『自転車の車輪』
自転車の車輪、車輪というものは常に地面に面して機能するものである。それを空中に見えるように設置したこの作品において、機能は剥奪されている。
回る、回転のエネルギーという発見発明を無に帰し飾り物にしている、否、飾り物ですらなく無用の長物と化している。
デュシャンにとっての快挙である。端的にデュシャンの主張を明確に表し、且つ、造形的にも不思議な不安定さで人の関心を惹き、動かして遊ぶこともできる作品である。
車輪の第一義的な存在理由を消去している。地面の移動に発揮するエネルギーの生産を不可にし、惰眠をむさぼるような空疎に置換している。
レディ・メイド、大量生産の複製は需要に対する供給であり、目的を満たすための必需品であることが多い。
その目的を外すという無謀な行為が、この作品である。レディ・メイドの製品が持つ隠れた哀愁とでもいうべき、使途不明に帰した裏面を鮮やかに提示した妙。
機能という現実を外し、美しく弧を描く車輪への憧憬である。
デュシャンの作品群の焦点は一に集約、帰している。《無・無為・空虚》果てしないほどの精神の回帰と言えるかもしれない。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
「さうだ。見たまへ。そこらの三角標はちゃうどさそりの形にならんでゐるよ。」
☆現れる太陽を書き、平(平等)を啓(教え導く)。
ところが、約束のリボンをあげると、あの子は、それを部屋の隅っこに投げすててしまいました。まあ、わたしとしましても、ペーピに軽蔑されてもしかたないんです。
☆その時、わたしは抜け穴に、それを撃退してしまったのです。彼女は眠らずに過ごしているかもしれません。