大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

全国高校等学校演劇協議会・八戸北高校『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』を思う

2018-09-18 21:57:10 | 評論

 懐かしの『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』

 初出:2011-08-10 21:03:11

 

 あれは……1971年の浦和大会か、1972年の東京大会のいずれかでしたが、最優秀賞に、八戸北高校の『手のひらの雪ひとつぶの溶けるまで』が選ばれました。

 今日、全国大会の終了に気づき、ふと40年前のこの作品が思い出されました。全国大会には、つごう10回ほど行ったのですが、記憶力の悪いわたしは、最優秀受賞校というのは、この学校の、この作品しか思い出せません。

 春おそい東北の町に、一組の男女の高校生がいました。

 たしか女の子が、町の外……たぶん県外……東京だったような気がします。そこに女の子は越していくことになり、男の子は、さりげなく(今の言葉では「さりげに」と誤用します)お別れを告げにきます。「好きなんだ」などという直裁な言葉はありません。互いの身の回りの、さりげない話題に終始します。今の感覚では「もどかしく」感じると思います。そして、もどかしい話の中に二人を取り巻く環境や問題、そして、想いが伝わります。二人の間にも、観客にも……そして、手のひらの雪ひとつぶの溶けるまでの僅かな時間に、互いの想いが結晶します。溶ける間に結晶するというとても叙情的な劇でした……

 出会いがあり、たどたどしい、もどかしい、粉雪がふわふわと降るように展開していく物語。「別れ」という結末は、最初から予感されました。しかし、そこにいたる物語の中は、言葉にはならない優しい想いと思いやりに満ちていました。

 信じがたいことですが、純粋な東北弁で全編が語られます。河内(大阪のど真ん中)原人のわたしには半分も意味がわかりません。会場にいた東北の観客の人以外は皆同じだったと思います。でも、ホワホワと想いは伝わってきました。

 クスっとした笑い。ゆったりとした展開。ギャグも、奇抜な展開も、アクロバットのような身体表現もありません。しかし、起承転結の、芝居のチョウツガイになる部分は、言葉が分からなくてもしっかりわかりました。ラストは、ちょっぴり涙と、割れんばかりの拍手の中に幕が降りてきました。

 書いているうちに、「天皇はんのみかん」や「紙一枚」 そして、わが大阪の日比野諦観先生がお書きになった「海の見える離れ」 都島工業高校の「天国どろぼう」などの作品が思い出されてきました。そうそう、町井陽子先生の「山の動く日」……榊原先生の「外向168」なんかも思い出されてきました。いずれもドラマの構造が確かで、登場人物の彫りが深かったですね。

 ロートルのわたしは、昔の作品群が懐かしく思い出されます。

   大橋 むつお

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高校ライトノベル・栞のセンチメートルジャーニー・4『ふるさと』

2018-09-18 06:32:01 | ライトノベルベスト

栞のセンチメートルジャーニー・4
『ふるさと』
    


 気がつくと一面の菜の花だった。

「いったいどこなんだろう?」
「栞に分からんものが、オレに分かるか」

 前回はいきなり、昭和三十一年の秋。それも栞が堕ろされた病院のすぐ側、O神社の近くに飛ばされ、栞が堕ろされる状況を追体験してしまった。

 どうも、この地図と年表は使いこなすのが難しいようで、栞がフト頭に浮かんだ場所と時代に行ってしまうようだ。げんに今、栞は「いったいどこなんだろう?」と他人事のように言った。

「田舎の話してたんだよね」

 栞は、菜の花を一本手でもてあそびながら、遠足のような気楽さで歩いている。

「ここ、お母ちゃんの田舎じゃない?」

 そう言われて、周りを見渡すと、母の田舎である蒲生野とは、いくぶん様子が違う。遠くに見える山並みが、幾分いかつく。蒲生野特有の真宗寺院を中心とした村々が見えない。ところどころに灌木に混じって白樺のような木々が立ち上がり、ちょっとした林になっている。林の彼方には茅葺きの家がたむろした村が見えるが、蒲生野のように、家々が肩を寄せ合うような集村ではなかった。道も畦道ではなかったが、道幅のわりに舗装もされておらず、電柱も……送電鉄塔さえ視野に入らない。

「名の花畑に 入り日薄れ 見渡す山野端 匂い淡し 春風そよ吹く……♪」

 栞が『朧月夜』を歌っていると、一瞬風が強くなり、ソフト帽が転がってきた。

「お……」
 反射神経の鈍いわたしは拾い損ねた。
「ほい」
 栞は、菜の花で、ヒョイとすくい上げ、帽子は、道の脇を流れる小川に落ちずにすんだ。
「やあ、助かりました。ありがとうございます」
 信州訛りの言葉が追いかけてきた。
「はい、どうぞ」
 栞は、帽子の砂を払って、信州訛りさんに渡した。
「どうもです。いやあ、セーラー服なんですね。ハイカラだ、都会の方なんですね」
 この言葉と周りの様子、そして信州訛りさんのスーツの様子から、大正時代以前だと踏んだ。
「ええ、東京の方です。素性はご勘弁願いたいんですが、怪しいものじゃありません」
「ご様子から、華族さまのように……いえいえ詮索はいたしません。東京の方が、こんな信州の田舎にお出でになるだけで、嬉しく思います。あ、わたし、永田尋常小学校に勤めております高野辰之と申します」

「高野さん……」

「しがない田舎教師ですが、いつか東京に出て勉強のやり直しをやろうと思っています」
 大人びてはいるが、笑顔は少年のようだった。高野という名前にひっかかったが、調子を合わせておいた。
「あれは、妹ですが、ちょいと脳天気で……」
「失礼よ、お兄様。わたくし栞子と申します。兄は睦夫。今上陛下の御名から一字頂戴しておりますけど、位負けもいいところです」
「それは、それは……いやいや、そういう意味ではなく」
「ホホ、そういう意味でよろしいんですのよ」
「あ、いや、どうも失礼いたしました」
 高野さんは、メガネをとって、ハンカチで顔を拭いた。向学心と愛嬌が微妙なバランスで同居した顔だった。
「高野さん、ここは、まさに日本の『ふるさと』という感じですね。わたくし、感心……いえ、感動しました」
「それは、信州人として御礼申し上げます」
「兎を追ったり、小鮒を釣ったり、菜の花畑に薄れる入り日……山の端が、なんとも……」
「匂い淡し」二人は、この言葉を同時に口にして、若々しく笑った。

 それから、高野さんは、信州の自慢話を、本当に楽しそうに語った。しばらくすると、道の向こうから高野さんのネエヤが、高野さんを呼ばわる声がした。

「これは、とんだ長話をしてしまいました。それでは、これでご免こうむります」

 高野さんはペコリと頭を下げると、少年のような足どりで菜の花の中に消えた。

「栞、どうして栞子なんて言うたんや」
「だって、この時代、華族さまの娘なら、子の字が付いてなきゃ不自然……見て、山の上に朧月が出た!」

 戻ってきてから気が付いた。高野辰之は『ふるさと』や『朧月夜』『春がきた』などの国民的な童謡を作った人だ。栞は知ってか知らでか、ずいぶん作詞のヒントを与えたようだが、平気な顔をしてゲ-ム機に取り込んだ童謡を聴いている。ボクは、その印象が薄れないうちに、この短文を書いているが、しだいに朧月のようにあやふやになっていく……。



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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・23『幸子テレビに出る』

2018-09-18 05:59:39 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・23
『幸子テレビに出る』
    


「対馬戦争が最後のカギだったんです」

 桃畑中佐が、静かに言った。


「しかし、あれで、三国合わせて二千人の戦死者が出たんですよ。ロボットによる戦闘が膠着状態になったんだから、あのあとは外交努力による解決こそが望ましかったんじゃないですかね」
 メガネのキャスターが、正義の味方風に、桃畑中佐を責めた。
「あれで、当事国は目覚めたんですよ。多くの命を犠牲にしてまでやる戦争じゃないって」
「その結果南西諸島も対馬も日本の領土と確定はしましたけど、新たなナショナリズムを掻き立てたんじゃないんですか!」
「……あなたは、僕になにを言わせたいんですか」
「だから、極東戦争は、生身の人間が……あなたの部下も含めて、命を失ったことに反省がないことが問題だと思うんですよ。思いませんか!?」
 キャスターの声は、過剰な正義感に震えていた。
「不思議なことをおっしゃいますなあ。僕たちは、命令に従ったんです。軍人なんだから」
「軍人だって、心というものがあるでしょう。防衛法三十二条、第三項にあるじゃありませんか。指揮官が精神的あるいは、肉体的に正当な指揮判断ができなくなったときは、次席の指揮官、作戦担当者が指揮をとれる!」
「僕は、単なる一方面の前線部隊の指揮官に過ぎない。僕への命令は、大隊司令から、大隊司令は、方面軍司令から、方面軍司令は、統合幕僚長の作戦命令に従った。そして、その作戦実行にゴーサインを出したのは、内閣総理大臣です。この命令に従わないのはシビリアンコントロールの原則に反します……お分かりになれますか?」
「その大元が狂っていた。そういう世論もあるんですよ。現に内閣は、戦争終結直後に総辞職している」
「それは、亡くなった人たちへの鎮魂のためだと理解しています」
「なんにも分かってないなあ。桃畑さん、これは言わないつもりだったんだけど、対馬戦争の直前に亡くなった、妹さんの敵討がしたかっただけじゃないんですか!?」
 桃畑中佐の目が一瞬光った。
「ありえません、そんなことは」

 ボクは、そこでテレビのスイッチを切った。

 幸子が、路上ライブをやるようになってから、動画サイトへのアクセスが増え、先日はナニワテレビが学校まで取材にきた。

 そのときリクエストで、先代オモクロの『出撃 レイブン少女隊!』を亡くなった桃畑律子そっくりに演ったことが、評判を呼び、動画へのアクセスも二百万件を超えた。
 これを、一部のマスコミが意図的なナショナリズムを煽ったと非難し始めた。
 桃畑中佐は、ただ妹の思い出の曲としてリクエストしただけなのである。ただ、それだけのことにマスコミは桃畑中佐をスケープゴートにして、叩きはじめた。
「お兄ちゃん。わたしがやったことって、悪いことだったの?」
 あいかわらず、パジャマの第二ボタンが外れたまま、幸子が無機質に歪んだ笑顔で聞いてきた。
「そんなことはないよ」
「じゃ、決めた」
 そう言うと、幸子は自分の部屋で、なにやらガサゴソやりはじめた。

「ジャーン、オモイロクローバーX!」

 部屋からリビングに突撃してきたのは、往年のオモクロの桃畑律子そっくりになった幸子だった。
 幸子は、ナニワテレビからのオファーで、出演が決まっていて、早手回しに衣装を送りつけてきていた。

 《出撃 レイブン少女隊!》 

 GO A HED! GO A HED! For The People! For The World! みんなのために

 放課後、校舎の陰 スマホの#ボタン押したらレイブンさ

 世界が見放してしまった 平和と愛とを守るため わたし達はレイブンリクルート

 エンプロイヤー それは世界の平和願う君たちさ 一人一人の愛の力 夢見る力

 手にする武器は 愛する心 籠める弾丸 それは愛と正義と 胸にあふれる勇気と 頬を濡らす涙と汗さ!

