魔法少女マヂカ・056
ロビーに入ると、さすがにたじろぐ調理研のメンバー。
間接照明だけの空間は紫色に統一され、三十余りのパネルには意匠を凝らした個室がベッドを中心に照らし出されている。
個室は『家光』『家綱』『家茂』など、歴代の徳川将軍の名前や『田安』『一橋』とかの徳川の分家や所縁のある名前が付けられている。三人は、名前の由来よりも、酷暑のランニングの末に飛び込んだところが、こういうホテルであったことに頬を染めている。
「だれか来る」
ひとり息も乱さずに泰然としている真智香が廊下の隅を指さした。作務衣姿のオバサンが手招きしている。
「ご宗家さまからうかがっております、こちらへ」
「お世話になります」
引率責任者なので挨拶を返す、オバサンは伏し目がちに微笑んで、ちょうど着いたばかりのエレベーターのドアをキープしてくれる。
六人が乗るとギューギューのエレベータ。みんな息を潜めているのが面白い。
三階で降りて奥の部屋を目指す。真智香が「フェイント」と呟くが、気づいたのはわたしだけのようだ。なにがフェイントなんだ?
「こちらです」
通されたのは『家斉』という部屋だ。
家斉……十一代だったかな。
――そう、家康、慶喜並ぶ長命で、五十三人も子どもを作った絶倫公方様――真智香が想念で教えてくれる。
――それに、ここは地下一階。三階の表記はフェイントよ――
「家斉さまにあやかって、ひところは人気の部屋でしたが、近頃では、かえって敬遠されまして、今は、もっぱら祖父の道楽部屋になって……あ、もう出来あがっているようです」
「みんな汗みずくなんで、シャワーとか使えるとありがたいんですけど」
「でしたら、こちらに。五名様なら、なんとか一度に使っていただけます」
えと……ガラス張りのお風呂なんですけど。
「だいじょうぶです、こうすれば……」
オバサンの操作で、一面のガラスはオリンピックのロゴマークのような市松模様に変わった。
「じゃ、みんな一風呂いただこう」
「「「「はーーい」」」」
シャワーを終えると、部屋の奥からお味噌系の美味しそうな匂いが漂ってきた。
「ちょうど、出来あがったところです。いま、お席を用意させますから」
同じ作務衣の爺さんが、奥の部屋から半身を覗かせてオバサンに指示する。オバサンがパッドを操作するとダブルベッドが畳まれて、テーブルと八人分の腰掛がリフトアップされてきた。
「うちのご先祖は、公方様の賄い方をやっておりましたが、五代様の密命で不老不死や強壮薬の工夫をすることになりました。代々工夫を重ねて、ご維新で扶持を離れましてからは、五代様ご墓所の鶯谷に、このような宿を生業にいたしております。レシピは、後ほど先生にお伝えいたしますが、まずは、おいしいうちにお上がりください」
おいしそう!
配膳されたのは、味噌煮込みのつみれ鍋のようなものだ。またしても真智香がほくそ笑んでいる。魔法少女には味噌煮込みの正体が分かっているのだろう。あとで聞いてみよう。
熱いのをものともせずにいただく。口に含んだところで赤だし味噌系だと思ったが、あまりのおいしさに、聞くのはあとまわし。
「権現様以来の三州の八丁味噌を使っております……」
なるほど、色の割には味噌のくどさが無い。八丁味噌は家康公以来の徳川の定番だ。
「つみれの種は……」
爺さんが語ろうとすると、オバサンがやんわりと静止。
「いまは、味わうことに専念なさってください(^▽^)/」
お代わりしているうちに、聞くことも忘れてしまった。
帰りは、一駅だけど鶯谷から山手線に乗る。
車内で、もらったレシピを広げてみる。
八丁味噌以外に、練馬大根と人参とネギが分かったが、肝心のつみれの材料は龍とか虎とかの字が混じっていてよく分からない。
「真智香、これは、なんの肉なんだろうね?」
「あ、いろんなものの肉。必要なら揃えるけど、みんなには内緒にしておいた方がいいかも」
「え、そなの……?」
「ほら、先生、夕日がきれいよ」
ビル群の向こう、上野動物園と皇居のあたりに夕日が沈んでくところだった。