Ⅱ-3-1 近い緑Ⅱ
近い緑なんていう表現は…あるだろか。しかも緑色でもなく、素材は鉄であり鉄色である。
緑といえば植物を想起する、この場合、樹木のような立ち姿(?)を呈している。近い緑というより遠い緑という気がしなくもないが、タイトルは断定である。
緑との対峙、緑(緑葉)の供出する酸素は、動物(人間)にとって必須である。必要欠くべからざる酸素は、葉緑素の光合成における産物であり、生命維持の最も近い存在である。
生きることの近さの点では緑(植物群)は傑出している。
作品の上部は、確かに葉の揺らぎを感じる。作品を緑に塗ることは出来たに違いないが、そうしなかった理由は何だろう。茶色は葉(緑)の死ではないか。
「近い緑」とは「緑の墓標」のようである。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展・図録より〕
おきなぐさ
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛の質直
松とくるみは宙に立ち
(どこのくるみの木にも
いまみんな金のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲
☆普く推しはかり、総て換(入れ替える)
亡(死ぬことの)悉(すべて)の自記は、照(あまねく光が当たる=平等)を注(書き記す)律を黙している。
魂を告げる記の講(話)は、太陽を運(めぐらせている)。
お内儀のつもりでは、陳情者との面会や尋問も縉紳館の外でやってほしくてならないところだが、役人たちがこれに反対している。
☆生きているときは陳情者(死者)の話や尋問は大軍(死にゆく人)のハロー(死の入口)の外でやってほしいが、ここの役人(死者)は強く反抗する。