 邪悪なデーモン倒すため 巨悪のサタンを倒すため

 わたし達 ここに立ち上がる その名は終末傭兵 レイブン少女隊

 GO A HED! GO A HED! For The People! For The World! For The Love!

 ああ ああ レイブン レイブン レイブン 傭兵少女隊……ただ今参上!


 スタジオは満場の拍手になった。別にADが「拍手」と書いたカンペを持って手をまわしていたわけでは無い。
 ナニワテレビは、世論には無頓着で、かえって逆なでするように、幸子のパフォーマンスを流した。
「この、曲のどこがナショナリズムや言うんでしょうね。我々オッサンには、ただただ眩しい人生の応援ソングに聞こえますが。どうも佐伯幸子ちゃんでした。後ろでワヤワヤ言うてるのは、サッチャンの学校、真田山高校のみなさんです!」
 三カメが、われわれをナメテいく。祐介も優奈も謙三もいる、佳子ちゃんまでも大阪人根性丸出しでイチビッテいる。正式な付き添いであるボクはその陰で小さくなっていた。

「似てるよなあ」
「そっくりやなあ」
「懐かしいて、涙出てくるわ」
「桃畑中佐はんも来はったらよかったのに」
「いや、今日はお仕事の都合で……」
 ゲストが喋っているうちに、次のコーナーの用意がされる。幸子は制服に着替え、最後のコーナーに出ることになっている。
「あと8分です」
 ADさんが小声で伝えてくれる。

 俺は楽屋に幸子を呼びに行った。あいつのことだ一分もあれば着替えている。

「俺だ、入るぞ……」
「どーぞ」
 入って、またかと思った。幸子は下着姿で、マネキンのように立っていた。
「言ってるだろ、いくら兄妹だってな……」
「向こうの幸子が、ちょっとあって、こっちに呼ぶ準備してるの……」
「向こうの……とにかく着替えろよ」
「うん……」
「早く!」
「手伝って、あと、もうちょっとだから……」
「あのなあ……」
「早く!」
「オレの台詞だ……バカ、脱ぐんじゃないよ、着るんだってば!」
 脱いだ下着の前後に一瞬戸惑ったが、なんとか三分ほどで、着せることができた。

 何度やっても、こういう状況には慣れない自分を真っ当なのか不器用なのか、判断が付きかねた……。

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高校ライトノベル・栞のセンチメートルジャーニー・3『栞の終わりから始まる話』

2018-09-17 07:00:53 | ライトノベルベスト

栞のセンチメートルジャーニー・3
『栞の終わりから始まる話』
    


 玉串川から帰ってきて、和尚からもらった地図と年表を広げてみた。

「どないして使うんやろ。栞、分かるか?」
「分かんないよ。どうして使い方聞いてこなかったのよ」
「栞かて、聞けへんかったやないか」
「だって、兄ちゃん知ってるって思ったから」
「なんで、オレが分かるねん?」
「だって、社会科の先生だったじゃない」
「これは並のもんとは、ちがう。枯れる寸前の桜を満開にして、とうの昔に亡くならはった今東光和尚を呼び寄せたんは、栞の力やろ。せやから栞は分かってる思た」
「桜はわたしだけど、あの和尚さんは知らないもん」
「そんなこと言うたかてな……」
「そんなに頼りないから、早期退職なんか、するはめになったんじゃん!」
「じゃんとは、なんじゃ!」

 ……兄妹げんかになってしまった。

 そして、気が付くと、ここに居た。

 二十歳過ぎまで住んでいた大阪市の東北の町はずれ。O神社の秋祭りの真っ最中。

 この近所に、終戦後、まだ少年だった野坂昭如が、赤ん坊の妹と一時期住んでいた。O神社自体、その縁起は源義経にまで遡る由緒正しい神社である。
 栞と二人で現れたのは、神社の前ではない。鳥居の前を東西に走る道の西の外れあたり、見覚えのある御旅所に御神輿が据えられ、町内の大人や子供たちで賑わっていた。
 道沿いの様々な出店が黄昏の中に、ポツリポツリと電球を灯し始めていた。

「あたし、ちょっと遊んでくるね」

 あたりをグルリと見渡して、栞は気楽に、そう言った。かなたに学校帰りの女学生の一群がいて、たちまち、その中に紛れてしまった。

 電気屋の前は人だかりがしていた。

 覗き込むと、ショ-ウインドウの中のテレビが大相撲の秋場所を中継している。
「がんばれ、千代の山!」と子どもの声がした。行司の呼び出しで、千代の山と東富士の横綱同士の対戦と分かったが、記憶にない。おそらく大鵬、柏戸以前の横綱だろう。道路が舗装されていないことや、映画の看板から、昭和三十年代の初めごろと感じられた。
 町行く人たちに、ボクの姿は見えているようで、ぶつかるようなことは無かった。しばらく行くと『祝政令指定都市』の横断幕が目に付いた。錆び付いた記憶をたどってみると、大阪が京都や横浜などと並んで政令指定都市になったのは、昭和三十一年である。良く覚えていたものだと、自分で感心したら、横断幕に昭和三十一年九月一日と書かれていた。我ながら間の抜けたオッサンである。

 タコ焼きや イカ焼きの良い匂いがしてきた。

 値段を見ると十個十円と書いてある。そう言えば、物心ついたころ、タコ焼きは十円で十個と八個の店があり、値段の端境期であった。姉は友だちと足を伸ばして遠くの店まで十個十円のタコ焼きを買いにいっていたっけ。安いと思った。が、この時代の金は持っていない……と、ポケットをまさぐると、百円札二枚と、十円玉八個が入っていた。念のため十円玉を調べると、みんな、この年以前のギザ十だった。

「おっちゃん、二十円で」
「はいはい」

 オッチャンは経木の舟に手際よくタコ焼きを並べ、ハケでソースを塗って、青のり、粉鰹をかけて新聞紙でくるんでくれた。この時代は、マヨネーズをかける習慣はまだない。
 栞が戻ってきたら食べようと、両手でくるむようにして持った。

 首を向けると本屋が目に入った。

『三島由紀夫 金閣寺発売』の張り紙が目に飛び込んできた。『金閣寺』の初版本は古本の相場でも十万円はするだろう……値段を見てガックリきた「二百八十円」 タコ焼きを買わなければ買えた。と、よく見ると、発売は十一月で、予約受付中になっていて苦笑する。

 キキ、キー……と微かな音がした。

 向こうの大通りを走る市電のきしむ音だ。あの通りと川を越えると、当時住んでいた社宅がある。そこには三十を超えたばかりの両親と六歳の姉、そして三歳の自分自身が居るはずだ。でも、とても見に行く気にはなれない。ここに来たのが唐突であったこともあるが、ボクにとっては、昭和というのは、忘れ物と同義である。だが、この忘れ物に正対する性根がボクには無い。

 突然悲鳴がした。

 キャーともギャーともつかない断末魔のような悲鳴が……!

 悲鳴の方角には路地があり、路地の入り口には古ぼけたブリキの看板があった。
『S産婦人科→』
 他の人たちには聞こえなかったようで、みな、電気屋のテレビや、屋台の出店、本屋に群がり、あるいは、そぞろ歩いていた。何十分かがたった……路地の向こうの産婦人科の出入り口から小男が出てきた。小さな体からは罪ともやるせないとも取れる気持ちが滲み出て、小さな体を俯かせ、さらに小さくしていた。
 小男が、ボクの前を通り電車通りの方に向かった。

 刹那、その横顔が見えた。

 と、父ちゃん……!?

 父の背中を見送って、ノロノロ振り返ると、栞がションボリと立っていた。
「兄ちゃん、見てしまったんだね……」
「し・お・り……」
「なんで、こんな時代、こんな場所にタイムリープしちゃったんだろうね」
「ここは……?」
「……わたしが死んだ場所……お母ちゃんは、明日の朝には帰る」

 秋祭りの賑わいの中、手の中のタコ焼きは、すっかり冷めてしまった……。 


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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・22『レイブン少女隊』

2018-09-17 06:33:33 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・22
『レイブン少女隊』
    


 幸子の頭脳には二つのバージョンがある。

 サイボーグとして、インストールされた状態で働くプログラムバージョン。
 僅かに残った数パーセントの神経細胞が働くニュートラルバージョン。

 プログラムバージョンは急速に成長している。感情表現も豊かになり、バージョンアップは、声や表情などを完ぺきにコピーできるところまできている。
 ニュートラルバージョンは……分からない。ただボクへの反応が無機質であることには違いない。

「お兄ちゃん、ど、どうしよう、放送局がやってきちゃった!」

 放課後、幸子がアタフタと、ケイオンの仮練習場にやってきた。むろん、この女の子らしいアタフタはプログラムバージョンである。

「あ、飛行機事故の取材かなんかじゃないのか?」

 真田山高校は、三日前、グノーシスAGRに操られた軽飛行機が突っこんできて、視聴覚教室を中心に大被害を被った。
 視聴覚教室は、我がケイオンのメインスタジオだったので、今は狭い放送室を使っている。でも使えるのは、加藤先輩たちの選抜メンバーだけで、ボクたちその他大勢は、普通教室で、アンプ無しのマッタリでやっている。

