先週の吟行は相模大野の息子の家にいたので欠席の電話を入れたけど、台風のため中止になった由。
今週もとても行かれないと思っていたら、中止のための返金があるという。
やむなく子供たちの面倒を夫に頼んだら、(おむつは取り換えられないとか、泣いたらどうすればいいんだ)など、わずか5時間程度の留守にも対応できない様子。
おむつを替えるどころか何でも家事を分担している息子にくらべて…「情けない」とこぼしたら、
「お母さん、時代が違うんだよ」と、息子の優しいフォロー。
なんでもいいから、と振り切って講座に出席。
そんな訳でぐちゃぐちゃの中、ひと時の休息となった「今日から始める俳句」の句会。
最多の票を得たのは
秋風や 身をととのへて 紅茶のむ よしみさんの句。
ちなみにわたしは《いわし雲 万化の果てを 知らずして》の拙句。
日下野由季先生、叮嚀なご指導ありがとうございました。
芳賀久雄先生、「浦賀」「芦名」の冊子、ありがとうございました。(知らないことが一ぱいでした)
難しい挑戦でしたけど、凡人だということがよく分かってよかったです。
今の日本を支えているのは、働く人たちの活力である。
そして、後に続く未来を担う子供たちの育成は、何をおいても大切な仕事であるに違いない。
倹しいながら、のんびりとした老後に甘んじているわたしに一本の電話が入る。
「清一朗(長男・小1)がおたふく風邪になったので、(三男の)恵一朗と二人を連れて行く。一週間は学校を休まなければならないから、その期間よろしく・・・」
「もちろん待っているよ」の快諾。
まるで目が離せないほど活発に動き回る一歳児、「おばあちゃん、なにをすればいい?」と聞いてきてはゲームをやりたがる長男。
次男の入院を受けての大混乱…息子夫婦は会社を休めないらしい。こんな時の出番のおばあちゃん、覚悟を決めて朝から晩までそれなりに奮闘努力・・・。
なんのこれしき・・・頑張った一週間でありました。
昆虫が大好きなキヨちゃんの絵、お城も高いタワーも大好きらしい。
『九つの雄の鋳型』
九つは一応人間の職業を名付けられているらしい。
しかし人として、足を想起させるものもあるが、手はなく頭部もない。つまり人間に結びつけるには困惑がある。
そして鋳型というからには、同型のものが大量に生産、増殖される起型ということである。それぞれの異種業種、任意の鋳型は限りなく同じタイプを増殖させていく。その幻の大群(群衆)を『雄』という判別で括っている。
確かに人間を大別すると、雄(男)と雌(女)である。しかし、この鋳型から明らかに『雄』であるという根拠を示すものは無い。鋳型という硬質なイメージが多少それに加担しているかもしれない。
描かれたものであるから立っているが、非常に不安定な形態であり直立は常態ではないと思われる。
この『九つの雄の鋳型』を縫うように『停止原基の綱目』の線条が被さっている。原基とはそのものの基であり、このものの原初、始まりを暗示している。
《九つの職業⇔不定の鋳型⇔存在の原初》は《現在⇔不定⇔過去》というように時空を分散あるいは粉砕している。
この九つの雄の鋳型は見えるように克明に描写されているが、《見えない混沌の無空》を意味している。無意味に帰していると言ってもいいかもしれない。
つまり存在を露わにしているが、非存在の無空を描いたものであり、見えているが見えない深淵である。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)