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「あなた秋川君でしょ、柔道部の?」
「え……あ……うん」
「コウチャン……あ、金橋君に勝ちを譲ってくれたのね」
「え、あ……いや」
練習試合で勝ちを譲ったことになっている先輩は金橋孝治と言って、宏美の従兄弟で、先日の法事でいっしょになり、孝治から、その話を聞いた宏美であった。
「どうも、ありがとう。コウチャンの柔道って下手の横好きだから、最後に勝てたの、とても喜んでた。それに勝ちを譲ってくれたオクユカシイ秋川君を誉めてたわよ」
浩一は自分と同じコウチャンなので、頭が混乱したが、やっと話しが分かると気持ちが落ち着いた。
宏美は、お礼を言うよりも、従兄弟が誉める人間に興味があって声をかけたのだ。同じコウチャンという愛称であることが分かると、宏美はコロコロと笑った。
それから、宏美は毎朝、同じ時間、ホームの浩一の横に立つようになった。
決まって、浩一の左側に立つ。
宏美は意識していたわけではないが、人間は人の左側に立つ方が、気持ちが落ち着く。大学の選択で習った心理学で知り、仕事をするようになってからは、できるだけ人の右側に立つようにしていた。
メアドも、宏美の方から交換しようと言い出した。浩一は、やや桁の外れた真面目人間で、学校には携帯を持ち込まない。そこで、宏美はメモ帳を出し、浩一に差し出した。
「これに書いて」
浩一は、左手でメアドを書いた。
「浩一クンって、左利きなんだ」
「え、ああ。両方使えるんだけどね、いざって時は左手になっちゃうね」
「左利きの人って頭いいらしいわね。うちのお祖母ちゃんなんか『わたしの彼は左きき』がオハコよ」
そんなこんなで二人の付き合いは始まった。
宏美は軽い気持ちで、二日に一度くらいのわりでデコメいっぱいのメールを送ってきた。浩一は、それに簡単な返事を送るだけであった。
しかし気持ちはメールほど簡単では無かった。あいかわらず道場の窓から見えるテニス部が気にかかった。ときどき見える方のコートで宏美が手を振ってくることもあった。浩一がそれに応えることはない。そういう自己表現のできる男ではないのだ。
――ムシしないでよね……それともハズイ?
――部活の間は、お互い練習に集中しよう!
こんなぐあいで、宏美は軽い気持ちのままであった。
ただ、宏美は素直な性格で、かつ気配りが(女子高生としては)できるほうで、部活中に手を振ることも止めたし、メールや、会話の中で、他の男の子のことを話題にすることもしなかった。
しかし、浩一の「部活の間は」というところにアクセントをおいたメール。その真意が分かるところまで精神的には発育してはいなかった。
浩一は浩一で、つのる自分の気持ちを伝えることもできず、ただ、宏美の横に突っ立っているだけのことしかできなかった。
もどかしくも、微笑ましい距離をとりながら、交際とも言えない関係が続いた。
三年生になって同じクラスになったが、二人の関係はそのままだった。
二年生の秋に、真央が近所に越してきて、それから、たいていの日は三人で電車を待つハメになったことや、ときどき浩一の仲間が混ざったりで、浩一は、もう一歩前に踏み出す機会を掴みかねていた。
宏美は宏美で、浩一の心が分かることもなく、うかうかと三年生になっていた。
夕べの同窓会で浩一の想いに気づいた。
しかし、それはタイムオーバーになってから正解に気づき、罰ゲームをくらったタレントのように間が抜けていた。
真央や浩一の仲間が、朝の電車待ちに来ないことはあったが、浩一は一日も欠かさず、宏美の右側に立っていてくれた。
その年は、冬がくるのが早かった。
十一月の半ばには、木枯らしの中、雪がちらつき始めていた。その日は、真央も浩一の仲間もおらず、久々に二人で立つホームだった。
狭いホームは着ぶくれた人たちで、二割り増しぐらいに混雑していた。
「おっす」
「お早う」
そっけない挨拶をして、二人は、もう習慣になったようにホームの最前列で、電車の到着を待った。
かなたで電車の気配がしてホームの人の列は、押しくらまんじゅうのようになってきた。
「ここじゃダメだわ、もっと前の方に行った方が、A駅は出口が近いわよ」
「急ご、もう電車来ちゃうわよ」
普段乗り慣れていないオバサン数人が、団子になった列を割るようにして、移動してきた。
パオーーーン!
電車の警笛が響いた。宏美の後ろのオネエサンが、列割りオバサンに押された勢いで、宏美の背中にぶつかってきた。
あわ!
宏美はつんのめって、危うく線路に落ちそうになった。