「ち、違うのよ!」
「一昨日の路上ライブが動画サイトでもすごくて、そんで、テレビ局が取材。サッチャンを!」
 早手回しにタンバリンを持った佳子ちゃんが補足した。
「で、でも、緊張しちゃって……それに、今日は演劇部の日だから、ギター持ってきてないし」
「それなら、簡単やんか……」

 優奈が走り回り、お膳立てをした。

 グラウンドの一角に、演劇部とヒマなケイオンのその他大勢で、特設ステージを組み、ギターは加藤先輩が、自分のギブソンを貸してくれた。その間テレビのクルーは、飛行機が突っこんできた跡や、しゃしゃり出た校長先生の取材なんかをやっていた。
「ええ……かくも迅速に復旧できましたのは、府教委はじめ保護者、卒業生の……」
 その時、グラウンドから、ADさんのOKサイン。
「ありがとうございました。それでは、最近動画サイトなどで人気上昇中の、佐伯幸子さんの演奏をライブでお届け致します!」
 MCのセリナさんを先頭に、スタッフがグラウンドに突撃した。

 三曲ほど唄ったところで、スタジオから注文がきた。

「あ、あ、そうですか……サッチャン(幸子さんが、もうサッチャンになっている。マスコミの変わり身、早!)スタジオに初代オモクロの桃畑律子さんのお兄さんが来られてるんですけど、その桃畑律子さんの『出撃、レイブン少女隊!』のリクエストが来ているんですけど。お願いできますか?」
 桃畑律子は、極東戦争が終息しかけたころ、危険も顧みずに『アジアツアー』の途中、乗っていた飛行機が撃墜され、それが対馬戦争の発端になった。
 幸子は、二秒で、律子の情報をインストールした。後ろ向きになると髪を律子のようにトップ気味のツインテールにし、イントロを奏で、振り返ったときは律子そのものだった。

 《出撃 レイブン少女隊!》 

 GO A HED! GO A HED! For The People! For The World! みんなのために

 放課後、校舎の陰 スマホの#ボタン押したらレイブンさ

 世界が見放してしまった 平和と愛とを守るため わたし達はレイブンリクルート

 エンプロイヤー それは世界の平和願う君たちさ 一人一人の愛の力 夢見る力

 手にする武器は 愛する心 籠める弾丸 それは愛と正義と 胸にあふれる勇気と 頬を濡らす涙と汗さ!

 邪悪なデーモン倒すため 巨悪のサタンを倒すため

 わたし達 ここに立ち上がる その名は終末傭兵 レイブン少女隊

 GO A HED! GO A HED! For The People! For The World! For The Love!

 ああ ああ レイブン レイブン レイブン 傭兵少女隊……ただ今参上!


 在りし日の桃畑律子そのままだった。

 極東戦争後、悲劇の歌のジャンヌダルクと言われた彼女だが、新生オモクロやAKRに押され、しだいに懐メロ化してきたこの歌と共に、あまり見られなくなった。その陰には、アジア諸国を刺激したくないという政府の意向が働いていて、NHKなどでは取り上げられなくなり、たまに懐メロで出てくるときは、ソフトにアレンジされていた。

 それを、幸子は、もっともエキセントリックだったころの桃畑律子そのままに熱唱した。

 スタジオでは、律子の兄で空軍中佐の桃畑太郎が、目を真っ赤にして聞いていた。歌い終わると、グラウンドも、スタジオも、日本全国と世界の一部の家庭の茶の間も感動の渦に巻き込まれた。この部分は、数時間後には、動画サイトに投稿された。

「飛行機事故から立ち上がり始めた真田山高校グラウンドからお届け致しました。いま話題の佐伯幸子、サッチャンでした!」
 幸子を取り巻き、真田山の生徒や先生達、MCのセリナさん達が、明るく手を振って中継は終わった。

「お疲れ様でした。これ、ナニワテレビからのささやかな差し入れ」
 セリナさんがヌクヌクの紙袋を渡した。
「わ、タイ焼きの団体さんだ!」
 優奈が叫び、それを合図にみんなの手が伸びてきた。

 そして、本編と共に、改めて動画サイトに投稿され、一日でアクセスは五万件を超えた……。

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高校ライトノベル・アンドロイド アン・18『ちかごろのアン』

2018-09-16 14:34:38 | ノベル

アンドロイド アン・18

『ちかごろのアン』

 

 

 ちかごろアンの様子が変だ

 

 P音事件はアンを弄ろうとした早乙女采女たちが最終的には赤っ恥をかいた事件で、日ごろ采女たちを快く思っていない者たちは溜飲が下がった。

 アンは数ある被害者の一人として、いわば脇役の位置だが、俺はアンの仕業だと思っている。

 学校に置き勉を認めさせたのは、親友の赤沢や俺たち生徒有志の願いが通じたということになっているが、ヒントをくれて方向付けをしたのはアンだ。

 先日の台風では、カーポートで顔の右半分を血まみれにするというアクシデント。それを目にした町田夫人が卒倒してしまったが、ほんの数十秒で顔を直し、庭の八つ手の葉っぱが貼りついて町田夫人が見誤ったということに修正した。

 

 どうにもアンの狙いが分からない。いや、アンのスペックそのものもよく分からない。

 もっと突き詰めれば、なんで俺の家にやって来たか、そもそものところで分かってないんだけど、聞いても答えない、いや、アン自身もよく分かってないんだろう。

「ちょっと、なにわたしのお尻ばっか見てるのよ」

 掃除機のスイッチを止めたかと思うと、振り返って吸い取り口を向けてきやがった。

「そ、そんな、見てねーし」

「わたしの視覚器官は目だけじゃないのよ、どこにあるかは言えないけど、新一の安全を図るために日夜センサーを働かせてるの。あ、見たことを咎めてんじゃないわよ。見たけりゃいくらでも見せてあげるけど、昼間のリビングというのはねえ……ここ、町田夫人の二階の窓から丸見えだし。夜まで待ってくれたら、ベッドの上でいくらでも……」

「バ、バカ、なに言ってんだ」

「ハハハ、照れた新一カッワイイ~!」

「お、俺はだな~!」

「分かってる、わたしのこと心配してくれてたのよね……これはセンサーじゃなくて、その……以心伝心的な、ほら、言うじゃん『忍ぶれど色に出にけり……』だっけ?」

「ちょっと違うと思う」

「ま、だけど、ザックリそういうことだから。あ、いっけな~い、もう、こんな時間!」

「なんかあんのかよ」

「あした敬老の日でしょ、町田夫人に頼まれてるのよ、福寿会のお手伝い……なに、ボサっとしてんのよ、新一も手伝いにいくんだから!」

「え、俺もか?」

 急き立てられるようにして福寿会の過剰であるコミュニテイーセンターに向かう。

 

 この準備で、アンはお皿二枚を割って、花屋の注文書の3と書くところを8と間違えてハラハラさせてくれる。

 目が離せないが、ご町内の明るい働き手というポジションを獲得しつつある。

「いやー、すいませんドジばっかで💦」

「失敗したときが一番かわいいから、始末が悪いわねえ(^_^;)」

 冷や汗をかきながらも、町田夫人はアンといっしょにやることを楽しんでくれているようだ。

 ま、しばらくは見守ることにしようか。

 

☆主な登場人物 

 新一    一人暮らしの高校二年生だったが、アンドロイドのアンがやってきてイレギュラーな生活が始まった

 アン    新一の祖父新之助のところからやってきたアンドロイド、二百年未来からやってきたらしいが詳細は不明

 町田夫人  町内の放送局と異名を持つおばさん

 町田老人  町会長 息子の嫁が町田夫人

 玲奈    アンと同じ三組の女生徒

 小金沢灯里 新一憧れの女生徒

 赤沢    新一の遅刻仲間

 早乙女采女 学校一の美少女

 

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高校ライトノベル・栞のセンチメートルジャーニー・2

2018-09-16 07:36:00 | ライトノベルベスト

栞のセンチメートルジャーニー・2
『その始まり』
 
          

 いちだんと出不精になったね

 冷蔵庫から、お決まりのコーヒー牛乳のパックを二つ取りだし、炬燵の上に並べながら言った。

「オレは、そんなに肥えてない。現役時代の67キロをキープしてる」
「そのデブじゃないよ。相変わらずのダジャレだなあ」
 パックにストローを刺して、わたしに寄こした。
「還暦前のオッサンが、引きこもって、コーヒー牛乳飲みながら、パソコン叩いてるのは……」
「なんやねん?」
「うら寂しいね……」
 そう言って、栞は、コーヒー牛乳を飲みながら、部屋を眺め回した。

「あ、カレンダーが二月のままだ」

 身軽に立ち上がって、従兄弟のお寺さんからもらった、細長いカレンダーをめくった。寺のカレンダーなので、月ごとに、教訓めいた格言が書いてある。

「人間には 答の出ない悲しみあり……か」

 格言を音読した栞を見上げるようなかたちで目が合った。

「兄ちゃんの悲しみは……悲しみの象徴が、わたしなんだよね」
「何を勝手にシンボライズしとんねん」
「ほらほら、言ってみそ。『神崎川物語 わたしの中に住み着いた少女』に書いてるでしょ。『こいつには、いっぱい借りがある』って。あれは素直で、たいへん結構でした、花丸!」
「あれは、文飾や文飾!」
 わたしは、飲み終わったコーヒー牛乳のパックを屑籠に放り込んだ。見事に決まり、ガッツポーズ
「ナイス、ストライク!」
「子供じみたことを……雫が垂れて拭くのはわたしなんだよ」
 栞は、卓上のティッシュを引っぱり出して拭いた。
「今、拭こうと思たとこや!」
「どうだか……」

 栞は、天井に付いたままのシミを見上げながら言った。

「あれ、リョウ君が小さいときに、チュウチュウ握って吹き上げたときのシミ。すぐに拭くからって、そのままにしたもんだから、もう取れなくなっちゃったんだよね」
「なんで、そんな細かいとこまで知ってんねん!?」
「だって、妹だもん。それも悲しみの象徴の……」
 おちょくった憂い顔になった。
「これ、見てみい……」
 本棚から、一枚の封筒を取りだし見せてやった。
「公立学校共済……年金見込額等のお知らせ?」
 コーヒー牛乳の最後の一口を口に含んで、栞は吹き出しそうになった。
「安……!」
「せやろ、シブチンやないと、長い老後はやっていかれへんのや!」
 わたしが二十七年間勤めて、確定した共済年金額は1165900円に過ぎない。老齢年金や、個人年金を加えてもカツカツである。

