博物館の菊池先生による田浦・浦郷地区の建物探訪。
何年か前、同じコースを回り説明を受けたけれど、若い頃の母の勤め先がまだ保存されているので母に会いに行くような気持ちで参加したツアー。母はその後、代用教員に転職したけれど、不運に苛まれた人生に涙…。
1-5-1 振動尺試作
振動における尺、一応7種の尺(単位)が並べられているということなのだろうか。
物理的な振動というのは、物体の変位を測ることや空気の振動(振幅)を測ることにあり、空間そのものの振動を抽象的に把握する傾向にはない。
雨・風・嵐…地震などにおける振動の想定、この場合、数値ではなく形態に置換してみるという試みである。
誰も肉眼では見たことのない振動尺を心眼で捉え、その位相を金属(鉄)の形(現象)の置き換える。計量不可の対象を物量にし、見える形に提示するという試み。
尺(単位)は円筒形であり似ているが、重複(凝縮)していたり褶曲したり線状の筋があったりという具合である。ほぼ同じ長さであるのは、振動尺は時間と密接に結びついているためかもしれない。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展・図録より〕
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
(よしきりはなく なく
それにぐみの木だつてあるのだ)
☆過(あやまち)の襟(心の中)、済(救い)の句(言葉)は秘(奥深くてはかり知れない)有(存在)である。
冥(死後の世界)は黙(声に出さない)。
それでもまだ満足しないで、お内儀の言いぐさを借りると、自分の家のなかでたえず、「包囲されている」のはかなわない、ときやがる。そもそも陳情者がなんのために出入りしなくてはならないのかが、お内儀には理解できないのである。
☆まだ十分ではなく、包囲されているような先祖の一族にとっては耐え難いものです、と彼女は言う。ただ、そのために関係者(死者たち)が往来(出入り)するのは理解できないのである。