続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ときどき不安。

2013-07-08 06:44:26 | 日常
《これでいいのだ》という自己暗示にひそむ不安。

 うらはら・・・は、誰もが抱く感情であって不安というよりはむしろ人間的と言っても差し支えない。けれど、そのバランスが次第に崩れ、不安の方ばかりが巨大化し、居ても立ってもいられない恐怖に襲われることがある。

 一時的、一過性の気の迷いと払拭できるうちは、自分も周囲も笑って見過ごしてしまう不安の影。


 サークル仲間のうちには、そうしてその不安感が高じ、遂に病気を疑われ、薬を服用するようになった人もいる。しばらく・・・というより退会してしまったに等しいその人を思うとひどく胸が痛むことがある。自分もそういう危機感を抱いているから。いつか何か引き金となるようなアクシデントに見舞われたら・・・。


 漠然とした不安感、苛立ち、ストレス・・・自分を抑制できない強い衝撃。
《自分をなだめる努力》ほとんど無に等しい労力ではあるけれど、マイナス思考、マイナスの坩堝に陥らないために、健全であることへの執着を持ち続けていたい。

 ときどき不安・・・(死ぬまで細々とでも食いつないでいかれるだろうか‥)

 仮にどんな災難にあっても、立ち向かう勇気、活力、負けないめげない心・・・最後の一歩まで見得を切って歩いていきたい!
 

『ポラーノの広場』21。

2013-07-08 06:30:48 | 宮沢賢治
「こっちへ山羊が迷って来てゐませんでしたでせうか。」
 女の人たちはみんな立ちどまってしまひました。教会へ行くところらしくバイブルも持ってゐたのです。

 山羊はサン・ヨウと読んで、Sun(太陽)、曜。
 迷ってはメイと読んで、明。
 来てはライと読んで、雷。
 女はジョと読んで、叙。
 人はトと読んで、図。
 立ちはリツと読んで、律。
 教会は、キョウ・カイと読んで、経、廻。
 行くはコウと読んで、講。
 持ってはジと読んで、弐(二)。

☆太陽の曜(かがやき)の明(光がさしている)は雷(神なり)。
 叙べる図(計画)の律(きまり)は、経(常に変わらない)。
 廻(元に戻る)講(はなし)の二つである。

『城』1325。

2013-07-08 06:07:56 | カフカ覚書
 Kには、これ等すべての事は、どうでもよいことのようにおもわれた。自分には関係ないが、たとえあっても、そんなものにしばられることもないだろう。ただ、教師の大仰な態度だけは、腹にすえかねた。

 いずれにせよ/jedenfalls→jeder falls/どの、死も。
 腹にすえかねた/reizte・・・心をそそる。

☆Kにはすべてのことは重要でないことのようにおもわれた。自分には関係なくいずれの死も、束縛(義務を負わせる)されることもないだろう。ただ教師(空虚)の気高く済ました態度には心をそそられた。