「でも、それが出不精の言い訳にはならないわよ!」

 その一言で、栞を乗せて、玉串川の川べりを自転車で二人乗りするハメになった。

 むろん栞の姿は見えないので、人にはえらく重い自転車を漕いでいるように見える。

「なんで、幻の栞に体重があるんや!」
「兄ちゃんには、栞は実在だからね。悪しからず」
 この二三日暖かくはなったが、玉串川の桜は、まだまだ固い蕾だった。
「まだ、ちょっと早かったなあ……」
「ちょっと、待っててね」

 栞は自転車を降りると、あたりを見渡し、一番老木と思われる桜に、何やら話しかけ、気安く「お願~い!」という風に手を合わせた。

 すると……その桜が、みるみる満開の桜になった。

「うわー、ごっついやんけ!」
 思わず、河内弁丸出しで声を上げてしまった。
「この桜はね、もう歳をとりすぎたんで、この春には咲かないんだ。咲かないと分かったら、もう切り倒されるだけ……で、お願いしたの。元気だったころの姿を一度だけ見せてちょうだいって」
「ほんなら、これは……」
「この桜の青春時代……三十分ほどしか見られないから、しっかり見て上げて」
「うん……」

「これは見事やなあ……!」

 十分ほどたったころ、後ろで声がした。

 見ると、目のギョロっとした坊主が、後ろ手を組んで満開の老桜を見上げていた。

「このお坊さん、この桜が見えるんだ……」
 この桜の満開の姿は、他の通行人の人には見えない。なのに……。
「フフ、お嬢ちゃんの姿も見えてるで。お嬢ちゃんが、この桜を励ましてやってくれたんやな」
「あ、あ、あの、お坊さん……」
「孫ほど歳が離れてるように見えとるけど、あんたら兄妹やな……」
「坊んさん……ひょっとしたら、天台院の?」
「せや、今東光や……」

「これ貸したげよ」

 満開の桜の下で、事情を説明すると、東光和尚は、衣の袖から、何やら取りだした。
「これは、地図帳と年表ですね……」
「せや、ただ特別製でなあ。力のあるもんが念ずると、それで、旅行がでける。地理的にも時間的にもな」
「ボクに、そんな力が!?」
「アホいいな。あんたは、ただの初老のおっさんや。力があるのは、妹さんの方や」

「わたしが?」

 栞もびっくりした。

「この桜を元気づけて、昔の姿を思い出せたんや、あんたには、そのくらいの力はある。まあ、家帰って試してみい。単位にしたら、地図の上ではほんの何センチやけど、ほんまに行けるよって。まあ、ちょとしたセンチメートルジャーニーやな」
 そのダジャレが自分でもお気に召したのか、東光和尚は呵々大笑された。
「こんな貴重なもの……どんなふうにお返しにあがったらよろしいんでしょう?」
「あんたが、要らんようになったら、自然にワシとこに戻ってきよる。気いつかわんでええ」

「ありがとうございます」

 兄妹そろって、頭を下げた。

「ほんなら、もういに。あんたらは、もう、この桜堪能したやろ……こいつは、もとの老桜に戻るとこは見られたないらしい」
「あ、ほんなら、これで失礼します」
 わたしは、自転車に跨った。妹の体重が掛かるのを感じてペダルを踏もうとしたとき、東光和尚の声がかかった。
「お嬢ちゃん、あんた名前は?」
「はい、栞っていいます」
「ええ名前や。人生のここ忘れるべからずの栞やなあ……大事にしたりや、兄ちゃん」

 和尚が桜を見上げるのを合図のように、ボクはペダルを漕ぎ出した。

 そして、後ろはけして振り返らなかった……。

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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・21『AGRの存在』

2018-09-16 06:58:57 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・21
『AGRの存在』
    

 

 

 ようやく三日目に学校は再開された。

 幸子は、佳子ちゃんといっしょに先に行く。
 出かけるときに、ちょっとしたドラマがあった。

「おはようございます」

 トイレに行こうと廊下に出たところで、佳子ちゃんと目が合った。
「おはよう……」
「あの、はっきりしときたいんやけど」 
「は?」
「お兄ちゃんのことは、なんて呼んだらええのかしら?」
「あ……なんとでも」
「お兄ちゃん……はサッチャンの言い方やし。ウチが言うたら、なんやコンビニのニイチャン呼んでるみたいやし、お兄さんは、なんかヨソヨソしいし……」

「そのとき、そのときでいいんじゃない」

 幸子が割って入った。

「そやかて……」
「なんなら、太一さ~んとか呼んでみる」
「いや、そんな恋人みたいな呼び方」
「じゃ、いっそ恋人になっちゃえばいいじゃん!」
「へ!?」
 ボクは、びっくりして……オナラが出てしまった。

 ボクは、十分遅れて家を出た。これで十分遅刻せずにすむ。しかし、朝から佳子ちゃんの前でオナラ……なんだか、ついていない一日になりそう予感がした。

 予感は的中した。

「佐伯太一君だよね?」

 懐から定期を出そうとして声が掛けられた。実直そうな公務員風のオジサンと、その娘とおぼしき女の子が一歩下がって立っていた。女の子は真田山の隣の大阪フェリペの制服を着ていた。AKRの矢頭萌に似たカワイイ子で、そっちの方に目がとられた。

「申し訳ないが、一時間ほど時間をいただけないかな」
「あ、でも学校が……」
「わたしは、こういうものなんだ」
 出された、警察のIDみたいなものには「甲殻機動隊副長・里中源一」と書かれていた。
「お願い、太一さん……」フェリペが切なそうな声で言ってきた。
「娘のねねだ。学校には、役所の名前で公欠扱いにしてもらう」
 ボクは、公欠ではなく、ねねちゃんの「太一さん」に惹かれて頷いた。

 それは、一見どこにでもあるセダンだった。

 ただ、ドアを開けたとき、ドアが微妙に分厚いのが気にかかった。

「これは甲殻機動隊の機動車でね、超セラミック複合装甲で、対戦車砲の直撃にも耐えられる。サイバー防御も完ぺきで、ここでの会話は、アナログでもデジタルでも絶対に漏れない」
「は……で、お話は?」
 ボクは、横に座ったねねちゃんの温もりを感じてときめいていた。
「幸子ちゃんのことだよ」
「幸子の?」
「ああ、君も知っているだろうが、あの子の体は義体だ。それも特別製のな」

 幸子のことを知っている……一瞬警戒したが、すっとぼけられるほど器用ではない。

 一呼吸置いて、素直に質問した。


「どう特別なんですか?」
「義体とは、機械のボディーに生体としての皮膚組織を持ったロボットやサイボーグのことだ。技術はパラレルの向こうの世界のものだ」
「それは知ってます」
「最新の技術で、あの子の義体は予測のつかない進化をし始めている」
「それも、なんとなく感じています。少し怖ろしいぐらいです」
「そうなんだ……」

 ねねちゃんがため息をついた。いい香りがして、目がくらみそうになった。

「あの子の頭脳もそうだ。数パーセント残った神経細胞が頭脳を急速に発達させている。夕べ、向こうの幸子ちゃんと入れ違っただろう」
「……そんなことまで知ってるんですか?」
「ああ、君たちのことは二十四時間監視している。今朝、佳子ちゃんの前で屁をたれたこともな」

「え!?」

「フフ……」

 ねねちゃんが笑った。可愛さのオーラが車内に満ちあふれた。

 ねねちゃんが居なければ、オッサンの威圧的な雰囲気には耐えられないだろう。

「幸子ちゃんが入れ替わったのも、あの子がやったことだ。正直予想以上の進歩だ」
「あれ、幸子がやったんですか!?」
「ああ、無意識でな。理由は分からんが、あの子の頭脳が必要と判断したんだろう……話は前後するが、我々はグノーシスだ」

「え……」

「甲殻機動隊は、こちらの世界のグノーシスのガーディアンだ。ムツカシイ理屈は後回し。幸子ちゃんは、両方の世界にとって、非常に大事な存在なんだ」

 ねねちゃんが、ボクの顔を見て真剣な顔で頷いた。

「両方の世界で、科学技術の進歩と人間の心のバランスが崩れ始めてる。新潟に原爆が落とされたことなんかが、その例だ。こっちの世界じゃ、極東戦争とかな」
「ああ……」
「君のお父さんが、営業から外れていたことの理由も、ここにある」

「え……?」

「お父さんは、自分の会社が戦争に絡んで儲けているのに抵抗があったんだ。対馬の戦闘はお父さんの企業が絡んで起こったものだ。まあ、あれで日本は勝利できたんで、評価は分かれるとこだがな」
 愕然とした。お父さんは、単に営業に向いていないから外れたんじゃないんだ。
「向こうの世界じゃ、今それが起ころうとしている。俺たちグノーシスの主流は、密に交流しあうことで、互いに健全な発展を図ろうとしている」
「それと幸子と、どう関係があるんですか?」
「幸子ちゃんの頭脳は、成長すれば、世界中のCPにアクセスし、争いを回避させる潜在能力がある」
「CPだけじゃないわ、人の心にも働きかける力があるかも……」
 ねねちゃんが、熱い眼差しで呟いた。
「それは、まだ仮説中の仮説だがね……グノーシスの中には違う説を言うやつらもいる。そいつらが幸子ちゃん無しで、パラレルな世界が個別に発展した方がいいと考え、幸子ちゃんの抹殺を企んでる」
「こないだの美シリ三姉妹の飛行機事故……」
「そう、我々も極秘でガードさせてもらうが、君もよろしく頼むよ」
「……はい」
「幸子ちゃんが、その力を持つのは、ニュートラルで君に自然な感情が示せるようになった時だ」

 そのとき、車が勝手に走り出した。

 里中さんもねねちゃんも、左側に倒れ込んだ。ねねちゃんは俺の方をを向いていたので、もろに体が被さってきて、俺は右半身で、ねねちゃんの胸のフクラミを受け止めてしまった!

