息子の家へ行った帰路。
なんだかすごく疲れた気分だったので、家へ帰りつくまではヘトヘトになるだろうと予想していたのに、なんで?(足が軽い)駅の階段の昇降もスタスタ・・・。
おかしいわ、どうして? なんでもなくても重いのに。
翌日になって気がついた、朝、体重計に乗ったら2キロ減。
ああ、分かっていたけど、痩せれば足は軽くなるのね。おやつはアイスにお菓子、塩分と糖分それに油分たっぷりの食事…太ることはあっても減らないわけだよね。
それが、たったの三泊四日の忙しさに紛れた、おやつなし(人の家の冷蔵庫など物色できない)の軽食によって減量できたなんて!
息子たちに「助かったよ」とお礼を言われたけど、助かったのはわたしの方かもしれない。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
この作品の凄さは、これを見た人による混迷・困惑を誘い出す点にあるが、バカバカしいと言って切り捨ててしまえば、その先は閉ざされたままである。
美醜などの感情には遠く、存在する物の与える心理作用への問いを大きく投げかけている。
「なぜくしゃみをしない?」
「なぜ、制御不能な反応を示さない?(だって、可笑しいだろう)」
明らかに可笑しいこの鳥かごの状態。第一、鳥かごは果たして本当に鳥かごなのか。
そして、中に小鳥がいたなら当然圧死状態の152個の立方体の大理石。小鳥は20グラム、大理石は仮に50グラムとしても7600グラム、格段の差である。イカの甲もデカすぎる。
全体、不条理に満ちたこの物への不審に反発すべきである。
人の住まいにとてつもないほどの大理石が詰め込まれたら、人は生きられない。息苦しい閉塞感に耐えられるだろうか。今、これは大理石だけれど、大理石に匹敵する重苦しい空気(政治・経済)があったとしたら…。
この問題提示に、生理的反応はいかばかりのものか、デュシャンは問いかけている。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
その火がだんだんうしろの方になるにつれてもみんなは何とも云へずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂のやうなもの口笛や人々のざわざわ云ふ声やらを聞きました。
☆化(教え導く)法(神仏の教え)は化(形、性質を変えて別のものになる)で運(めぐらせている)。絡(すじみち)は、隠れている。
総ての化(教え導くこと)は、仁王の公(かたよらない)不壊に任せられ、認(見わけられる)という運(めぐりあわせ)の正しい問(責任や罪をききだし、といつめる)である。
でも、ペーピは、そんなことでひるむような娘ではなく、アマーリアをも軽蔑していますわ。アマーリアにちらりと一瞥されただけで、あの短い大根脚を頼っていたのではとてもできないほどの早さで、おさげとリボンもろともに部屋からすっとんでいってしまうにちがない小娘のくせしてね。
☆でも、ペーピはそんなことは障害にせず、アマーリア(月)と同時に眠らずに過ごしている。アマーリアの眼差しは、先祖の死の尊厳を満たしている。すべての氏族にペーピは時代遅れの作り話で素早く主題を成し遂げ、決して傷痕をもたらさないように仕事にとりかかっている。