエネルギーをこの身に受けるのだ。
太古の、原始の、物質間を飛び交うエネルギーのダイナミズム。

わたしの心の中に、しっかりと占めるロスコの絵。
ロスコの絵が脳裏を過ぎるたびに、心はさわさわと微かに打ち震える。
そのあとには、見事なまでの静寂が心を支配するのだ。

マーク・ロスコは、帝政ロシア領ラトビアからアメリカに亡命したユダヤ人。
現代アメリカ抽象美術の巨匠。

彼の絵は、直接、絵に対峙する者の心にダイブする。
いや、観る者が、絵に吸い込まれていくのか。
そういう意味では、言語的思考をすっ飛ばした未来の絵といえるのかもしれない。

夢だが、一枚のロスコの絵と一つのソファーがある部屋を欲しい。


No1 Untitled /Royal Red and Blue 1954


Neon Cactus




お気に入りの場所

2012-10-16 20:23:40 | ねこ

陽だまりのねこ 15/10/2012


こんな姿で 15/10/2012

秋の訪れにより、ねこのお気に入りの場所がここになった。
前庭の、ツゲとツツジの間にある、下草の刈ってあるところだ。
昼の間、よく日が当たり、北よりの風を遮ってくれる位置にある。
毎度のことながら、その場所選びの上手さに感心する。
今日も一日、その場所でくつろいでいた。
ときどき、近くを通りかかると、ねこは一声かけてくる。
「にゃっ」
「おや、ねこ。そこにいたの。暖かくて気持ちがいいでしょう。」
こちらも言葉を返すと、ねこは満足気にごろりと横たるのだ。

笹の植え込み、家の壁によじ登るお腹の大きなカマキリを見ると、秋が急速に深まっているのを感じる。

ねこがこの次に選ぶ場所は、いつも通りならば、古い母屋の前の芝の上。
こうして季節が移ろいとともに場所が変わり、歳月が過ぎてゆく。
ねこと一緒に過ごせるときは、どのくらいあるのだろうかと考えると、そこはかとなく切なさが胸に押し寄せるのだった。


お気に入りの場所 15/10/2012



ETV特集「永山則夫 100時間の告白・・・」

2012-10-15 23:07:49 | 随想たち
番組の途中から見た、ETV特集「永山則夫 100時間の告白 封印された精神鑑定の真実」。
心とは、なんと切ないものなのか。

彼の起こした罪は、消えることはない。
購いきれるものでもない。
許しきれるものでもない。
しかし、それに至ったやりきれなさよ。
心の傷は、世代を渡る。
彼の母の受けた傷は、母の子らにもさらに深い傷となって受け継がれた。
痛ましい負の連鎖。

見ているこちらの心も、キリキリと痛む。
同時に、今もどこかで起きている心の傷の受け渡しに、いたたまれない悲しみを覚える。
悲鳴を上げている、固まった心と小さなか弱い心のチリチリとした波動が、闇夜にまぎれて押し寄せてくる。

永山則夫は、母の心の傷を知ることで、ささくれ乾ききった心の殻が、一気に崩れ落ち、心の奥にしまわれていた柔らかい核が顕れ出て、己の愚かさを悔いたのだった。
罪は消えなくとも、彼の魂に救いの光が射したのだと思う。

心の傷が生む、負の連鎖を止める手立てはあるか。
人は不完全なものだから、他を傷つけないことはありえない。
よって予防はできないに等しい。
社会がどうの、貧困が、環境が、経済が、といってもそれらは要因の一つにすぎず、どこにも隙間は開いていて、ふっと足を踏みはず、その連続のどうにもならない曖昧だが不運さは存在し、救いの手は差し延べきれない。
絶望的な現実。
それでも、諦めてしまうわけにいかないから、傷ついた心を癒す機会を作るくらいしかないように思える。
人の慈悲と善意の心を信じて。

心とは、なんとか弱く切ないものなのだろう。
永山則夫の人生は、心の傷のもたらすことの大きさを、まざまざと見せつけるのであった。

指先に秋

2012-10-14 12:19:03 | つぶやき&ぼやき
気がつけば、指先が妙にかさかさしている。
??
日中の気温が高く、肌の乾燥を気にするほどではないと思っていたのに、指先は敏感に反応している。
小さい人が、「お母さんの手、痛い」といったのを合図に、ハンドクリームを塗りこんでみたが、もう手遅れ。
右人差し指は、二筋のあかぎれができてぴりぴりと痛い。
二日ほど、家事を休めれば手の荒れもおさまるのだが、そういうわけにもいかない。
いよいよゴム手袋のお世話になるしかないのだろうか。
昨年も、手の荒れがひどく、何度もあかぎれで痛い目をついた。
そのときに、いざとなったらゴム手袋をはめようと、薄手のものを買い備えた。
今年は、ゴム手袋の出番が来そうな予感。

春から夏の間にはなかった手の荒れ。
日没の早さや、木々の変化ばかりではない、自分の指先に現れる季節の変化。
こんなところにも、秋は確実にやってきたのだ。