 ドッカーーーーーーン!!

 車が走り出した直後、それまで車を停めていた路面が大爆発した。

『ガス管の亀裂を感知したので、回避しました』車が喋った。

「それ、先に言ってくれ」里中さんがぼやく。
『回避を優先しました。悪しからず』
「ガス会社のPCにリンクして、事故の原因を精査」
『了解、多分AGRでしょう』
「AGRって?」
「グノーシスの反主流派。多分、痕跡も残ってないでしょうけど」
「ねねちゃん、その声……?」
「フフ、ばれちゃった?」
「ハンス……か?」
「こちらの世界に来たときの義体」

「ええ!」

 鳥肌がたった。

「なによ、こないだ見たハンスも義体よ」
「性別含めて、オレにも分からん。ただ、こっちの世界じゃ、オレの娘ということになってる」
「よろしくお願いします」

 ハンス? ねねちゃんは元のかわいい声に戻って、にっこりした。

 車から降りると、ガス爆発で飛行機事故以上の大騒ぎになっていた……。


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高校ライトノベル・栞のセンチメートルジャーニー・1『おひさしぶり』

2018-09-15 06:58:06 | ライトノベルベスト

栞のセンチメートルジャーニー・1
『おひさしぶり』
    


 幾つかの原因がある。


 年末から続いていた寒さが、急に緩み、四月上旬並の上天気になったこと。
 蔵書点検のために、五日間図書館が休んでいたこと。
 カミサンが「ついでに、アタシの予約本も取ってきて」と、わたしに図書カードを渡したこと。
 そして、わたしの気が緩んでいたこと。

 最後の「気の緩み」から説明が必要だろう。

 わたしは、五十五歳で早期退職をしてからは、家で本ばかり書いている。書いてはブログのカタチでアップロードしている。
 昨年の秋、六年ぶりに紙の本を出した。これが、あまり売れない。それが、昨晩旧友が「ネットで発見して、楽天に注文した」とメールを寄こしてきた。横浜の高校も、わたしの戯曲を上演したいとメールを寄こしてきた。で、ああ、オレも物書きのハシクレなんだと目出度く思ってしまった。

 本を書くことをアウトプットだとしたら、人の本を読んだり、映画を観たりすることはインプットである。しかし読むのが遅く、戒めとして、図書館で本を借りるときは、二冊を超えないようにしている。
 蔵書点検明けの図書館は混んでおり、カウンターの前は、ちょっとした行列になっていた。行列はバーゲンと同じように勢いがある。
「お願いします」
 カウンターに二枚の図書カードを置くと、「少々お待ち下さい」と言われ、数十秒後には六冊の本が出された。

――あいつ(カミサン)五冊も予約しとったんか!?――

 で、つい、カウンター横の新刊書を、装丁だけで選んで二冊加えた。その時セミロングの女子高生が、数冊の本を返しにきたのとゴッチャになった。
「あ、こっちがわたしのんです」
 女子高生と、司書の女の人は手際よく本を分けて、処理を済ませた。

 家に帰って、袋から本を出し、カミサンのと自分のとに分けた。本に間違いはなかったが、一枚のシオリが混じっていた。
 たまに借りた本の間から、前の借り主のシオリが出てくることがある。カミサンは嫌がって捨ててしまうが、わたしは気にせず使って、読み終わったら挟んだまま図書館に返す。

 そのシオリは、本と本の間から出てきた。

 まあ、同じようなものだと思い、炬燵の上に本といっしょに置いておいた。そして、いつものようにパソコンで日刊と、勝手に自分で決めた連載小説を打っていた。
「どないしょうかな……」
 ささいな表現で止まってしまった。
「『そして彼女は』か……『そのとき彼女は』どっちかなあ……」
 その時、パソコンの向こうから声がした。
「『やっぱり彼女は』だよ」
「ん……?」

 パソコンのモニター越しに、座卓がわりの炬燵の向こうを覗くと、そいつが居た。

「おひさしぶり」
 
 セーラー服のセミロング。その定番の姿で妹がいた。

 この妹は戸籍には載っていない。で、わたし以外には姿が見えない。
 わたしは、三つ上の姉と二人姉弟である。ずっと、そう思っていた。しかし、わたしが高校三年生の時に、父がこぼした。

「……おまえには、三つ年下の妹がいたんや」

 その日、担任が家庭訪問をして「卒業があぶない」と言って帰った。わたしは、すでに二年生で留年し、修学旅行を二回も行き、五月生まれなもので、わたしは、すでに十九歳であった。
「あのころは臨時工で、収入も少なかったし、先の見通しも立てへんよって、三月で堕ろしたんや」
 父は、わたしの不甲斐なさがやりきれなかったんだろう。だから、こんな痛い言い方をした。

 それから折につけ、姉によく似た高校一年生の妹の姿が頭に浮かぶようになった。

 姉は、わたしと違って、勉強も良くでき、親類や近所では評判が良かった。高三のときは、担任から大学への進学も勧められていた。しかし、わたしを大学に行かせるために、姉は高卒で働いていた。
 痛む心に浮かんだ妹の姿は、そんな姉を、少しこまっしゃくれた感じにした印象だった。わたしの生来のずぼらさや、意気地のなさをせせら笑っているような姿形で浮かんでくる。

 こいつが、早期退職して間もないころ現れるようになった。
 今と同様、文章の言葉に悩んでいるとき、炬燵の向こう側に現れた。両手両足を炬燵につっこみ、炬燵の天版にアゴを乗せ、「バカ……」と一言言って現れた。

 若干の混乱のあと、妹であると知れた。知れたとき、また「バカ……」と言った。

 ミカンの皮を剥きながら名前を聞くと、こう答えた。
「栞(しおり)」
 ……人生のここ忘れるべからずのための栞である。

「兄ちゃんばかだからね」

 そう言いながら、気まぐれにヒントやアイデアをくれ、あとは仕事場を兼ねたリビングで遊んでいる。栞にとっての遊びは、乱雑にした本の整理をしながら、気に入った本を読むことである。時に気持ちが入り込んだ時はボソボソと音読になり、突然笑ったり、泣いていたりする。それが面白くニヤニヤと笑って観てしまう。それに気づくと「バカ」と、口癖を言う。
 ある日、車のコマーシャルで、長崎の『でんでらりゅうば』をやっていて、それが気に入ってやりはじめた。役者をやっていたころ、基礎練習で、これをやったので、わたしは容易くできる。それが悔しいのだろう「でんでらりゅば、でてくるばってん……」と続けていた。

 気が付くと『でんでらりゅうば』が聞こえなくなり、居なくなった。で、それがまた現れた。

「おひさしぶり」 

 今度は、かなり絡まれそうな予感がした……。

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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・20『6・25%のDNA』

2018-09-15 06:24:29 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・20
『6・25%のDNA』
    



「おはよう」の声はいつもの通りだった。

 昨日、大阪城公園の路上ライブから帰ってからの幸子は変だった。
 普段の無機質な歪んだ笑顔をしないのだ。
 いつもならパジャマの隙間から胸が見えてると言っても平気でいるのに、夕べは、頬を赤くして怒った。

「おはよう」の声が、いつも通りなんで俺は試してみた。
「第二ボタン、外れてるぞ」
「うん……」
 狭い洗面所の中だったので、いっそう丸見えだったけど、いつものように気にもしない。
 顔を洗うので、洗面台を交代しようとして、幸子がささやいた。
「あとで、わたしの部屋に来て」

「夕べ、別のわたしがいたでしょう」

「幸子、こういう状況で、部屋に人を入れるもんじゃないぜ。たとえ兄妹でも」
 幸子は、下着一枚で姿見の前に立っていた。
「ごめん、ニュートラルにしとくと、こういうこと気にならないもんだから」
 そう言って、幸子は服を着だした。
「オレも、夕べの幸子は変だと思った、話が合わなかったし、恥じらいってか、自然に女の子らしかった」
「わたしも。このパンツ、わたしのじゃないし」
 スカートを派手にまくって、相違点を指摘する。
「だから、そういうところを……」
「うん、プログラム修正……だめだ」
「どうして?」
「これ、修正しちゃうと、お兄ちゃんにメンテナンスしてもらえなくなる。メンテナンスの時はニュートラルでダウンしちゃうから、恥じらいをインストールしちゃうと、裸になったり、股ぐら開いたりできなくなる」
「せめて、そのダイレクトな物言いを……」
 構わずに、幸子は続けた。
「わたしのパンツも一枚無くなってる……確かね、パラレルから別のわたしが来た」
「オレも、こんなのシャメった」
「盗撮?」
「あのな……」
 ボクは、風呂上がりの幸子の様子が変だったので、後ろ姿を写しておいた。タオルで髪を巻き上げていたので、耳の後ろがよく見えている。耳の後ろの微妙な皮膚の盛り上がりがない。
「これ、右側だよ。コネクターは左側」
「これ、リビングの鏡に写ったの撮ったから、左右が逆なんだ」
「情報修正……お兄ちゃんは記録より少し賢い」
「コネクターが無いということは……」

「この幸子は、義体じゃない」

「じゃ、小五の時の事故は起こってないってことか」
「……そういうことね。向こうのパソコンで検索したんだけど、大事なところで違いがあるの」
 幸子は、ケーブルを自分のコネクターとパソコンを繋いだ。
「アナログだなあ、ワイヤレスじゃないのか」
「ワイヤレスだと、誰に読まれるか分からないからよ」

