続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

半沢直樹。

2013-07-30 06:40:11 | 日常
 ファッジさんと同級生の池井戸潤氏の作品TV化「半沢直樹」。

 やられたらやり返す、《倍返し》に、という痛快ドラマ。どこまでも窮地に追いやられ、我慢も限界という所で反撃が効を奏す。小気味のいい展開。


 実際、悔しい思いは誰にでもある、いえ、少なくともわたしにはある!
 そんな時・・・寂しく笑って俯くだけ。(いつか、きっと)のエネルギーも未来も希薄であれば最良の方策は(忘却の彼方に追いやる)だけ。
 品の悪い目つきで相手を見返すなんて育ちのいい(?)わたしには実行不可能。


 半沢直樹のような凄いエネルギーを持って、ピシャリ!と相手を打ちのめすことが出来たらと思う。

 ただ現実は、反撃の後には反撃が続くというマイナスのスパイラルに陥ることを恐れるから、曖昧なまま黙認し、落ちる所まで落ちても平気。「殺されることはあるまい」と腹をくくれば、悔しさも笑止。

 そんな風に意気地なく、肯定的に流されるまま今日に至っている。(家の中にいれば大した波乱もないけれど)

 企業戦士・・・。
 わたしの関係した零細企業の長たちは今どうしているだろう。
「300万出すから、逃げて下さい」と金貸しから言われたAさん。300万円の晴着を娘に着せて成人式の翌日姿を消したBさん一家。諸々。

「1000万円融資するのに、お茶一杯飲んで帰っちゃったよ」と事務員を驚かせた役人。地場産業にお金を振りまき、返却不能になって夜逃げをする未来のことなど考えなかったに違いない。

 あの頃のどたばた・・・急速な仕事減。わたしの中では未だ収拾が付いていない。(わたしの請求、8万(Y工芸)、13万(K製版)、20万(G製版)、20万(M製版)・・・未回収のまま)

 そのわたし、目を点にして「半沢直樹」を見ている。

『ポラーノの広場』43。

2013-07-30 06:23:59 | 宮沢賢治
「どうして。」
「だって仕事をしなけぁ」
「仕事ってきみのかい。」
「旦那んさ。みんなもう行って畦へはひってるんだ。小麦の草をとってゐるよ。」
「ぢゃきみは主人のとこに雇はれているんだね。」
「ああ、」
「お父さんたちは。」
「ない。」
「兄さんか誰かは」
「姉さんがゐる。」
「どこに、」
「やっぱり旦那んとこに。」「さうかねえ、」


☆試みる字は、詞(ことば)を治す。
 譚(はなし)を納める考えの計(もくろみ)、照(あまねく光があたる=平等)の漠(果てしなく広いこと)の想い、殊に神である。普く(あまねく)経(常に変らない)と推しはかることを担う詞(ことば)を納めている。

『城』1348。

2013-07-30 05:54:36 | カフカ覚書
「きみたちは、持物を一度も洗濯をしたことがないのだろう」と、Kは言ったが、意地悪をいったのでなく、冗談半分のつもりだった。女中たちは、それに気づいて、かたい口を同時にあけ、美しい、丈夫な、動物のような歯を見せて、声をたてずに笑った。

 洗濯/Gewaschen→Gewasch/無駄話、おしゃべり。
 ~ではなく/niemals→nie mals/決して~ない、傷痕。
 冗談半分/einer gewissen Zuneigung→ahn gewissen neigung/先祖、ある種の、傾向。
 笑った/lachten→Rache/復讐、報復。

☆「きみたちは、本題(事実)を決して傷痕ではないと話しているのかね」と、Kは言った。悪いというのではなくそれは先祖のある種の傾向だった。女中たち(権力)は、それを注意し、入口をかたくし、動物(畜生)のような歯を見せたのは無言の応酬だった。。