 数秒して、画面が出てきた。ウィキペディアの第二次大戦の情報のようだ。

「ここ。原爆は、広島、長崎と新潟に落とされてる」
「新潟に?」
「こっちの世界でも、投下の候補地にはなったけど、グノーシスの中で情報が交換されて、こっちの世界では、新潟への投下は阻止された。他にも、いろいろと相違点はある」
「パラレルワールドの誤差だな」
「ううん、互いに意識して、グノーシスたちが変えたものがほとんど」
「グノーシスって……」
「お兄ちゃんが、想像している以上の存在。わたしも全部は分かっていない。ちょっと、これ見て」
 幸子は、写真のフォルダーを開いた。
「あっちの幸子は、マメな子ね。親類の写真をみんな保存しているの……これよ」
 そこには、「ひいひいじいちゃん・里中源一」と書かれた、実直そうな青年が写っていた。
「うちの親類に、里中ってのはあったかな……」
「こっちの世界で、これにあたるのは……山中平吉」
 パソコンには、お父さんのアルバムの中にあった、お父さんのひいじいちゃんの写真が出てきた。
「向こうの世界じゃ、この平吉さんは、新潟の原爆で亡くなってるの」
「……ということは」
「八人のひいひいじいちゃんが一人違うってこと。だから佐伯家は、向こうと、こっちじゃ、微妙にDNAが異なる。玄孫(やしゃご)の代じゃ6・25%、外見的に影響ほとんどないけどね」
 ボクの頭の中で、何かが閃いたが、お母さんの一声で吹っ飛んだ。
「幸子、太一、朝ご飯早くして、片づかなくて困る!」

「……でも、幸子、モノマネ上手くなったな。テレビの取材なんか受けてたじゃん」
 ボクは、歯に挟まったベーコンをシーハーしながら、ナニゲに聞いた。
「うん、自分でも止まんないの……あ、また」
 
 こっちを向いた幸子の顔は、なぜか優奈と佳子ちゃんの顔に交互に変わった……。
 


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高校ライトノベル・『制服マネキン』

2018-09-14 17:17:08 | ライトノベルベスト

ライトノベル・セレクト
『制服マネキン』
              

 

 

「お父さん、そろそろ閉めようか……」

 日の落ちかけた空を見ながら、美優が呟くように言った。

「そうだな……でも、明日は神楽坂の卒業式だろ。もう少し開けておこうや。ボタンとかスカーフとか、小物を買いにくる子がいるかもしれねえ」
「そだね、篠崎さんとこも閉店だし、神楽坂の制服扱ってるのうちだけだもんね」

 神楽坂学院は、この春から創立以来の制服を改訂する。

 新しい制服はデザインが凝っていて、街の小さな業者では採算が合わない。制服業者は、大手デパートと二十校以上の取引先を持っているY商店の二つになってしまった。
 学院創立以来、制服を手がけてきた篠崎屋は、店主が高齢なため、この二月いっぱいで店を閉めることになっている。篠崎屋から三十メートルほど離れた筋向かいの美優のテーラーSAKURAも、今日を限りに神楽坂学院の制服から撤退することになった。

 娘の美優が、早くからこういう日を見越して、制服以外のプレタポルテに比重を置くようにして、なんとか神楽坂で店を続けることができるようになってきた。

「ほんとに、美優のお陰だよ。こうやって店続けられんの」
「だよな、美優がいなけりゃ、ゲンとこみてえに店たたまなくっちゃならないとこだ」
「篠崎さんとこも、信ちゃんいればねえ……」
「もう、五年も前に死んだ人のこと言っても仕方ないでしょ」

 美優は、怒ったように言う。彼方の筋向かいの篠崎屋の看板が薄闇に滲んで、しばらく目が離せなかった。

「あ……雪……」

 そう呟くと、ホッペをこするフリをして滲んだ涙を拭った。

「お母さん、お茶……」
「あいよ、いま、お茶っ葉入れ替えるから」
 
 ホコホコとお茶をすすり終えた頃、静かに店のドアを開けて、少女が入ってきた。

「すみません、まだいいですか?」
「はい、いらっしゃい」

 その少女は、この薄ら寒いのに、神楽坂学院のジャージにマフラーをしただけの姿で立っていた。

「あのう……学校の制服、まだ置いてらっしゃいますか?」
「ええ、あるわよ。まあ、こっちおいでなさいな、冷えるでしょ。お母さん、お客さんにお茶お願い!」
「インスタントだけどココアでも入れたげようね……」
「どうも、すみません」
「スカーフか何かかな、明日卒業式でしょ?」
「一式欲しいんです」
「え、上から下まで?」
「ええ、今日自転車で転んでしまって、あちこち破けてしまって」
「縫って直せないの、明日一日のことでしょ?」
「最後だから、きちんとして卒業したいんです……お願いします」

 少女は、自分の言葉に照れて、ペコンと頭を下げた。

「すみません、へんなこだわりで……」
「いいわ、お父さん、一着残ってたわよね?」
「ああ、ちょっと待ってくれ……」
「もう処分品みたいなものだから、原価でいいわ」
「ありがとうございます……あちち」

 少女は、慈しむようにココアを飲んだが、少し熱かったようだ。

「まあ、ピッタリね。九号サイズだから、どうかと思ったんだけど」
「わたしって小柄ですから」

 はにかむ少女に美優はえも言えぬ親近感を感じた。

「サービスで、名前の刺繍させてもらうわ。苗字は?」
「あの……嘘みたいですけど、神楽坂です」

 おずおずと、少女は生徒証を見せた。確かに名前は「神楽坂幸子」となっていた。

「こりゃ、目出てえや。気持ち籠めてやらせてもらうからね」

 オヤジは、嬉しそうにミシンに向かった。

「幸子ちゃんて、なんだか、とても懐かしい感じの子ね」
「そう言われると嬉しいです。わたしって、よくタイプが古いって言われるんです。消極的で……あだ名は昭和っていうんです」
「ウフ……ごめんなさい。わたし好きよそういうの」
「どうもです」
「最後の制服の学年だけど、なにか特別なことやるの?」
「いいえ、いつも通り。正式には卒業証書授与式っていうんですけど、わたしは、卒業式って呼んで欲しいんです」
「そうだよな、世の中、名前ばっか変えちまってよ。先だって、病院で看護婦さんて呼んだら『看護師』ですって叱られちまったよ」

 ミシンを踏みながら、オヤジがぼやく。

「わたし、卒業式の歌も、へんな流行歌じゃなくて、ちゃんと仰げば尊しと蛍の光で……ヘヘ、なんて言うから、昭和って言われるんですよね」
「いいや、そりゃ大事なことだよ。さっちゃん、なかなか良いこと言うね。だいたい今時の……」
「はいはい。お父さんが演説したら、さっちゃん帰れなくなっちゃうわ」
「はは、それもそうだ……ほい、できあがり。立派な神楽坂だ!」
「ありがとうございました。はい、お代です」
「ちょうどいただきます……さっちゃん、手が荒れてるわね」
「あ……肌荒れがきついんです、わたし」
「ちょっと待ってて……はい、スキンクリーム。即効性があるから、明日は、これを塗っていけばいいわ」
「ありがとうございます……え、丸ごと頂いていいんですか」
「いい、卒業式をね!」
「はい!」

 少女は、スキップするようにドアまで行くと、振り返り、丁寧なお辞儀をして行ってしまった。

 テーラーSAKURAの親子は、ホッコリした気持ちで、神楽坂学院ご指定の店の役割を終えた。

 その夜の遅くのことだった、救急車のサイレンの音で美優は目を覚ました。父と母が、あとに続いた。

「だれか、具合が悪いんですか?」
「篠崎屋のゲンさんが、心臓発作だってさ」

 向かいの洋菓子屋のオジサンが応えた。

 美優はツッカケのまま駆けた。

 美優が駆けつけたとき、篠崎屋のゲンさんはストレッチャーごと救急車に載せられるところだった。
 救急車のドアが閉められる寸前、ちらりと神楽坂の制服を着た人影が車内に見えた。

 あの子……。

 同業のよしみで、明くる日、美優は病院にお見舞いに行った。病院は、子どもの頃からの馴染みのK病院だった。幼い頃、篠崎屋の信ちゃんといっしょにインフルエンザの注射をしにきたことがある。日頃は強がってばかりの信一が、猿のように嫌がって泣き叫んだことなどを思い出した。

 総合の待合いに、篠崎屋のオバサンがうなだれて座っていた。

「オバサン、大丈夫?」
「ああ、美優ちゃん……」
「オジサンの具合は?」
「うん。今夜が勝負だって……」
「病室は?」
「今は、あの子が見てくれているの」
「あの子?」
「ほら、マネキンの幸子……え……いま、あたし、なんて言った?」
「マネキンの……幸子って……」
「そんな、ばかな……?」

 そのときナースのオネエサンが、足早にやってきた。

「篠崎さん、大丈夫、いま峠をこえましたよ!」

 二人は、危うく走りたいのをこらえて、病室へ向かった。

「……あんた、大丈夫?」
「おじさん」

 ゲンのおじさんがゆっくり顔を向けて、笑顔で言った。

「信一のヤローが、まだ来ちゃいけねえって……で、幸子が代わりによ……幸子、幸子……」

 おじさんが目で探ったそこには、神楽坂の制服が、こなごなになった何かのカケラにまみれて落ちていた。それが、マネキンの幸子であるということに気づくのに数秒かかった。

 幸子は、篠崎屋が開業以来使っている、神楽坂学院専用の制服マネキン。お下げに、はにかんだような笑顔が可愛く、子どもの頃に信一と遊びにいくと、いつもこのマネキンと目があった。

「この子なんて名前?」

「……幸子だ」

 オヤジさんが答えたのを思い出した。最後の制服は神楽坂学院に記念に寄付し、幸子はジャージを着せていたとオバサンが教えてくれた。篠崎屋と神楽坂学院の歴史をみんな知っている。

 カケラの中に、夕べ、幸子にやったスキンクリームの小瓶が混じって、朝日に輝いていた……。


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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・19『ニホンの桜』

2018-09-14 06:32:01 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・19
『ニホンの桜』
    


「すごい、テレビの取材まで来てる」

 連休前の大阪城公園の取材に来て、たまたま見つけたんだろう。「ナニワTV」の腕章を付けた取材チームが、熱心にカメラを向けている。
「AKRやってぇや!」
 オーディエンスから声がかかる。
「はい、リクエストありがとうございます。それではAKR47の小野寺潤で『ニホンの桜』」
 そう言って、イントロを弾き出すと、身のこなしや、表情までも、小野寺潤そっくりになっていった。

 《ニホンの桜》
 
 春色の空の下 ぼくたちが植えた桜 二本の桜
 ぼく達の卒業記念
 ぼく達は 涙こらえて植えたんだ その日が最後の日だったから 
 ぼく達の そして思い出が丘の学校の

  あれから 幾つの季節がめぐったことだろう
 
 どれだけ くじけそうになっただろう
 どれだけ 涙を流しただろう 
 
 ぼくがくじけそうになったとき キミが押してくれたぼくの背中
 キミが泣きだしそうになったとき ぎこちなく出したぼくの右手
 キミはつかんだ 遠慮がちに まるで寄り添う二本の桜

  それから何年たっただろう
 訪れた学校は 生徒のいない校舎は抜け殻のよう 校庭は一面の草原のよう 
 それはぼく達が積み重ねた年月のローテーション
 
 校庭の隅 二本の桜は寄り添い支え合い 友情の奇跡 愛の証(あかし)
 二本の桜は 互いにい抱き合い 一本の桜になっていた 咲いていた
 まるで ここにたどり着いたぼく達のよう 一本の桜になっていた

  空を見上げれば あの日と同じ 春色の空 ああ 春色の空 その下に精一杯広げた両手のように
 枝を広げた繋がり桜

  ああ ああ 二本の桜 二本の桜 二本の桜 春色の空の下


 引き込まれて聞いてしまった。

 気づくと、幸子の顔立ちは小野寺潤そっくりになっていた。
 そして、ナニワTVのスタッフ達が、すぐ側まできていた、
「あ、この人、あそこで唄てるサッチャンのお兄さんで佐伯太一君ですぅ!」
 優奈が、余計なことを言った。
「妹さんなんですか。すごいですね! 妹さんは、以前から、あんな歌真似やら、路上ライブをやってらっしゃったんですか?」
「え、あ、いや最近始めたんです。ボクがケイオンなもんで、門前の小僧というやつでしょう。ハハ、気まぐれなんで、飽きたら止めますよ。なんたって素人芸ですから、ギターだって……」
「いや、たいしたもんですよ。歌によって弾き方を変えてる。上手いもんですよ!」
「セリナさん、もうじき曲終わり、インタビューのチャンス!」
「ほんとだ、ちょっとすみませーん。ナニワテレビのものですが!」
 取材班はセリナという女子アナを先頭に、オーディエンスをかき分けて、幸子に寄っていった。

 俺は、こういうのは苦手なんで、そそくさと、その場を離れた。

「楽器でも見ていこうや」

 そういう口実で、無理矢理三人の仲間を京橋の楽器屋につれていった。

 優奈なんかは最初はプータレていたが、一応ケイオン。最新の楽器を見ると目が輝く。店員さんに「真田山のケイオンです」というと、付属のスタジオが空いていたので、三曲ほど演らせてもらった。加藤先輩たちがスニーカーエイジで準優勝したことが効いたようだ。四曲目を演ろうとしたら。
「すみません。予約の方がこられましたんで」
 と、追い出された。やっぱ、加藤先輩たちとはグレードが違いすぎる。

「ただいま~」
「おかえり~」

 ここまでは、いつもの通りだった。

 リビングを通って自分の部屋に行こうとすると、キッチンに人の気配がして、バニラのいい匂いがしてきた。で、お母さんは、テーブルでパソコンを打っている。

「台所……なにか作ってんの?」
「幸子が、ホットケーキ焼いてんの。幸子、お兄ちゃんの分も追加ね!」
「もう作ってる」

「幸子、ナニワテレビの取材はどうだった?」
 ホットケーキにメイプルシロップをかけながら、聞いた。
「え、なんのこと?」
「おまえ、大阪城公園で路上ライブやってただろ?」
「なに言ってんの、ずっと家にいたわよ。あ、佳子ちゃんと優ちゃんとで、公園の桜見にいったけどね。あの公園八重桜だったのね。今年はお花見できなかったから、得しちゃった」
「え……?」

 幸子の様子がおかしい……微妙に話が食い違う。

 まあ、ライブのことは親には内緒にしたかったのかもしれないが。それ以外の……とくに態度がおかしい。歪んだ笑顔や、無機質な表情をしない。「リモコン取って」とか「お兄ちゃん。短い足だけど邪魔!」など、ぞんざいではあるけれど、自然な愛嬌がある。ニュートラルじゃなくプログラムされた態度かとも思ったが、決定的と言っていい変化があった。
 風呂上がり、頭をタオルで巻いて、リビングに入ってきた幸子のパジャマの第二ボタンが外れて、形の良い胸が覗いていた。

「第二ボタン、外れてるぞ」
「ああ、見たなあ!」

 慌てて、胸を隠した幸子は、怒っていた……ごく自然な、女の子として。

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高校ライトノベル・アンドロイド アン・16『アンと俺と台風・3』

2018-09-13 14:12:57 | ノベル

アンドロイド アン・17

『アンと俺と台風・3』

 

 

 ヤバイ!

 

 ひとこと叫ぶと、アンは家の中へ駆け戻った。

 この状況に卒倒しなかった俺は褒められていい。

 たぶん、アンがアンドロイドだということを知っていたから、顔の右半分がパックリ割れて、目玉がドロリと唇の横まで垂れ下がっても、ヤバイと叫んだ口の中に目玉が入っても、入った目玉が耳元まで裂けて、閉じ切らない口と言うか裂けめの中で飴玉のように転がっても、卒倒はしなかった。しなかったどころか、卒倒した町田夫人を抱きとめて「おーい、アン!」と声を張り上げる余裕さえあった。

 むろんスプラッター映画のデモを突然突き付けられたのと同じショックはあったけど、頭の芯の所が覚醒していた。

 

 ウンショ。

 

 見かけよりも重い町田夫人がずり落ちないように揺すりあげた時にドアが開いた。

「ごめんなさい、これでノープロブレムだから」

 戻って来たアンの顔は元に戻っていた。

「その顔……」

「それより……」

 アンは、暴風のためカーポートの隅に吹き寄せられている八つ手の病葉(わくらば)を手に持った。

「起こして」

「う、うん。町田さん、町田さん」

 声を掛けながら揺すると「う~~ん」と二度ほど唸って気が付いた。

「あ、あたし……アンちゃん……」

「大丈夫ですか、町田さん?」

「え、ええ……アンちゃんの顔?」

「風で八つ手の葉っぱが飛んできて貼りついたんです、突然で、わたしもビックリして」

 そう言いながら、右手の病葉をクルクル回して見せた。

「あ、あーなんだ。アハハ、わたしったら見っともない。ごめんなさいね、こんなオバサン介抱させちゃって」

「いえ、お怪我とかなくってよかったです」

「あ、それじゃ、くれぐれも気を付けてね」

 そう言い残すと、メガホンをギュっと握りなおし、ヘルメットのストラップをキリリと締めて町内の見回りに戻っていった。

 

「新一が卒倒してれば……」

「ん?」

「あ、なんでもない」

 

 ピークに差し掛かった台風の為に、アンの呟きを聞き逃した俺だった……。

 

 

☆主な登場人物

 

 新一    一人暮らしの高校二年生だったが、アンドロイドのアンがやってきてイレギュラーな生活が始まった

 アン    新一の祖父新之助のところからやってきたアンドロイド、二百年未来からやってきたらしいが詳細は不明

 町田夫人  町内の放送局と異名を持つおばさん

 町田老人  町会長 息子の嫁が町田夫人

 玲奈    アンと同じ三組の女生徒

 小金沢灯里 新一憧れの女生徒

 

 

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高校ライトノベル・妹が憎たらしいのには訳がある・18『飛行機事故の翌日』

2018-09-13 06:48:53 | ボクの妹

妹が憎たらしいのには訳がある・18
『飛行機事故の翌日』
        

 明くる日、学校は臨時休校になった。

 奇跡的に死傷者が出なかった(グノーシスたちがやったんだけど)とはいえ、飛行機が校舎に突っこんできたんだ。警察や、国交省の運輸安全委員会の現場検証は今日が本番だ。それに、突っこんできたのは視聴覚教室だけど、他の校舎や施設も無事ではない。復旧には一週間はかかる……と、これはボクの希望的観測。

 ケイオンで視聴覚教室を使っていたのは、加藤先輩たち中心メンバー。先輩達の楽器はおシャカになってしまったけど、そこは選抜メンバー、みんな自分ちにスペアの楽器を持っている。加藤先輩は、幸運にも、昨日はスペアの方を持ってきていて、ギブソンのアコステは無事だった。

――アタシらはスタジオ借りてレッスン、あんたらは適当に――

 加藤先輩からは、こんなメールが来ていた。いかにもアバウトなケイオンだ。
 で、ボク達のグループは、学校の中に楽器がオキッパだったので、自主練と称して、カラオケに行った。

 十曲ちょっと歌ったところで、みんな喉にきた。

 いかに普段マッタリとしか部活をやっていないか、メンバー全員が自覚した。自覚したが反省なんかはしない。ボクらがケイオンに求めているのは、一に掛かって、このマッタリした友人関係なんだから。

「しかし、祐介、とっさに優奈庇ったのは大したもんやな」
 ドラムの謙三が、ジンジャエールを飲み干して言った。
「うん、オレ、ひょっとしたら優奈に惚れてんのかもな」
「祐介のは、ただのどさくさ紛れ。庇うふりして、わたしのオッパイ掴んでた!」
「うそ、そんなことしてへんて!」
「病院で検査してもろたとき、赤い手形がついてた」
「とっさのことやから。祐介も力入ったんやろ」
 ジンジャエールでは足りず、ボクのウーロン茶まで手を出して、謙三がフォローした。
「そやかて、両方のオッパイやで!」
「そう、惜しいことしたなあ。オレ、その時の感触全然覚えてへんわ」
 大阪弁というのは、こういうことをアッケラカンと言うのには最適な言葉だと実感した。

 そして、良かったと思った。

 ハンスたちグノーシスが時間を止めて処理していなければ、プロペラの折れは、祐介の背中を貫通して、庇った優奈ごと串刺しにしていたに違いない。
 それに、なにより、あの時の祐介の顔は、真剣に優奈を守ろうとしていた。普段はヘラヘラした奴だが、本当のところは、情に厚く、優奈のことも本気で好きなんだと思う。
 謙三は体育とか苦手で、ドン謙三(ドンクサイ謙三の略)などと言われているが、本気になれば意外に俊敏。いつか、その俊敏さが、ドラムのスキル向上に役立てばいいんだけど、ボク同様マッタリケイオン。望み薄かな……。

 そのころ、幸子はギブソンの高級ギターを持ち出して、大阪城公園駅から、大阪城ホールに行くまでの道で路上ライブをやっていた。ここは、大阪の路上ライブの聖地の一つ。京橋や天王寺などは、大容量のアンプを持ち込んでガンガンやる悪質なパフォーマーが多く、幸子のように生声、生ギターで演るものまで締め出しにあうが、ここは比較的に緩い。佳子ちゃんが、例によって警戒とパーカッションを兼ねて付いていくれている。

 ボクが、それに気づいたのは、優奈がスマホで動画を検索している時だった。

「ちょっと、これサッチャンちゃうん!」
「ええ……!」

 ボクたちが、大阪城公園に行ったときは、優奈のスマホで見た何倍もの老若男女が、幸子の生歌に聞き惚れていた。リクエストに応えてやっているようで、松田聖子の歌を唄っていた。

 ……松田聖子そっくりに。

 思い出した、夕べ、パラレルワールドの説明をしているときに、ボクがパソコンに写った幸子の顔を垂れ目にしたら、幸子は自分の顔も垂れ目にして、ボクをおちょくっていた。幸子は確実に進化している。
 オーディエンスは次々に増え、四百人ほどになったが、どういうわけか、みんな行儀良く座って聞いている。そして、道路の半分はキチンと空けられ通行人の邪魔にもなっていない。
 お巡りさんが、向こうのアンプガンガン組の規制をしはじめた。
「あいつらが、おったら、この子の歌が、あんじょう聞こえへん」
 六十代とおぼしきオッチャンが、お巡りさんに注意したようだ。
「あんた、警察に顔きくねんなあ」
「ええ音楽は静かに聞かなあかん」
 その顔つきの悪さから、その筋の人か、お巡りさんのOBかと思われた。

 そのころ、幸子は、拍手の中、安室奈美恵のそっくりさんになっていた……。


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高校ライトノベル・高校演劇事始め『また逢う日まで・2』

2018-09-12 19:14:15 | ライトノベルベスト

高校演劇事始め『また逢う日まで・2』

   

 

 

 それから五年の歳月が流れ、勇夫たちは新制高校の三年生になっていた。

「校長先生、大変です!」

 新制高校の教頭になった長田先生が校長室に飛び込んできた。

 校長先生はびっくりして飲みかけのお茶にむせかえった。

「ゲホ、ゲホ……なんだんねん教頭はん!?」
「なんだんねんも、寒暖計もおまへんねん」
 長田先生のダジャレは、終戦後いっそうの磨きがかかった。
「実は、校長先生……」
 耳打ちされた校長先生は明くる年に施行されるメートル法の表記で三十センチは飛び上がった。

「『また逢う日まで』をやるんでっか!?」

 元海軍軍人であった校長先生の声は、ひときわ大きく、安普請の校長室の壁をやすやすと突き抜け、両隣の職員室と事務室にまで響き渡った。
 あっと言う間に、職員室や事務室から人が集まった。
 玉音放送の時とはちがって、動物園の猿山のように騒がしい。
「お静かに!」
 海軍で鍛えた声は、一同を静めるのには十分であったが、みなの注目が集まり、臨時の職員会議のようになってしまった。

「……と、いう次第であります」

 戦闘詳報のように簡潔な校長先生の説明のあと、雨後の竹の子ように手が上がった。
「『また逢う日まで』っちゅうと、あのガラス越しの接吻シーンのあるアレでありますか?」
「いかにも」
「それは、いかがなもんでっしゃろなあ。いくら民主教育の新制高校としましても」
 生活指導の轟先生がまゆをひそめた。
「そうや、接吻はいかん、接吻は!」
「モラールっちゅうもんを超えております。あれは」
「文化祭とは言え、教育の一つであります。節度というものがないとあきません」
「せめて『青い山脈』ぐらいにしてくれたらなあ。あれには接吻は出てきまへん」
 旧制中学から横滑りしてきたオッサン教師たちは、いっせいに反対にまわった。

「いいじゃございませんの!」

 東京帰りの音楽の百合子先生がメゾソプラノで賛意を表した。
「抑圧された戦時下に美しく咲き、散らされた青春の花。軍国主義に対するアンチテーゼとしても、前向きな青春の肯定という点でも、新制第一期生の文化祭にふさわしいじゃありませんか!」
「しかし、接吻ですぞ、接吻!」
「そう、なんというウラヤマ……もとい、イヤラシイ」
「わたしなんぞ、思わず目を背けてしまいました。アップにするなんぞとんでもなかった!」
「轟先生、観にいきはったんでっか!?」
「あ、あくまで指導の参考であります、指導の!」
「じゃあ、お解りにになったでしょ。あの映画は接吻はガラス越し、ガラス越しであればこそ、二人を隔てた時代の壁が分かるんです。また、二人の愛の前にはその時代の壁も透明なガラスのようにしてしまう力があるんです。この芸術的なアンビバレンツをご理解いただけませんの!?」
 百合子先生の声はソプラノになった。
「ア、アンビ……?」
「二律背反という意味です。生徒達は、それを理屈ではなく、感性でうけとめたんですわ。素晴らしいことじゃございませんか!」
「しかしねえ……」
「どうします、校長先生……」
 長田先生は、頭を抱えた。
 と、そこにチラシの山を抱えた勇夫たち演劇同志会(まだ演劇部という呼称がなかった)の面々が五六十人の生徒たちとともになだれこんできた。『また逢う日まで』は、終戦後彼ら彼女らの「ポッカリ」を埋めてくれたのである。

 勇夫の演説が功を奏し……もしたが、決め手はその時にかかってきた、PTA会長で、その町で最大の企業の社長である福井の電話であった。
 実は、娘の麻里子が「主役の蛍子をやりたい!」と言ったことが事の始まりであった。

 やる! と決まったら話しは早かった。
 校長先生は、事務長といっしょに生徒の個人票をめくり父兄(保護者のこと)の職業を調べ、大工の父兄に大道具を、電気屋の父兄には照明器具を依頼。個人情報もヘッタクレも無い時代であった。
 そして、視聴覚費と、それで足りない分は、麻里子の父の寄付をつのり、音響効果用に、町の警察でさえ持っていなかったテープレコーダーまで買った。
 演出は、東京から疎開したまま町に住み着いた新劇の俳優に頼んだ。
 町の商業振興会も全面協力。加盟各店にポスターを貼り、ビラを置き、入場整理券まで配ってもらった。

 さて、いよいよ本番。
 
 本当のところ勇夫は、蛍子と並ぶ主役の恋人田島三郎をやりたかったのだが、
「わたしの趣味にあわない!」
 上から麻里子の一声で、その他大勢の一人にされた。
 田島三郎役は体操部の島田が指名された。ちょうど鉄棒でデングリガエシをやって逆さまになっているところがイカシテいたので抜擢された。けして田島のデングリガエシの島田だからではない。
 旧制中学から引き継いだ講堂は、目一杯詰め込めば千人は入ったが、三日前の事前調査(麻里子の父は仕事柄、そのへんは手堅かった)で、三千人前後の入場者が見込まれることが分かったので、きゅうきょ午前一回、午後二回の公演となった。
 観客の誘導には、麻里子の父の会社の社員が動員された。

 本番三十分前、お祝いの花火こそ上がらなかったが、役者はあがりまくった。
 大きな顔をしていた麻里子でさえ、ゲネプロでは声が裏返り、勇夫は手と足が同時に出てしまった。
 田島三郎役の島田は落ち着いていた。体操部で人前で演ずることに慣れていたのかもしれない。

 さて、問題のガラス越しの接吻シーンである。
 最初は、実物通りガラスが入っていたのだが、スポットライトがハレーションをおこすので、窓枠だけの素通しになってしまった。
「しまった!」
 と、麻里子は思った。ガラス越しであるからこそ、十代の少女の好奇心でやれたのである。それが、マトモにキスシーン……。
 結局、演出処理で顔と顔を二十センチまで近づけることで手を打った。
 観客席から見ると、前後に被った演技なのでほんとうにセップンしているように見える。
 二十センチの距離でも麻里子はカチカチになり、勇夫は嫉妬に身もだえした。

 さてさて、問題のキスシーン。観客の大半も、その年の三月に公開されたホンモノを見ているので「いよいよ……」と固唾を呑む。
 ……その瞬間、どよめきがおこった。
「オオー!」
 麻里子は気絶しそうであった。キスシーンに台詞が無かったのが幸いだった。過呼吸でとても台詞どころではない。

 芝居は成功裏に終わった。あまりの人気で、文化祭とは別にもう二回公演がもたれ、延べ観客動員数はリピーターも含めて五千人を超えた。
 実に、町の人口の半分に近い。
 近いと言えば、二十センチのちかくまで近づいた麻里子は本当に島田を好きになってしまった。
 はるか後年、婿養子にした島田との間に生まれた娘が年頃になったころ、娘にこう言った。
「ええか、男の子とハラハラドキドキするようなとこで、好きやなんて思たらあけへんで」
 同じ頃、会長に頭の上がらない社長になった、島田(元島田というべきか)は新入のイケメン秘書に、車の中で、こう諭した。
「いいかい君、ハラハラドキドキするようなとこで女の子を口説いたりしちゃいけないよ」
「どうしてですか、恋愛って、そういうハラハラドキドキするようなものじゃないんですか」
「ま、君も……ま、いいや、次のスケジュールは?」
「はい、高校演劇連盟本選開会式のご挨拶をしていただきます」
 会長とカミサンに頭の上がらない社長は、ハラハラドキドキの話しをしようかどうか、会場につくまで悩んしまった……。

 ちなみに全国高等学校演劇大会の第一回は、麻里子たちの『また逢う日まで』の五年後、東京の一橋講堂で第一回が開かれた。
 そこに、麻里子たちの後輩がでていたかどうかは定かではない。


【作者より】
 この話は、わたしの叔父の実体験を元に書いたものであります。お話としてのデフォルメやフィクションはありますが、黎明期の高校演劇というのは、このような熱気と広がりを持ったものであったようです。

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